表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

20/24

準備会議と契約案バトル①

「――安全管理に関する条項、案がまとまりました」


 数日後の朝。


 組合事務所の机の上には、何度も書き直した紙が重ねられていた。


「読んでみるぞ」


 リナが紙を手に取り、声に出して読む。


「『調査中の危険度や状況の変化は、ギルドと組合が共有すること。重大な危険が判明したときは、冒険者に説明し、撤退か続行かを選ぶ時間を与えること』」

「そこは譲れないですね」


 俺は頷いた。


「『安全管理はギルドの裁量』って一文にされると、また現場が置いてけぼりになる」

「次」


 リナは、紙の別の行を追う。


「『死亡・重傷時の補償については、事前に条件を明示し、ギルド・組合・冒険者本人が署名または印をもって確認すること』」

「署名とか印って、みんな嫌がらないかな」


 ミーナが、おずおずと聞いてくる。


「『口頭で説明しました』って言われるよりは、ずっとマシですよ」


 俺は笑った。


 前の世界でも、口約束ほど後で揉めた。


「報酬配分の条文は?」


 ガルドが椅子に腰かけたまま聞いてくる。


「そこが一番気になる」

「こっちです」


 俺は別の紙を差し出した。


「調査全体の報酬を、ギルド・冒険者・組合でどう分けるかの案です」


 リナとガルドが覗き込む。


「ギルドが三。冒険者が六。組合が一」


 リナが読み上げる。


「ギルドの取り分が、多いような、少ないような」

「現実的なラインだと思います」


 俺は肩をすくめた。


「表向きは『ギルドが主導』って建前を残しつつ、冒険者の取り分を削りすぎないギリギリです」

「組合の一は?」

「記録と交渉のコストですね」


 俺は淡々と説明する。


「共済の相談窓口も、事故時の書類も、全部タダでは回らない」


 ガルドが、納得したように頷いた。


「問題は、向こうがどこまで飲むかだな」

「飲まなくても、いいんです」


 リナとガルドが、同時にこちらを見る。


「最初から完璧な案を通そうとすると、必ず跳ね返されます」


 俺は、ペンの先で紙を軽く叩いた。


「こっちの案に、あえて『向こうが削りたくなる部分』も混ぜてある」

「おとり条文ってやつか」


 ガルドが、ニヤリとした。


「向こうがそこに噛みついてくれれば、その代わりに『本当に欲しい条文』を残しやすくなる」

「やっぱり、頭の悪いケンカじゃねえなあ」


 リナが呆れたように笑う。


「よし。準備会議とやら、見せてもらおうじゃねえか」


 ---


 カルナ市庁舎に向かう道すがら、俺たちはダンジョンの塔のふもとをかすめた。

 入口前の広場では、遠征から戻ったばかりのパーティーが、治療院の担架に仲間を乗せて運んでいる。

 血のにおいと、乾いた汗と、擦れた革鎧の音。

(ここの一行一行が、あいつらの生き死にを決める)

 胸の奥を押さえながら、俺は庁舎の石段を上った。


 準備会議の会場は、カルナ市庁舎の小さな会議室だった。


 長机を挟んで、片側にギルド側。

 バロスとシュテルン、それから数人の職員。


 反対側に、組合側。

 リナと俺、ガルド。


 市長と商人ギルド代表は、少し離れた席から様子を見ている。


「では、本日の議題は『深層調査の契約案について』ということでよろしいですね」


 市長の一声で、会議が始まった。


「まず、ギルド側の案を」


 シュテルンが立ち上がり、数枚の紙を配る。


「カルナ支部としての契約案です」


 俺は紙を受け取り、目を走らせた。


『第〇条 指揮系統

 調査中の一切の指揮権は、中央冒険者ギルド・カルナ支部長が持つものとする』


(まあ、そう来るよな)


『第〇条 安全管理

 安全管理に関する決定は、ギルドの裁量によるものとし、冒険者および組合はこれに従うものとする』


(これも予想通り)


『第〇条 報酬配分

 調査の報酬のうち、ギルドは総額の四割を管理費として受け取る。残りを冒険者に配分する』


(四割は、さすがに高い)


