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緊急時の指揮と、実務の力

 第六階層で何が起きていたか。

 そのとき俺はベースキャンプにいたので、直接この光景を見てはいない。

 ここから先は、後でガルドやリナたちから聞いた話を、俺なりに整理したものだ。


「全隊に伝令! 撤退準備!」


 ガルドの怒鳴り声が、石の回廊に響いた。


 第六階層。


 結界の一部が破れた広間には、黒い霧のような魔力が渦巻いている。

 そこから次々と魔物が湧き出し、通路を塞いでいた。


「前衛は盾を前に! 後衛は回復と援護に専念! 無理に押し返すな、道を開けろ!」


 ガルドの指示に従って、冒険者たちが動く。


「支部長、ここは一度下がる!」


 ガルドは、前線に立つバロスに向かって叫んだ。


「規定の撤退ラインは超えている!」

「まだ押せる!」


 バロスは、血走った目で魔物の群れを睨んだ。


「ここで引いたら、王都に笑われるぞ!」


(王都に笑われるのと、死ぬのと、どっちが嫌か考えろ)


 喉まで出かかった言葉を飲み込んだ、そのとき。


「支部長!」


 高く澄んだ笛の音が、広間に響き渡った。


 リナの笛だ。


「『撤退開始』の合図です!」


 誰かの叫びとともに、冒険者たちの視線が一斉にガルドに向く。


 ガルドは、契約条文の一文を思い出した。


『緊急時に指名された者は、撤退の判断を行い、その理由と状況を後に報告する義務を負う』


(報告は後だ。今は、生かして帰す)


 ガルドは、大きく息を吸った。


「全隊! 俺の指示に従え!」


 ---


「第一隊、南側通路から撤退! 第二隊、北東通路へ! 第三隊は負傷者の護衛!」


 ガルドは、地図で確認していた通路構造を頭の中でなぞりながら、指示を飛ばした。


「ここを抜けるぞ!」


 リナ率いる予備隊が、側面の通路から飛び込んでくる。


「こっちはまだ魔物が薄い!」


 先頭を走るリナが、盾で小型の魔物を蹴散らす。

 その後ろに、担架を抱えた冒険者たち。


「動けるやつは、自分の足で走れ! 動けないやつは担架に乗れ! 躊躇する時間はない!」


 リナの声が、悲鳴と怒号を上書きする。


「支部長!」


 ガルドは、まだ前線から下がろうとしないバロスの前に立った。


「先頭で指揮してる暇はありません! 撤退ルートの最後尾で、全員が抜けるのを見届けてください!」

「俺に撤退指揮を押しつけるつもりか」

「『支部長』の仕事はそういうものです」


 ガルドは、あえて敬語を使った。


「ここで倒れたら、それこそ王都に笑われます」


 バロスの顔が、悔しそうに歪む。


「……いいだろう」


 彼は渋々と後退を始めた。


 その背中を見送りながら、ガルドは小さく息を吐く。


(後で、王都にどう書くかはユウトに任せる)


 今は、とにかく生還を優先する。


 ---


 その頃、ベースキャンプ。


「負傷者ルート、こっちです!」


 ミーナが、矢印だらけの地図を片手に走り回っていた。


「担架の人たちは、この通路を三つ先で右に! 治療師は二番テントと四番テントに分かれてください!」


 慣れない大声で叫びながらも、ミーナは必死に動線を管理する。


「ミーナ、息が上がってるぞ」


 俺が、息を整えるよう手振りで示した。


「大丈夫です……! ここで迷子出したら、もっと大変なので」


 彼女の手元の紙には、「誰が」「どの隊に」「どのテントに向かったか」が、簡単な記号で書き込まれていく。


「記録なんて後でいいって言う人もいるかもしれませんが」


 ミーナは、小さく息を吐いた。


「後で『誰が戻ってこなかったか』を探すときに、ここが頼りになります」

「その通りです」


 俺は頷いた。


「記録は、今も後も守るためにある」


 俺の手元にも、別の紙束があった。


 ・撤退開始の時刻

 ・負傷者の数と状態

 ・各隊の位置情報(伝令ベース)


