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噂とレッテル貼りの攻防

「なあ、聞いたか」


 昼の市場を歩いていると、そんな声が耳に入った。


「組合に入ると、ギルドから仕事を回されなくなるらしいぞ」

「違法だって話もある。ギルドに楯突く連中の集まりだって」


(出たな)


 心の中でため息をつく。


 噂の出どころは見なくても分かる。

 ギルド側が、じわじわと撒いているのだ。


「ユウトさん」


 隣で歩いていたミーナが、不安そうに袖をつまんだ。


「さっき、ブライト亭でも同じことを言ってる人がいました」

「リナは何て?」

「『気にすんな』って笑ってましたけど」


 リナらしい。

 表向きは豪快に笑い飛ばす。

 でも、組合員たちの顔には、少しずつ影が差し始めていた。


 ---


「最近、依頼が減った気がする」


 夕方の事務所で、そんな声があがった。


 話しているのは、組合に早い段階から顔を出していた若い前衛だ。


「前は、あの受付の子が『こういう依頼もありますよ』って教えてくれたんだけどさ」

「最近は?」

「『その枠は埋まってまして』って言われることが増えた」


 別の冒険者も、似たような話をする。


「『組合に出入りしてるやつは、ギルドの信用を落とす』って言われたってやつもいたな」


 リナが、舌打ちをした。


「あからさまに干すってほどじゃねえが、じわじわと『扱いの差』をつけてきてるってわけか」

「ギルドとケンカしてる立場だから、ある程度は覚悟してましたけどね」


 俺は正直に言った。


「問題は、噂に『本当っぽさ』を混ぜてきていることです」

「本当っぽさ?」


 ガルドが眉をひそめる。


「『違法だ』とか、『ギルドに楯突く連中だ』とか。全部が嘘ってわけでもないから、余計タチが悪い」


 組合は、ギルドにとって都合の悪い存在だ。

 それは事実だ。


(前の世界でも、労働組合やフリーランスの団体は、こうやってレッテルを貼られてきた)


「どうする」


 リナが、俺を見る。


「黙ってたら、『やっぱり何か後ろ暗いことがあるからだ』って思われる」

「だから、『見せる』しかありません」


 俺は、机の上の帳簿を指さした。


「うちの中身を」


 ---


 翌日。


 組合事務所の前に、見慣れない看板が立てられた。


『冒険者組合 帳簿と活動の公開日 本日』


「本当に、こんなことやるのか」


 看板を眺めながら、ガルドがため息をつく。


「ギルドが見たら、鼻で笑うぞ」

「笑わせておけばいいです」


 俺は、事務所の中に視線を向けた。


 壁には、大きな紙が何枚も貼られている。


 一枚目。

『今年の組合の収入と支出』


 二枚目。

『共済の掛け金と、支払った一時金の数』


 三枚目。

『未払い報酬の相談件数と、解決した件数』


 数字はできるだけ大きく、字はミーナが丁寧に書いた。


「これ、本当に読んでもらえるでしょうか」


 ミーナが、不安そうに言う。


「最初は眺めてもらえれば十分です」


 俺は笑った。


「『そこに何が書いてあるか』を、誰かが誰かに説明してくれれば、それでいい」


 前の世界でも、決算書を全員に読ませるのは無理だった。

 でも、数字が公開されているかどうかは、大きな違いを生んだ。


(『隠してない』ってこと自体が、噂に対する一つの答えになる)


