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条文の穴と、説明義務(後編)

「では、具体的にどうするか、ですな」


 商人ギルド代表が、指を組み直した。


「わしの提案は、三つです」


 全員の視線が、その老人に集まる。


「一つ。この先、新しい依頼を出すときには、『支払期日』を明記させる。例えば、『依頼終了後三十日以内』とか、そんな具合に」


(おお)


 思わず内心で声が出た。


「二つ。すでに保留になっている案件については、『理由』と『見込み』を、冒険者本人に文書で伝える」


 市長が頷く。


「いつまでにどうなるかが分かれば、冒険者も生活の見通しを立てやすい」


「三つ」


 商人ギルド代表が、わずかに口角を上げる。


「今回のように、三か月以上保留されている案件については、ギルドが立て替えで一部を支払う。依頼主からの精算は、後でギルドが受け取ればよい」


「それは、先日、私が申し上げた『前倒し』とほぼ同じ提案かと」


 シュテルンが、静かに言う。


「違うのは、『どの案件を優先するか』を、ギルドの裁量に任せるかどうかです」


 商人ギルド代表が、そこで言葉に力を込めた。


「今回の一覧をもとに、優先順位を決める場に、市長と我々も立ち会う。少なくとも、『組合を敵視しているから後回しにする』といった恣意的な運用は、街として認めません」


 シュテルンの笑みが、ほんのわずかに固くなった。


(そこまで読み切ってるのか、このおじいさん)


「市長」


 商人ギルド代表が、視線を向ける。


「どう思われますかな」


 市長は、しばらく黙っていた。

 やがて、静かに頷く。


「街としても、妥当な落としどころと考えます」


 そして、ギルド側を見る。


「ギルドさん。カルナ市として、今後もギルドを『冒険者の公式窓口』として扱う前提で、お尋ねします」


 市長の声が、少しだけ硬くなる。


「この三つの提案――支払期日の明記、説明の徹底、長期保留案件の前倒し支払い――に、原則として同意できますか」


 部屋の空気が、ぴんと張り詰めた。


 シュテルンは、ゆっくりと目を閉じる。


「……支払期日の明記については、本部との調整が必要ですが」


 前置きをしながらも。


「カルナ支部として、『依頼終了後三十日以内の支払い』を基準とする方向で、運用を改めることは可能かと存じます」


 リナが、思わず小さく息を呑んだ。


「説明の徹底については、窓口職員に対する教育を強化し、保留案件については理由と見込みを文書で通知するよう、内部規程を整備いたします」


 そして、最後。


「長期保留案件の前倒し支払いについては……」


 シュテルンは、一瞬だけ目を伏せる。


「今回、組合さんがご提示くださった一覧のうち、三か月以上保留されているものについて、カルナ支部として立て替え支払いを行います」


 商人ギルド代表が、満足げにうなずいた。


 市長も、ほっとしたような表情を浮かべる。


 リナが、俺の腕を小突いた。


「おい、これって」

「今、ここで約束させた、ってことです」


 俺は小声で答えた。


「契約上はグレーでも、『街との約束』にはなる」


 シュテルンが、こちらをちらりと見る。

 その目には、ほんの少しだけ敗北感と、別の色――「こいつら、やるな」というような光が混じっていた。


 ---


 会議が終わって、庁舎の外に出ると、組合側の冒険者たちが待っていた。


「どうだった?」

「払ってくれるのか?」


 リナが、にやっと笑う。


「三か月以上止まってる分については、ギルドが立て替えで払うってよ」

 

「マジか!」

 

 歓声が上がる。

 その場で、ギルド職員が木箱から銀貨を数え始める。

 震える手で受け取った戦士の瞳に、石畳に映る夕陽の光が滲んだ。


「ただし、すぐに全部ってわけじゃない。順番を決める場に、市長と商人ギルドも立ち会う」

「それでも、今までよりずっとマシだ」


 戦士の一人が、握り拳を上げた。


「『保留』のスタンプ見るだけで胃が痛くなってたんだ」

「これで、今月の家賃と薬代は何とかなる」


 ミーナが、こっそり俺の袖を引く。


「ユウトさん。あの、今のって、ちゃんと書いておいた方がいいですよね」

「もちろん」


 俺は頷いた。


「今日の議事録と、『ギルドが何に同意したか』。全部、言葉にして残しておきましょう」


 説明義務の話も、支払期日の話も、長期保留案件の前倒しも。

 どれも、条文の外側にある「運用」の約束だ。


(契約の穴を塞ぐのは、一気には無理だ)


 それでも、穴の存在を数字と記録で示し、政治と世論を巻き込めば、「運用」という名の板を少しずつ渡していくことはできる。


「ユウト」


 背後から、静かな声がした。


 振り向くと、シュテルンが庁舎の階段の上に立っていた。


「今回の件――」


 彼は、わずかに口元をゆがめる。


「ギルドにとって、決して小さくない痛手ですよ」

「承知しています」


 俺は真正面から答えた。


「でも、冒険者にとっても、街にとっても、『このくらいの痛み』は必要だったと思います」


 シュテルンは、ふっと笑った。


「……やはり、あなたはギルドの中に置いておくべき人材ではなかったようですね」

「それは褒め言葉として受け取っておきます」


 シュテルンは、それ以上何も言わず、踵を返した。


 その背中を見送りながら、俺は胸の奥で、静かな手応えを感じていた。


 未払い報酬の一斉回収。


 それは、「ブラックギルド」に対する大きな一撃、というよりは、積み重ねてきた数字と条文が、初めて目に見える形で実を結んだ瞬間だった。


(一人一人の声は小さい。前の世界でも、フリーランスや労働者が単独でできることには限界があった。だけど、集まって数字にして、ルールの言葉とくっつけた瞬間、別の力になる)

(冒険者はどちらかと言えば個人事業主に近い。それでも、こうして組合として声を束ねれば、前の世界で見た「労働組合」みたいに、少しずつ待遇を変えていけるのかもしれない)


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