 俺は、紙をテーブルの上に置き、目線を上げた。


「さすがに、分かりやすくて助かります」


 そう言うと、シュテルンは薄く笑った。


「率直さは大事だと考えておりますので」


「じゃあ、うちの案も率直に出す」


 リナが、俺の書いた紙を相手側に滑らせた。


「こっちは、『共同』でやるって前提の案だ」


 シュテルンが目を通し始める。


 最初の数行を読んだところで、彼の指先がぴくりと止まった。


「なるほど」


 静かにそう言って、シュテルンは紙をテーブルに置く。


「順番に見ていきましょうか」


 ---


「まず、指揮系統の条文から」


 シュテルンが、自分たちの案の一行を指さした。


「調査中の一切の指揮権は、カルナ支部長が持つ。これは譲れません」

「全部か?」


 リナが眉をひそめる。


「安全管理も、撤退の判断も、現場の声を聞かずに決めるってことか」

「現場の声は聞きます。ただ、最終決定権は一つでなければならない」


 シュテルンは淡々と言う。


「責任の所在を明確にするためにも」

「責任を取るつもりがあるならな」


 ガルドが、小さく毒を含ませた。


 俺は、自分たちの案の紙を指さした。


「うちの案では、こうしました」


『調査中の指揮権は、原則としてカルナ支部長が持つ。

 ただし、重大な危険が発生し、支部長が判断できないまたは不在の場合、予め定めた基準に従い、組合側の代表者が撤退を提案できるものとする』


 シュテルンが、目を細める。


「『提案できる』」


 その言葉を、彼は繰り返した。


「決定ではなく、提案」

「はい」


 俺は頷く。


「最終決定はあくまで支部長。ただ、現場で判断が止まったときの『避難ルート』として、別の口を用意したい」


 バロスが、露骨に不快そうな顔をした。


「支部長が判断できない、とは何だ」

「例えば、大怪我で意識を失っているとか」


 俺は、できるだけ静かに言った。


「あるいは、現場の状況を把握しきれていないとか」


 バロスの顔が赤くなる。


「支部長が現場を理解していない、とでも言いたいのか」

「いいえ」


 俺は首を振った。


「ただ、『どんなに優れた指揮官でも、倒れることはある』という前提で契約を書きたいだけです」


 市長が、小さく頷いた。


「安全管理の観点から見れば、妥当な考え方だと思います」


 商人ギルド代表も口を挟む。


「王都の文書にも、『緊急時の指揮系統の明確化』という一文がありますからな」


 シュテルンは、しばらく沈黙した。

 やがて、小さく息を吐く。


「『提案できる』という表現のままであれば、検討の余地はあるかと」


 リナが、俺をちらりと見る。


(まず一つ)


 心の中で、小さく指を折った。


 ---


「次は、安全管理」


 シュテルンが、自分たちの案の条文をなぞる。


「『安全管理に関する決定は、ギルドの裁量によるものとし、冒険者および組合はこれに従うものとする』」

「それだと、『危険手当をカットする』のも『撤退を禁止する』のも、全部『裁量』で済むことになります」


 俺は、淡々と反論した。


「うちの案では、こうです」


『危険度が変化した場合、ギルドと組合は、冒険者に対してその内容と影響を説明すること。

 説明の後、撤退か続行かを選ぶ時間を与えること』


「説明、説明と来ますね」


 シュテルンが、薄く笑う。


「あなたは本当に、『説明義務』がお好きだ」

「前の仕事でも、そこだけは守るよう叩き込まれましたので」


 俺も笑った。


 市長が、興味深そうに言う。


「冒険者に説明する時間を与える、か」

「危険度が変わったときに『話し合いの時間』を確保しないと、現場はいつも『知らないうちに条件が変わっていた』ことになります」


 俺は続けた。


「説明したうえで『それでも行く』と決めるなら、それは本人たちの選択です。でも、知らないまま行かされるのは、違う」


 商人ギルド代表が、うなずく。


「その方が、後の揉め事も減る」


 シュテルンは、少しだけ考え込んだ。


「『時間を与える』というのは、具体的にどの程度を想定していますか」

「現場で五分話せれば上等でしょう」


 俺は正直に言った。


「紙を読む時間ではなく、『状況を聞いて、どうするか決める』時間です」


 バロスが、面倒くさそうに眉をひそめる。


「そんな時間があったら、準備を進めた方がいいだろう」

「その五分を惜しんで、後で何時間も揉める方が、もっと無駄です」


 俺の言葉に、市長が思わず笑った。


「それは、行政にも刺さる話ですな」


 シュテルンは、観念したように息を吐いた。


「『可能な範囲で』という文言を足していただけるなら、検討しましょう」


 予想していた逃げ道だ。


「『可能な範囲で』を入れる代わりに、『説明の内容を記録する』という一文も加えたい」


 俺は即座に提案した。


「『誰が、いつ、どう説明したか』を紙に残す。それがあれば、後で『言った/言わない』の争いを減らせます」


 シュテルンが、わずかに目を見開く。


「なるほど。そう来ますか」


 バロスが、露骨に嫌そうな顔をした。


「毎回そんな紙を書いていたら、事務が回らん」

「そのために組合がいるんです」


 俺は静かに返した。


「現場の説明を、組合側の記録係が手伝う。負担は、うちが持ちます」


 リナが、にやりと笑った。


「紙と数字の肉体労働は、ユウトの仕事だからな」


 会議室に、わずかな笑いが走る。


「……記録を組合側に握らせるつもりですか」


 シュテルンが、少しだけ苦い表情を浮かべた。


「『握る』というより、『共有する』ですね」


 俺は正直に答えた。


「事故が起きたときに、『どこで何を間違えたか』を一緒に検証するための材料です」


 市長と商人ギルド代表が、同時にうなずいた。


「その方向で、文章を整えてみましょう」


 シュテルンが言った。


(二つ目)


 心の中で、また指を折る。


 ---


 この日の準備会議では、まだ報酬配分までは踏み込めなかった。


 指揮系統と安全管理の条文だけで、会議の時間は尽きたからだ。


「続きは次回」


 市長がまとめる。


「その前に、双方で案を修正しておいてください」


 会議室を出ると、リナが大きく伸びをした。


「ふー……頭使った」

「使ったのはほとんどユウトだろ」


 ガルドが笑う。


「あたしは『それは嫌だ』『それはいい』って言ってただけだ」

「それが一番大事なんですよ」


 俺は笑い返した。


(条文を書くだけなら、一人でもできる)


 でも、「現場の感覚」が抜けた条文は、どこかで無理が出る。


 次の会議では、いよいよ「金と権限」の話に踏み込むことになる。


 ギルドと組合。

 王都と街。


 それぞれの思惑が一行一行に滲む契約案のバトルは、まだ序盤に過ぎなかった。


【作者からのお願い】

もし、「おもしろい」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマーク登録をしていただけるとうれしいです。また「いいね」や感想もお待ちしています!

また、☆で評価していただければ大変うれしいです。

皆様の応援を励みにして頑張りますので、よろしくお願い致します!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