 ---


 昼を少し過ぎたころ。


「何だ、今日は見世物でもやってるのか」


 そんな声とともに、数人の冒険者が事務所をのぞき込んできた。


「帳簿公開って書いてあったから、冷やかしに来てみた」

「共済がどうなってるか気になってな」


 リナが、にやりと笑う。


「ちょうどいい。好きなところから見てってくれ」


 最初は笑いながら眺めていた連中も、だんだんと真剣な顔になる。


「収入の欄、『会費』『掛け金』『寄付』って分かれてるのか」

「支出は、『家賃』『文具』『共済の給付』」

「『酒代』がない」


 誰かが言って、場に笑いが起きた。


「酒代は各自持ちだ」


 リナが笑い飛ばす。


「それと、『役員報酬』って項目もないな」


 別の男が指さした。


「組合長様が、こっそり金を抜いてるんじゃねえかと思ってたんだが」

「抜いてない」


 リナが、むくれた顔をする。


「むしろ、持ち出しの方が多いくらいだ」


 ミーナが、こっそり「それ、ここには書いてませんけど」と耳打ちした。


「そこは書かなくていい」


 リナが照れ隠しに笑う。


 共済の板の前では、別のやりとりがあった。


「掛け金を払った人数と、給付した回数が書いてある」

「『掛け金を払ってない人への給付はゼロ』」

「線引きはちゃんとしてるってことか」


 その一言に、俺は少し安堵した。


「未払い報酬の相談件数、けっこうあるな」

「解決した件数も、それなりにある」


 そこに書かれた数字は、決して完璧とは言えない。

 でも、「何をやったか」「何をまだやれていないか」が、一目で分かる。


「こうやって見ると、怪しいって感じはしねえな」


 帰り際、そんな声が聞こえた。


「『違法』とか言ってるやつ、これ見てから言ってほしいもんだ」


 ---


 帳簿公開の日から数日後。


 カルナ市庁舎の掲示板に、一枚の紙が貼り出された。


『冒険者および市民向け相談窓口について』


「なんだ、これ」


 張り紙を見に行ったリナが、慌てて事務所に戻ってきた。


「市長が、勝手に話を進めやがった」

「どんな内容です?」


 紙を受け取って目を通す。


 そこには、こう書かれていた。


『冒険者およびその家族、市民の皆さまへ

 報酬未払い、事故時の補償、共済などに関する相談窓口として、以下の場所を利用できます。

 一、中央冒険者ギルド・カルナ支部

 二、カルナ市役所相談室

 三、冒険者組合カルナ事務所(任意の相談窓口として市が認めるもの)』


「……三番目に、うちの名前がある」


 ミーナが、目を丸くした。


「『任意の相談窓口として市が認めるもの』」


 ガルドが低く読み上げる。


「つまり、『違法』とか『勝手な連中』ってレッテルに、市が楔を打ったってことだな」


 リナが、口の端を持ち上げた。


「市長のくせに、やるじゃねえか」

「多分、帳簿公開の話も耳に入ってたんでしょうね」


 俺はそう言いながら、張り紙の下の方に目をやった。


『なお、各窓口の対応内容・費用等はそれぞれ異なります。詳しくは直接お問い合わせください』


(『ギルドだけが窓口じゃない』という事実を、市が公式に認めた)


 それは、法律ではない。

 条文でもない。

 でも、街の人間にとっての「空気」を変えるには、十分な一文だった。


 ---


 夕方。


 ブライト亭は、いつものように騒がしかった。


「市長の張り紙、見たか」


 誰かがそう言い出す。


「組合が、公式の相談先の一つってよ」

「ギルドが聞いたら、顔を真っ赤にするやつだな」


 カウンターの隅で、その会話を聞きながら、俺はエールを一口飲んだ。


「ユウト」


 背中を軽く小突かれる。


 振り向くと、そこにシュテルンが立っていた。

 珍しく、酒場に来ている。


「商談帰りです」


 彼は、そう言ってエールを頼んだ。


「市長の張り紙、拝見しましたか」

「ええ」


 俺は素直にうなずいた。


「ギルドとしては、どう思っているんです」


 シュテルンは、エールを一口飲んでから答えた。


「公式な相談窓口が増えること自体は、悪いことではありません」


 穏やかな口調だ。


「ただ、『責任の所在』が曖昧になるのは好ましくない」

「曖昧にしているのは、どちらでしょう」


 思わずそう返してしまう。


 シュテルンは、ほんのわずかに口元をゆがめた。


「あなたが帳簿を公開したのは、賢い一手でした」


 不意に、そんな言葉が出た。


「噂を消すには、言葉より数字の方が早い」

「褒め言葉として受け取っておきます」


 俺がそう言うと、シュテルンはエールをもう一口飲んだ。


「ですが」


 彼は、グラス越しにこちらを見る。


「このまま、大人しく引き下がるつもりもありません」


 静かな宣言だった。


「ギルドにはギルドのやり方があります。市長や商人ギルドの前で譲った分を、どこかで取り返さねばならない」

「それが、あなたの仕事ですか」

「ええ」


 シュテルンは微笑んだ。


「あなたのような人間が組合側にいる以上、こちらも『頭』を使わねば」


 その言い方には、敵意だけでなく、どこか楽しげな響きも混じっていた。


「楽しそうですね」

「プロ同士の勝負は、嫌いではありませんので」


 シュテルンはグラスを空にし、立ち上がる。


「また、近いうちに」


 そう言い残して、店を出ていった。


 残されたグラスの泡を見つめながら、俺は胸の奥で、小さな火が灯るのを感じていた。


 噂とレッテルの攻防は、まだ始まったばかりだ。


 帳簿と条文。

 そして、街の「空気」。


 二度目の人生で、俺が戦うのは、そういう目に見えにくい場所なのだと、改めて理解した。


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