準備会議と契約案バトル①
「――安全管理に関する条項、案がまとまりました」
数日後の朝。
組合事務所の机の上には、何度も書き直した紙が重ねられていた。
「読んでみるぞ」
リナが紙を手に取り、声に出して読む。
「『調査中の危険度や状況の変化は、ギルドと組合が共有すること。重大な危険が判明したときは、冒険者に説明し、撤退か続行かを選ぶ時間を与えること』」
「そこは譲れないですね」
俺は頷いた。
「『安全管理はギルドの裁量』って一文にされると、また現場が置いてけぼりになる」
「次」
リナは、紙の別の行を追う。
「『死亡・重傷時の補償については、事前に条件を明示し、ギルド・組合・冒険者本人が署名または印をもって確認すること』」
「署名とか印って、みんな嫌がらないかな」
ミーナが、おずおずと聞いてくる。
「『口頭で説明しました』って言われるよりは、ずっとマシですよ」
俺は笑った。
前の世界でも、口約束ほど後で揉めた。
「報酬配分の条文は?」
ガルドが椅子に腰かけたまま聞いてくる。
「そこが一番気になる」
「こっちです」
俺は別の紙を差し出した。
「調査全体の報酬を、ギルド・冒険者・組合でどう分けるかの案です」
リナとガルドが覗き込む。
「ギルドが三。冒険者が六。組合が一」
リナが読み上げる。
「ギルドの取り分が、多いような、少ないような」
「現実的なラインだと思います」
俺は肩をすくめた。
「表向きは『ギルドが主導』って建前を残しつつ、冒険者の取り分を削りすぎないギリギリです」
「組合の一は?」
「記録と交渉のコストですね」
俺は淡々と説明する。
「共済の相談窓口も、事故時の書類も、全部タダでは回らない」
ガルドが、納得したように頷いた。
「問題は、向こうがどこまで飲むかだな」
「飲まなくても、いいんです」
リナとガルドが、同時にこちらを見る。
「最初から完璧な案を通そうとすると、必ず跳ね返されます」
俺は、ペンの先で紙を軽く叩いた。
「こっちの案に、あえて『向こうが削りたくなる部分』も混ぜてある」
「おとり条文ってやつか」
ガルドが、ニヤリとした。
「向こうがそこに噛みついてくれれば、その代わりに『本当に欲しい条文』を残しやすくなる」
「やっぱり、頭の悪いケンカじゃねえなあ」
リナが呆れたように笑う。
「よし。準備会議とやら、見せてもらおうじゃねえか」
---
カルナ市庁舎に向かう道すがら、俺たちはダンジョンの塔のふもとをかすめた。
入口前の広場では、遠征から戻ったばかりのパーティーが、治療院の担架に仲間を乗せて運んでいる。
血のにおいと、乾いた汗と、擦れた革鎧の音。
(ここの一行一行が、あいつらの生き死にを決める)
胸の奥を押さえながら、俺は庁舎の石段を上った。
準備会議の会場は、カルナ市庁舎の小さな会議室だった。
長机を挟んで、片側にギルド側。
バロスとシュテルン、それから数人の職員。
反対側に、組合側。
リナと俺、ガルド。
市長と商人ギルド代表は、少し離れた席から様子を見ている。
「では、本日の議題は『深層調査の契約案について』ということでよろしいですね」
市長の一声で、会議が始まった。
「まず、ギルド側の案を」
シュテルンが立ち上がり、数枚の紙を配る。
「カルナ支部としての契約案です」
俺は紙を受け取り、目を走らせた。
『第〇条 指揮系統
調査中の一切の指揮権は、中央冒険者ギルド・カルナ支部長が持つものとする』
(まあ、そう来るよな)
『第〇条 安全管理
安全管理に関する決定は、ギルドの裁量によるものとし、冒険者および組合はこれに従うものとする』
(これも予想通り)
『第〇条 報酬配分
調査の報酬のうち、ギルドは総額の四割を管理費として受け取る。残りを冒険者に配分する』
(四割は、さすがに高い)
俺は、紙をテーブルの上に置き、目線を上げた。
「さすがに、分かりやすくて助かります」
そう言うと、シュテルンは薄く笑った。
「率直さは大事だと考えておりますので」
「じゃあ、うちの案も率直に出す」
リナが、俺の書いた紙を相手側に滑らせた。
「こっちは、『共同』でやるって前提の案だ」
シュテルンが目を通し始める。
最初の数行を読んだところで、彼の指先がぴくりと止まった。
「なるほど」
静かにそう言って、シュテルンは紙をテーブルに置く。
「順番に見ていきましょうか」
---
「まず、指揮系統の条文から」
シュテルンが、自分たちの案の一行を指さした。
「調査中の一切の指揮権は、カルナ支部長が持つ。これは譲れません」
「全部か?」
リナが眉をひそめる。
「安全管理も、撤退の判断も、現場の声を聞かずに決めるってことか」
「現場の声は聞きます。ただ、最終決定権は一つでなければならない」
シュテルンは淡々と言う。
「責任の所在を明確にするためにも」
「責任を取るつもりがあるならな」
ガルドが、小さく毒を含ませた。
俺は、自分たちの案の紙を指さした。
「うちの案では、こうしました」
『調査中の指揮権は、原則としてカルナ支部長が持つ。
ただし、重大な危険が発生し、支部長が判断できないまたは不在の場合、予め定めた基準に従い、組合側の代表者が撤退を提案できるものとする』
シュテルンが、目を細める。
