条文の穴と、説明義務(前編)
「これで、全部です」
俺は、紙束の最後にステープラー……ではなく、紐を通してまとめた。
『カルナ支部における未払い・保留報酬の状況(組合調査)』
表紙のタイトルを見て、リナが「堅苦しいな」と眉をひそめる。
「こういうのは堅苦しいくらいでいいんです」
俺は苦笑した。
中身は、ここ数週間で集めたデータだ。
・案件ごとの依頼名、番号、報酬額
・「保留」開始日と、現在までの経過日数
・ギルド窓口での説明内容(ある場合)
・冒険者側の生活への影響のメモ
ざっと集計しただけでも、「一か月以上保留」の案件が十件、「三か月以上保留」が五件。
合計金額は、銀貨にして数百枚分に達していた。
「これ見たら、誰でも顔をしかめるだろうな」
ガルドが、数字の欄をにらむ。
「ギルドの支部長室に壁紙として貼りたいくらいだ」
「それをやると、こっちが先に潰れますね」
俺は肩をすくめた。
「今日は、壁じゃなくて『机の上』に乗せに行きます」
机の上――ギルドだけじゃなく、商人ギルドと市長の机の上にもだ。
---
カルナ市庁舎の会議室は、思ったより質素だった。
長机がいくつか並び、その一番奥に市長が座っている。
その両脇には、商人ギルドの代表と、ギルド側の代表――シュテルン・ローゼンの姿。
こちら側の席には、リナ、ガルド、そして俺。
少し後ろに、数人の冒険者が傍聴のような形で座っている。
「本日は、お忙しいところお集まりいただき、ありがとうございます」
市長が開会の挨拶をする。
柔和な顔つきだが、目には疲れが滲んでいた。
「最近、冒険者諸氏から『報酬が支払われない』『長期間保留されている』という声が、私のところにも届いております。街の経済にも関わる問題ですので、関係者を集めて話し合いの場を設けました」
視線が、こちらに向く。
「まずは、冒険者組合側から説明を」
リナが立ち上がる。
「リナ・ブライトだ。冒険者組合の組合長をやってる」
短く自己紹介を済ませ、リナは俺の方を向いた。
「細かい話は、うちの実務担当に頼む」
俺は頷き、一歩前へ出た。
「ユウトと申します。元ギルド事務員で、今は組合で帳簿や規程の整理を担当しています」
シュテルンの視線が、こちらに流れる。
いつもの穏やかな笑顔だ。
「今回は、『ギルドに支払う金が少ない』という話ではありません」
俺は、持参した紙束を机の上に置いた。
「『支払われるべき金が、約束も説明もないまま止められている』という話です」
市長と商人ギルド代表が、同時に顔をしかめた。
---
「こちらが、組合が把握している未払い・保留案件の一覧です」
俺は、紙束を人数分に分けて配った。
市長が一枚目をめくった瞬間、眉がぴくりと動いた。
「……これは」
商人ギルド代表も、静かに唸る。
「単発の揉め事、というより、ある程度の件数がまとまっているように見えますな」
「はい」
俺は頷いた。
「もちろん、依頼主との精算や魔石の査定に時間がかかること自体は理解しています。ただ、『いつまで』『どんな理由で』保留しているのかが、冒険者側に説明されていない」
前の世界でも、似たような話は山ほどあった。
納品したフリーランスに、発注側が「検収中」「社内稟議中」と言い続け、支払いを先延ばしにするパターンだ。
(あっちでは一応、フリーランス保護の法律で「支払期日を書け」「〇日以内に払え」って縛りがあったけど――)
この世界には、そんな歯止めはない。
「ギルド規程には、『依頼終了後、ギルドは冒険者に報酬を支払わなければならない』とだけ書かれています」
俺は、持参した規程の控えを開いた。
「支払い期日は書いていない。だから、『いつまでも保留できる』と解釈されかねない」
市長が、そこで口を挟んだ。
「ギルド側としては、どうお考えですか」
シュテルンが、丁寧に一礼してから口を開く。
