王都からの指名依頼
「ユウトさん、市庁舎から文書が届きました」
朝の組合事務所で、ミーナが小さな封筒を抱えて駆け込んできた。
「うち宛てです。『冒険者組合カルナ事務所 ユウト殿』って」
「市庁舎から、こっちに直接?」
リナが目を丸くする。
今までは、何かあるときはだいたい「市長室に来い」という呼び出しだった。
俺は封筒を受け取り、封蝋を割った。
「……なるほど」
中身をざっと読んだ瞬間、思わずそう呟いた。
「何だ?」
「王都から、大口の指名依頼が来たらしいです」
事務所の空気が、一気に変わった。
---
カルナ市庁舎の会議室には、いつもより多くの椅子が並べられていた。
市長。
商人ギルドの代表。
ギルド側からは、支部長バロスとシュテルン。
そして、冒険者組合からはリナと俺、ガルド。
「王都からの正式文書は、こちらです」
市長が机の上に広げたのは、王国の紋章が入った厚手の羊皮紙だった。
『カルナ大迷宮深層調査の実施について』
大きくそう書かれている。
「王都の探索局からの指名だ」
商人ギルド代表が、目を細める。
「カルナ大迷宮の深層で、何か異常が続いているらしい」
市長が、文面をかいつまんで説明する。
「魔物の出現パターンが変わっていること。過去数年の事故報告に不自然な点があること。報告書と遺族の証言が食い違う事例が複数あること」
「事故報告、ね」
バロスが、椅子の背にもたれながら鼻を鳴らした。
「現場の混乱の中じゃ、多少の食い違いはつきものだろう」
シュテルンは何も言わない。
ただ、指先で文書の端を整えていた。
「王都側は、『今のままカルナ支部に深層の管理を任せていいのか』を確認したいようです」
市長の声には、疲労が滲んでいた。
「そのための『深層調査』だと」
「依頼の条件は?」
リナが身を乗り出す。
市長は、文書の別の部分を指でなぞった。
「深層の特定階層までの調査。必要な期間は、一か月から三か月。参加パーティーの最低人数と、必要な戦力の基準は王都が提示」
「報酬は?」
商人ギルド代表が、現実的な質問をする。
「金額は大きい。金貨単位だ」
市長は、重く頷いた。
「ただし」
そこで、声が一段低くなる。
「『安全管理と報告の透明性を確保するため、カルナ市として適切な監督体制を敷くこと』という条件が付いている」
沈黙。
「つまり、今までのように『ギルドに丸投げ』では済まない、ということですな」
商人ギルド代表が、ゆっくりと言う。
「王都は、過去の事故処理のやり方に、不信を持っている」
「不信とは心外だな」
バロスが露骨に顔をしかめる。
「カルナ支部は、事故報告も補償も、規程に則って――」
「その『規程』の運用が、果たして冒険者と街のためになっていたかどうか、という話です」
俺は思わず口を挟んだ。
シュテルンの視線が、こちらに向く。
「未払い報酬と死亡補償の件で、王都にも話が行っているのかもしれませんね」
軽くそう付け足すと、市長は少しだけ目を伏せた。
「……噂は、どこからでも上がりますからな」
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「そこで、一つ提案があります」
商人ギルド代表が、指を組み直した。
「カルナ大迷宮深層調査を、ギルドと組合の『共同受注』という形にしてはどうか」
会議室の空気が、ぴり、と張り詰めた。
「共同、だと?」
バロスが眉をひそめる。
「王都からの指名依頼は、ギルドに対して来ているだろうが」
「文書には、『カルナ市および関係機関』とある」
市長が補足する。
「ギルドだけとは書かれていない」
商人ギルド代表が続ける。
「安全管理と記録の面で、組合はすでに一定の実績を積み上げている。王都が不信を抱いているのは、カルナ支部の『数字と報告』の扱い方だ」
「冒険者の管理と依頼の斡旋は、ギルドの専権事項だ」
バロスが、机を指で叩く。
「組合ごときが、王都の指名依頼に口を出せる立場か」
「『ごとき』は言いすぎだ」
リナが低い声で言い返す。
「未払い報酬の回収も、死亡事故の共済も、王都が見ていた数字の一部になってるはずだ」