「『提案できる』」
その言葉を、彼は繰り返した。
「決定ではなく、提案」
「はい」
俺は頷く。
「最終決定はあくまで支部長。ただ、現場で判断が止まったときの『避難ルート』として、別の口を用意したい」
バロスが、露骨に不快そうな顔をした。
「支部長が判断できない、とは何だ」
「例えば、大怪我で意識を失っているとか」
俺は、できるだけ静かに言った。
「あるいは、現場の状況を把握しきれていないとか」
バロスの顔が赤くなる。
「支部長が現場を理解していない、とでも言いたいのか」
「いいえ」
俺は首を振った。
「ただ、『どんなに優れた指揮官でも、倒れることはある』という前提で契約を書きたいだけです」
市長が、小さく頷いた。
「安全管理の観点から見れば、妥当な考え方だと思います」
商人ギルド代表も口を挟む。
「王都の文書にも、『緊急時の指揮系統の明確化』という一文がありますからな」
シュテルンは、しばらく沈黙した。
やがて、小さく息を吐く。
「『提案できる』という表現のままであれば、検討の余地はあるかと」
リナが、俺をちらりと見る。
(まず一つ)
心の中で、小さく指を折った。
---
「次は、安全管理」
シュテルンが、自分たちの案の条文をなぞる。
「『安全管理に関する決定は、ギルドの裁量によるものとし、冒険者および組合はこれに従うものとする』」
「それだと、『危険手当をカットする』のも『撤退を禁止する』のも、全部『裁量』で済むことになります」
俺は、淡々と反論した。
「うちの案では、こうです」
『危険度が変化した場合、ギルドと組合は、冒険者に対してその内容と影響を説明すること。
説明の後、撤退か続行かを選ぶ時間を与えること』
「説明、説明と来ますね」
シュテルンが、薄く笑う。
「あなたは本当に、『説明義務』がお好きだ」
「前の仕事でも、そこだけは守るよう叩き込まれましたので」
俺も笑った。
市長が、興味深そうに言う。
「冒険者に説明する時間を与える、か」
「危険度が変わったときに『話し合いの時間』を確保しないと、現場はいつも『知らないうちに条件が変わっていた』ことになります」
俺は続けた。
「説明したうえで『それでも行く』と決めるなら、それは本人たちの選択です。でも、知らないまま行かされるのは、違う」
商人ギルド代表が、うなずく。
「その方が、後の揉め事も減る」
シュテルンは、少しだけ考え込んだ。
「『時間を与える』というのは、具体的にどの程度を想定していますか」
「現場で五分話せれば上等でしょう」
俺は正直に言った。
「紙を読む時間ではなく、『状況を聞いて、どうするか決める』時間です」
バロスが、面倒くさそうに眉をひそめる。
「そんな時間があったら、準備を進めた方がいいだろう」
「その五分を惜しんで、後で何時間も揉める方が、もっと無駄です」
俺の言葉に、市長が思わず笑った。
「それは、行政にも刺さる話ですな」
シュテルンは、観念したように息を吐いた。
「『可能な範囲で』という文言を足していただけるなら、検討しましょう」
予想していた逃げ道だ。
「『可能な範囲で』を入れる代わりに、『説明の内容を記録する』という一文も加えたい」
俺は即座に提案した。
「『誰が、いつ、どう説明したか』を紙に残す。それがあれば、後で『言った/言わない』の争いを減らせます」
シュテルンが、わずかに目を見開く。
「なるほど。そう来ますか」
バロスが、露骨に嫌そうな顔をした。
「毎回そんな紙を書いていたら、事務が回らん」
「そのために組合がいるんです」
俺は静かに返した。
「現場の説明を、組合側の記録係が手伝う。負担は、うちが持ちます」
リナが、にやりと笑った。
「紙と数字の肉体労働は、ユウトの仕事だからな」
会議室に、わずかな笑いが走る。
「……記録を組合側に握らせるつもりですか」
シュテルンが、少しだけ苦い表情を浮かべた。
「『握る』というより、『共有する』ですね」
俺は正直に答えた。
「事故が起きたときに、『どこで何を間違えたか』を一緒に検証するための材料です」
市長と商人ギルド代表が、同時にうなずいた。
「その方向で、文章を整えてみましょう」
シュテルンが言った。
(二つ目)
心の中で、また指を折る。
---
この日の準備会議では、まだ報酬配分までは踏み込めなかった。
指揮系統と安全管理の条文だけで、会議の時間は尽きたからだ。
「続きは次回」
市長がまとめる。
「その前に、双方で案を修正しておいてください」
会議室を出ると、リナが大きく伸びをした。
「ふー……頭使った」
「使ったのはほとんどユウトだろ」
ガルドが笑う。
「あたしは『それは嫌だ』『それはいい』って言ってただけだ」
「それが一番大事なんですよ」
俺は笑い返した。
(条文を書くだけなら、一人でもできる)
でも、「現場の感覚」が抜けた条文は、どこかで無理が出る。
次の会議では、いよいよ「金と権限」の話に踏み込むことになる。
ギルドと組合。
王都と街。
それぞれの思惑が一行一行に滲む契約案のバトルは、まだ序盤に過ぎなかった。
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