「カルナ支部の筆頭補佐官、シュテルン・ローゼンと申します。まず、未払い・保留案件が一定数存在していること自体は、把握しております」
その言い方が、慎重に選ばれているのが分かる。
「しかしながら、それらはあくまで、依頼主との精算や査定が長引いている案件であり、『支払う意思がない』わけではありません」
市長が、小さく頷く。
商人ギルド代表が、そこで口を挟んだ。
「支払う意思があるのは結構だが、止まっている間、その金は冒険者の生活に回らず、ひいては街の商いにも回らない。税収にも響く」
さすが、金の流れには敏感だ。
「そこが、今回わたしが一番気にしているところです」
市長も表情を引き締める。
「ギルドの中でどう処理するかは、あなた方の自由かもしれません。しかし、街全体として見れば、『約束の金が長期間止められている』ことは、看過できません」
シュテルンは、穏やかな笑みを崩さない。
「ご懸念は理解しております。そのうえで申し上げますと、契約上、『いつまでに支払うか』を明記していない以上、一定の保留期間は許容されると考えております」
「契約上は、な」
リナが、思わず口を挟んだ。
「今日、ここに来てる連中は、みんな字を読むのも苦手だ。『契約上は』って言われても、どうにもならねえ」
シュテルンが、リナに視線を向ける。
「ですから、窓口で口頭の説明を――」
「その『説明』が足りないと言ってるんです」
俺は、言葉を遮った。
市長の視線が、こちらに戻る。
「説明?」
「はい」
俺は、規程の別のページを開いた。
「ギルド規程第十一条。『ギルドは、依頼終了後、相当の期間内に報酬額を確定し、冒険者に説明する義務を負う』」
市長と商人ギルド代表が、目を細める。
「『いつ払うか』は書いていない。けれど、『いつまでにどう説明するか』は書いてある」
俺は、静かに言った。
「今回、組合に相談に来た案件の多くで、『なぜ保留なのか』『いつまで保留なのか』について、具体的な説明は一度もされていませんでした」
冒険者たちが、後ろで小さくうなずく。
「掲示板に『精算が遅れている』とだけ張り紙を出すのは、説明とは呼べません」
商人ギルド代表が、ふっと笑った。
「確かに、『棚卸し中』とだけ書かれても、いつ仕入れが始まるか分からんのと同じですな」
「説明義務、というやつですか」
市長が、興味深そうに言う。
「商取引において、情報が一方に偏ると、弱い側が損をする。だから、条件やリスクは、ある程度説明するのが筋、という考え方は、私も聞いたことがあります」
(この世界にも、そこまでは通じるか)
少しだけ、希望が見えた。
「ギルドさん」
市長が、シュテルンを見た。
「未払いそのものがすぐに違法とは言えないとしても、『説明が足りなかった』という点については、どうお考えですか」
シュテルンは、わずかに目を伏せた。
「……確かに、説明が十分ではなかった案件があることは、否定できません」
認めた。
「しかし、それは悪意ではなく、窓口の忙しさや、職員の経験不足によるところが大きいと――」
「理由はどうあれ、結果として『説明義務違反』になっているなら、そこは是正してもらわねば」
商人ギルド代表が、ぴしゃりと言った。
「わしらも、客に不利な条件を飲ませるときは、それなりに説明する。後で『聞いてない』と言われるのが一番困るからな」
市長も頷く。
「ギルドが街の公式な窓口である以上、『説明』は義務です」
シュテルンは、ゆっくりと息を吐いた。
「……ご指摘、ごもっともです」
さすがに、この流れを無視はできないらしい。
【作者からのお願い】
もし、「おもしろい」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマーク登録をしていただけるとうれしいです。また「いいね」や感想もお待ちしています!
また、☆で評価していただければ大変うれしいです。
皆様の応援を励みにして頑張りますので、よろしくお願い致します!