「外から見た動きも、あとで整理する」


 俺は、小さく自分に言い聞かせた。


「『あのときどう動けばよかったか』を考える材料にするために」


 ---


「右だ! 右に曲がれ!」


 ガルドの声が、石の回廊に響く。


 通路の先で、リナが盾を構えた。


「ここで一列になるな! 二列を保て! 押されても、すぐ横に逃げられるように!」


 挟まれそうになった隊に、予備隊が横から割り込んで道を開く。


「負傷者優先! 全員で英雄になろうとするな!」


 リナの叫びに、若い前衛が悔しそうに笑う。


「英雄はガルドに任せる!」

「いらん」


 ガルドが短く返す。


「生きて帰れ」


 その一言に、隊の空気が少し変わる。


 恐怖と興奮の中で、冒険者たちの動きが、わずかに整っていく。


 ---


 撤退は、決してスマートではなかった。


 途中で足を滑らせて転ぶ者。

 担架から落ちそうになる負傷者。

 通路に押し寄せる魔物を、ギリギリで押し返す場面もあった。


 それでも、事前に決めていた「合流ポイント」と「担架搬送ルート」があったおかげで、「どこに集まればいいか」が全員に共有されていた。


「第三合流地点、確認!」


 リナが声を上げる。


「ここで一度人数を数える!」


 ガルドが、素早く指折り数えた。


「……五人足りねえ」

「二隊の後衛がまだ来てません!」


 伝令が息を切らしながら叫ぶ。


「道に迷ったか、足止め食らってるな」


 ガルドは、即座に決断した。


「リナ、予備隊半分連れて、戻るルートの確認に行ってくれ。ここから先には進むな」

「了解」


 リナは、選抜した数人を連れて駆け出した。


「ガルドは?」

「ここで全体を止める」


 ガルドは、負傷者たちの方を向いた。


「ここから先に進ませたら、本当に迷子が出る」


 その判断は、契約にも想定にもなかった「現場の裁量」だった。


「支部長には?」


 誰かが不安そうに聞く。


「後で怒られる」


 ガルドは、淡々と言った。


「そのときは、『契約の緊急条項に従って判断した』って、ユウトに紙を書いてもらう」


 それを聞いて、数人が小さく笑った。


 笑いは、恐怖をほんの少しだけ薄める。


 ---


 どれくらいの時間が経っただろうか。


「戻りました!」


 リナの声とともに、遅れていた後衛たちが現れた。

 その後ろには、血まみれの冒険者を担いだ者たちの姿もある。


「通路が一つ、崩れてた」


 リナが息を切らしながら言う。


「地図にない穴ができてて、回り道に時間がかかった」

「全員か」


 ガルドが確認する。


「数は?」

「二人、戦闘不能。うち一人は、かなり重い」


 リナの顔が、悔しそうに歪む。


「でも、全員生きてる」


 ガルドは、深く息を吐いた。


「よし。全隊、このまま撤退続行だ」


 ---


 ベースキャンプに戻ると、空気が一変した。


 負傷者で埋め尽くされたテントの中で、治療師たちが忙しく動き回っている。


「全員、数は合ってます!」


 ミーナが、記録用紙を握りしめながら叫んだ。


「重傷者八人、中傷者十五人、軽傷者多数!」

「死亡者は?」


 ユウトの問いに、ミーナは震える声で答えた。


「いません」


 テントの外で、かすかな安堵のため息が広がった。


「よくやった」


 ユウトが、ミーナの肩に手を置いた。


「記録も人数確認も、全部『今』を守るための仕事だ」


 ミーナは、目に涙を浮かべながら頷いた。


「ガルドさんの方にも、報告お願いね」


 リナが、テントに入ってきた。


 鎧は傷だらけだが、目は生きている。


「あいつ、後で『何人助けたか』って数字を気にするから」


 ---


「……ひどい有り様だな」


 バロスが、負傷者たちを見回して言った。


 その顔には、怒りとも悔しさともつかないものが浮かんでいる。


「だが、誰も死んでいない」


 シュテルンが静かに言った。


「それは、評価すべき結果です」


 バロスは、黙ってシュテルンを睨んだ。


「『結界の異常』が明らかになった段階で、一度進軍を止めていれば、負傷者の数はもっと少なかったかもしれませんが」


 シュテルンの言葉は、あえてそこから先を口に出さなかった。


(あの人なりに、支部長を守ろうとしているんだろうな)


 ユウトは内心で思った。


「報告書の草案は、こちらでまとめておきます」


 シュテルンが言う。


「契約の条文に従って、『危険度再評価』『緊急時の指揮権発動』『撤退判断の理由』を、整理しておきましょう」

「お願いします」


 ユウトは頭を下げた。


「あとで、細かい数字は一緒に詰めさせてください」


 ガルドが、テントの入口に立っていた。


「俺も、何がどう動いて、どこで躓きかけたか、ちゃんと整理しておきてえ」

「もちろん」


 ユウトは笑った。


「そのために、全部書き残したんですから」


 ---


 深層調査は、一時中断となった。


 結界の修復と、ルートの再確認。

 負傷者の回復と、隊の再編成。


 やるべきことは山ほどある。


「王都には、とりあえず『一度目の報告』を送っておきます」


 市長が、疲れた顔で言った。


「結界の状態、魔物の動き、今回の負傷者の数。そして、『契約の緊急条項が実際に発動し、機能した』こと」

「そこは、ちゃんと書いてほしいですね」


 ユウトは頷いた。


「紙の上だけの条文じゃなくて、『使ったらこうなった』って実例として」


 商人ギルド代表が、ふっと笑う。


「王都の役人も、こういう『実務の報告』は好きだ」


 ユウトは、胸の奥で静かな手応えを感じていた。


 紙と数字で作った仕組みが、初めて「現場の命」を守るために動いた。


 完璧ではない。

 怪我人も出た。

 通路が崩れるという想定外の事態にも、全て対応しきれたわけではない。


 それでも。


(前の世界で、何度も「紙なんて役に立たない」と言われた)


 あのとき、心のどこかで反論できなかった自分とは違う。


(今回は、少なくとも『紙が役に立った場面』を、胸を張って指差せる)


 それは、ユウトにとって、二度目の人生の中でも指折りに大きな一歩だった。


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