少しだけマシになった街
「広い……」
思わず口から漏れたのは、そんな一言だった。
冒険者組合の新しい事務所。
前の借家から、通りを一本挟んだ向かい側。
元は小さな倉庫だったらしい建物を、商人ギルドの紹介で安く借りることができた。
「机がちゃんと並べられる」
ミーナが、信じられないものを見るような顔で言う。
「紙の山を通路に置かなくていい」
「担架を担いだままでも通れる」
ガルドが、半分冗談めかして歩幅を確かめていた。
「奥が相談スペース。手前が受付と事務」
リナが、胸を張る。
「王都からの深層調査の報酬と、本部からの『再建協力費』の一部で、どうにかここまで来られた」
壁には、分厚い帳簿や記録がきれいに並べられていた。
共済の箱も、以前より少し大きく、丈夫なものに変わっている。
「ちゃんと『組合』って感じがしますね」
ミーナが、棚にラベルを貼りながら言う。
「前は、ちょっとした雑貨屋の裏みたいでしたけど」
「それも味があったけどな」
リナが笑う。
「今は、『雑貨屋の裏』じゃなくて、『街一つぶんの裏方』ぐらいにはなったってことだ」
(言い得て妙だ)
俺は、窓から見えるカルナの街を眺めた。
宿屋の看板。
武器屋の煙突。
その向こうに、ダンジョン入口の塔。
どこも相変わらずだが、少しだけ違うところもある。
---
「ユウトさん、これを見てください」
ミーナが、一冊のノートを差し出してきた。
『共済給付記録』
表紙にそう書かれている。
「この半年で、給付を出した件数です」
ページをめくると、簡単な一覧が並んでいた。
・足を折った前衛への一時金
・長期療養が必要になった後衛への生活補助
・深層調査で負傷した者の家族への支援
「全部で十件」
ミーナが指でなぞる。
「大金持ちになれる金額ではないですけど、『これがあったから家賃が払えた』って言ってくれた人もいました」
「十分です」
俺は頷いた。
「共済は、『全部救う』ための仕組みじゃない。『何もないよりはずっとマシ』な盾だ」
前の世界でも、そうだった。
保険や共済は、万能ではない。
でも、あるかないかで人生の折れ方が変わる場面が、確かに存在した。
「払ってくれている人は、どれくらいに増えましたか」
「ええと……」
ミーナは、別のノートを開いた。
「今、組合員が八十人。そのうち、共済に入ってくれているのが五十人」
半分を超えた。
「説明会で『難しくて分からん』って言ってた人も、最近はちょっとずつ来てくれます」
ミーナが、嬉しそうに笑う。
「『あのときはピンと来なかったけど、あいつが助かったの見て、入りたくなった』って」
「数字で説明して、顔で伝わったってことですね」
俺は、共済箱の上に置かれた小さな木札を見た。
『今日も一枚、明日の安心』
ミーナが考えた文句だ。
照れながら書いていたのを思い出し、少し笑ってしまった。
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街の空気も、少しだけ変わっていた。
「ギルドの窓口で、『組合にも相談した?』って聞かれた」
ある若い前衛が、そう話してくれたことがあった。
「前は、『組合に行くな』って顔されたのに」
ギルド本部から来た再建担当官は、「街との協調」を重んじるタイプだった。
「カルナ支部の信用を取り戻すには、数字と外の目が必要だ」
そう言って、ユウトとシュテルンの報告書を手本に、支部内の規程と帳簿の見直しを始めたと聞く。
バロス支部長の姿は、もう街にはない。
代わりに、受付の若い職員たちの表情が、少し柔らかくなった。
「支部長がいなくなってから、あの子たち、やっと普通に笑うようになったな」
リナが、ダンジョン前でそう言ったとき。
「それだけでも、この騒ぎをやった意味があったかもしれない」
俺は、心からそう思った。
---
ある日の夕方。
組合事務所に、一人の老婆がやってきた。
「ここが、冒険者の相談所かい」
