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それでも仕事は終わらない

「本日の相談、これで最後です」


 ミーナが、帳簿に小さな印をつけた。


 新しい事務所の一角。

 相談用の机の前で、俺は軽く肩を回す。


「最後って言っても、あと一件あるんでしょう」


 リナが、カウンターにもたれながら笑った。


「あんたの恒例行事」

「……まあ、そうですね」


 俺は苦笑した。


 表向きの相談受付は終わっている。

 でも、裏口からひょっこり顔を出す常連がいるのは、いつものことだ。


「じゃ、表の看板は片づけておく」


 ガルドが、暖簾をくるくる巻き始める。


『本日の相談受付中』の文字が、『準備中』にひっくり返された。


「ミーナは、今日の記録をまとめておいてください」

「はい」


 ミーナは、ノートにペンを走らせる。


 ・共済の給付申請が一件

 ・ギルドとの報酬計算の確認が二件

 ・冒険者同士のトラブル相談が一件

 ・新規加入の相談が一件


「今日も、いろいろありましたね」


 彼女が笑う。


「でも、『死にそうな案件』がほとんどない日って、なんだか不思議です」

「いいことですよ」


 俺は頷いた。


「危ない話を減らすために、ここまでやってきたんですから」


 ---


「失礼します」


 扉が控えめに開いた。


 入ってきたのは、中堅くらいの冒険者パーティーのリーダーだった。


「夜分にすまない」

「いえ。どうされましたか」


 俺は、椅子をすすめる。


「ギルドの方で、ちょっとした揉め事があってな」


 リーダーは頭をかいた。


「報酬の配分じゃなくて、『新人をどう育てるか』って話なんだが」


 詳しく話を聞いてみると。


 ・ギルドの新人研修が形式的で、現場の安全意識が身についていない

 ・パーティー内で「昔ながらのやり方」が通じない場面が増えている

 ・新人たちが「組合の話」を先に聞いてしまい、「ギルドは信用できない」と極端な印象を持っている


「『ギルドか組合か』じゃなくて、『ギルドも組合も』って伝えたいんだが、なかなか伝わらなくてな」


 リーダーはため息をついた。


「俺らの世代は、ギルドに散々絞られてきたから、どうしても『あっち側』って見方をしちまう」

「分かります」


 俺は笑った。


「前にいたところでも、似たような話がありました」


 会社に長くいた世代と、フリーランスや転職を当たり前と考える世代のギャップ。


「正直、ギルドにはまだまだ問題があります」


 俺は、はっきりと言った。


「でも、ギルドの全部が悪いわけでもない。少なくとも、今の再建担当官は、かなり真面目です」

「ああ、あいつは悪くない」


 リーダーが苦笑する。


「『昔のやり方は捨ててください』って、平気な顔で言うからな」

「組合側も、全部を引き受けるつもりはありません」


 俺は続けた。


「教育も安全管理も、現場の指導も、ギルドと組合とパーティーが、それぞれの役目を持った方がいい」


 しばらく相談に乗り、「新人の勉強会」をギルドと組合の共催で開く案を提案すると、リーダーは肩の力を抜いたように笑った。


「ユウト、あんた、やっぱり先生向きだな」

「それはちょっと勘弁してください」


 俺は苦笑した。


(前の世界で、何度か新人研修の資料を作らされたのを思い出す)