「そうだとしてもだ」
バロスは、リナを睨みつけた。
「深層調査は遊びじゃない。戦える戦力を動かすためには、ギルドの指揮系統が必要だ」
「戦う指揮はギルドでいい」
リナはあっさり引いた。
「あたしたちが前に出るのは、そこじゃない」
全員の視線が、組合側に集まる。
「共済と記録と交渉の役目」
俺は口を開いた。
「危険度の説明。報酬の配分。事故が起きたときの記録と処理。そういう『紙と数字』の部分を、組合が担う」
シュテルンが、興味深そうに目を細める。
「なるほど。兵站と監査役、というわけですね」
「格好よく言えば、そうかもしれません」
俺は肩をすくめた。
「戦うのは、ギルドと冒険者たち。俺たちは、その足元が抜けないように板を渡すだけです」
市長が、しばらく黙っていた。
やがて、静かに口を開く。
「王都からの依頼を断る選択肢は、カルナ市にはない」
それは、重い現実だった。
「断れば、『カルナ大迷宮の管理に問題あり』と見なされる。最悪、王都直轄の管理に切り替えられる可能性もある」
「それは、ギルドにとっても避けたいはずだ」
商人ギルド代表が言う。
「カルナ支部の権限が、一気に剥ぎ取られる」
バロスは、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「……分かった。依頼そのものは、カルナ支部として受ける」
そこは、まっとうな判断だ。
「だが、共同受注とかいう話は、ギルド本部とも相談が必要だ」
「もちろんだ」
市長が頷く。
「本部との調整は、シュテルン殿にお願いしたい」
シュテルンは、一礼した。
「光栄です」
その目は、どこか楽しげに光っていた。
(こっち側も、準備を急がないとな)
深層調査の契約は、単なる紙切れではない。
そこに何をどう書き込むかで、冒険者の生き死にが変わる。
---
会議が終わり、庁舎の外に出る。
「でかい話になってきたな」
ガルドが、空を見上げながら呟いた。
「王都からの金貨仕事なんて、そうそうねえぞ」
「そのぶん、失敗したときの責任もでかい」
リナが腕を組む。
「あたしらのやり方が王都に認められれば、カルナだけじゃなく、他の街にも『組合』の価値を示せる」
「逆に、ミスったら」
ガルドが、きつめの冗談口調で言う。
「『やっぱり組合なんていらなかった』って話になるな」
「だからこそ、ここが正念場です」
俺は、胸の奥で静かに言った。
「契約の中身を、最初から『ギルド任せ』にはしない」
前の世界で、何度も見てきた失敗だ。
現場の人間が「どうせ上が決める」と思っているときほど、現場に不利な条文がすべり込む。
「ユウト」
リナがこちらを見る。
「契約の草案、頼めるか」
「もちろん」
それは、俺がこの世界に連れて来られた理由の一つだろう。
「王都とギルドと組合と――三つの思惑を一枚の紙に乗せる仕事です」
「ややこしそうだな」
「ややこしいからこそ、やりがいがあります」
俺は、わざと軽口を叩いた。
「ツクヨも、こういう状況を見越していたのかもしれませんね」
思わず口に出してしまい、リナが首をかしげる。
「ツクヨ?」
「昔の知り合いの名前です。ちょっとした縁があって」
胡散臭い魔法使いコスプレの神様の顔が、頭の隅に浮かぶ。
「二度目の人生で、少しはまともな職場に」と言っていたあのとき。
まさか、ダンジョン深層の契約書と向き合うことになるとは、さすがに想像していなかった。
(でも――)
ユウトとしての今の俺は、少しだけ楽しみにしている自分がいるのを自覚していた。
「じゃあ、まずは『安全管理』からだな」
リナが言う。
「どこまでやるか、どこからやらないか、全部紙に書く」
「報酬配分と、緊急時の指揮権も忘れずに」
俺は、事務所の方角を見た。
机の上には、真っさらな紙が何枚も待っている。
王都からの大口依頼。
それは、単なる一つの仕事ではない。
ギルドと組合と街の力関係を、新しく描き直すための、大きなキャンバスでもあった。
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