背中を丸め、杖をついた小柄な体。
皺だらけの手には、古い布袋が握られている。
「はい。どうされましたか」
ミーナが、お茶を出しながら座ってもらう。
「昔、この街で冒険者をやってた孫がいてね」
老婆は、ゆっくりと話し出した。
「何年か前に、ダンジョンで死んじまった。ギルドからは、『失踪』って言われたけど」
その言葉に、俺は胸の奥がざわつくのを感じた。
「最近になって、市長さんから『補償が出ることになった』って紙が来てね」
老婆は、布袋の中から折りたたまれた紙を取り出した。
「難しい字が多くて、よく分からないんだけど……」
ミーナが、紙を受け取って目を通す。
「これは、王都とギルド本部からの、『過去の事故に対する追加補償』のお知らせです」
震える声だった。
「お孫さんの名前も、ここに」
老婆の目に、涙が浮かんだ。
「そうかい。死んじまったあの子にも、ようやく何かが届いたのかい」
俺は、そっと老婆の前に座った。
「お金で全部が戻ってくるわけではありません」
そう前置きしたうえで、続ける。
「でも、『何もなかった』ことにされていた事故が、『あった』と認められた。それだけは、変わったと思います」
老婆は、しばらく黙って紙を見つめていた。
やがて、小さくうなずく。
「あの子の命日の日に、この金で、好きだった肉を買ってやるよ」
そう言って笑った顔は、どこか晴れ晴れとしていた。
---
深層調査のあとも、ダンジョンは相変わらず危険だった。
新しい事故が完全になくなるわけではない。
それでも、以前と違うのは。
「ユウト、共済の支払い申請、もう書類が揃ってる」
ミーナが、きちんと整えられた紙束を持ってくること。
「ギルドからの事故報告も、あの再建担当官がちゃんと説明してくれる」
リナが、ため息混じりにそう言いながらも、どこか安心した顔をしていること。
「街の商人たちも、『共済に入ってる冒険者の方が安心してツケができる』とか言い始めてる」
ガルドが、酒場でそんな話を聞いてきて、苦笑していること。
少しずつだが、「安全」と「記録」が、冒険者の日常の一部になってきていた。
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夜。
仕事を終えたあと、俺は新しい事務所の窓際に座って、カルナの街を眺めていた。
「前よりマシになった、と思いますか」
いつの間にか隣に座っていたミーナが、そう尋ねてきた。
「なりましたよ」
俺は、迷わずに答えた。
「前は、事故が起きても、『運が悪かった』で終わっていた」
「今は、記録が残る」
ミーナが、小さく続ける。
「誰が、どこで、どうして怪我をしたか。どう助かったか」
「それを見て、『次は同じ失敗をしないように』って考えられる」
俺は笑った。
「それに、一番変わったのは――」
一度言葉を切ってから、続ける。
「『相談していい場所がある』って、みんなが知っていることだと思います」
前の世界では、多くの人が、どこに相談していいか分からなかった。
相談先があっても、「どうせ無駄だ」と諦めていた。
今世のカルナには、少なくともギルド、市役所、組合という三つの窓口がある。
完璧ではない。
それでも、「一人きりで抱え込まなくていい」と思える人が少しでも増えたなら、それは確かに街一つぶんの働き方を変え始めている。
「ユウトさんは、まだ働きすぎですけどね」
ミーナが、ちょっとだけ怒った顔で言った。
「寝てますよ。前よりは」
「前より、は」
ミーナは、じとっとした目で見てきた。
「今度、本当に倒れたら、神様に文句言いに行きますから」
胡散臭い魔法使いコスプレの神様の顔が頭に浮かび、思わず笑ってしまった。
「そのときは、一緒に行きましょうか」
そう言うと、ミーナも笑った。
カルナの夜風は、少しだけ優しくなっていた。
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