 あのときは、「どうせやっても変わらない」と思っていた。

 今は、「変わるかもしれない」と思えるだけ、少しマシだ。


 ---


 相談が終わり、事務所に静けさが戻った。


「これで、本当に今日の相談は終わりだな」


 リナが大きく伸びをした。


「明日の予定は?」

「ギルドとの『安全管理協議』が午前中に一件」


 俺は、明日のノートをめくった。


「午後は、相談窓口はいったん『準備中』にします」

「お?」


 リナが片眉を上げる。


「週に一度は、相談を受けない時間を決めておかないと、また前みたいに詰め込みすぎますから」

「ようやく、自分でブレーキ踏む気になったか」


 リナが、にやりと笑う。


「その時間で、市長への活動報告と、共済の次年度案の見直しをやります」

「まだまだ、やることは終わらねえな」


 ガルドが苦笑する。


「いいことだ」


 リナが笑った。


「何も相談がない街ってのは、むしろ不気味だ」


 ミーナが、少し考え込むような顔をした。


「ユウトさん」


 彼女が、ペンを置いてこちらを見た。


「前の世界の話、もう少し聞いてもいいですか」


 今までも、少しずつ話してきた。

 ブラック企業のこと。

 サービス残業のこと。

『労働組合』という、似て非なる仕組みのこと。


「何が一番、悔しかったですか」


 ミーナの問いは、ストレートだった。


 俺は、少しだけ考えてから答えた。


「何も変えられなかったこと、ですかね」


 長時間労働も。

 パワハラも。

 不合理な契約も。


 どれに対しても「ああ、ひどいな」と思いながら、「自分一人ではどうにもならない」と諦めていた。


「だから、二度目の人生では」


 俺は、窓の外の塔を見上げた。


「この街一つぶんだけでも、何か変えられたらいいな、と思ってました」


 深層調査の契約。

 共済制度。

 未払い報酬の回収。


 全部ひっくるめても、「世界の全部」が変わったわけではない。


 でも。


「この街だけは、前よりマシになったって言えそうですか」


 ミーナが、確かめるように聞く。


「言えると思います」


 俺は、はっきりと答えた。


「前は、事故が起きても、『運が悪かった』で終わっていた」

「今は、『どこで何が起きたか』を紙に書いて、『次はどうするか』をみんなで考えている」


 それは、時間のかかることだ。

 地味なことだ。


 それでも、それが積み重なれば、どこかでちゃんと違いが出てくる。


「ほかの街は」


 ミーナが、小さな声で言う。


「まだ、ブラックなままなんですよね」

「でしょうね」


 俺は苦笑した。


「王都にも、他のダンジョン都市にも、『カルナ支部みたいなところ』は山ほどあると思います」


 沈黙。


 やがて、リナが大きく欠伸をした。


「だからって、『全国出張組合』やる余裕はねえけどな」

「今の時点で手いっぱいです」


 俺も笑う。


「せいぜい、この街のやり方を、どこかが真似してくれれば御の字です」


 ガルドが、椅子の背にもたれた。


「昔、誰かが言ってたな」


 彼は、遠くを見るような目をした。


「『世界を変えようとするんじゃなくて、自分の手の届く場所から順番にマシにしていく』って」

「いい言葉ですね」


 俺は笑った。


「誰ですか、それ言ったの」

「覚えてねえ」


 ガルドが肩をすくめる。


「酔っぱらいの誰かだった気がする」


 ---


 事務所の外から、足音が聞こえた。


「さて、次の相談者は――」


(……いや、今日はここまでって決めたんだろ)


 一度立ち上がりかけて、俺は自分で腰を落とし直した。


 その瞬間、リナが手で制した。


「今日は閉店だ。明日に回せ」

「えっ」


 扉の向こうから聞こえたのは、聞き覚えのある声だった。


「やっぱり、まだ開いてましたか」


 若い前衛が、少し申し訳なさそうな顔で立っていた。


「すみません、ギルドでちょっとした相談をしてたら、こっちに回されて」

「ギルドめ、仕事を押しつけやがったな」


 リナが頭を抱える。


「まあいい。今日は『準備中』だ」


 彼女は、看板を指さした。


「明日、朝一で来い。ユウトは、そのときちゃんと休んだ頭で話を聞け」

「了解です」


 俺は素直に頷いた。


(仕事は終わらない)


 相談がゼロになる日は、多分来ない。

 トラブルも、事故も、理不尽も、完全には消えない。


 それでも。


「じゃあ、今日はここまで」


 ミーナが帳簿を閉じる。


「続きは、明日」


 カルナの夜は、いつものように更けていく。


 二度目の人生。


 全部は変えられなくても、この街一つぶんくらいなら。

 そう思えるだけの仕事を、俺は確かにここで積み重ねている。


「おやすみなさい、ユウトさん」


 ミーナの声に、


「おう、ちゃんと寝ろよ」


 ガルドの声が続き、


「明日も忙しいぞー」


 リナの声が重なる。


 俺は、その声を背中で聞きながら、事務所の明かりを一つずつ消していった。


 扉の外では、カルナの夜がまだざわついている。

 きっと明日も、誰かがこの扉をノックする。


 そのとき、俺はまた帳簿と相談票を手に取るのだろう。

 二度目の人生は、そんなふうに続いていく。


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