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未払い報酬・一斉回収作戦(後編)

 数日後。


 俺たちは、ギルドの応接室にいた。


「で、こちらが、その一覧になります」


 俺は、持参した紙束の一番上を、シュテルンの前に滑らせた。


『未払い・保留報酬案件一覧』


 依頼名、依頼番号、パーティー名、報酬額、保留期間。

 一つ一つに、確認日と担当窓口の名前まで記録してある。


「なかなか、丁寧に調べましたね」


 シュテルンは、書類をざっと眺めると、口元だけで微笑んだ。


「さすが、元事務員殿」

「褒め言葉として受け取っておきます」


 リナとガルドは、黙ってシュテルンの対面に座っていた。

 窓の外には、ギルドの中庭が見える。


「さて」


 シュテルンは書類から視線を上げた。


「本日は、『未払い』あるいは『保留』となっている複数の案件について、一括でのご相談ということでよろしいですか」

「はい」


 俺は頷いた。


「まず確認ですが」


 シュテルンは、一件目を指でたたいた。


「こちらの依頼は、『報酬額の最終確定は、依頼主との精算後とする』という条件がついております」

「はい。ただ、その依頼主との精算が『いつ終わるのか』という説明は一度もされていません」


 俺は、淡々と返す。


「三か月たっても『精算中』の一言しか出てこないのは、さすがに『相当の期間』を超えていると考えます」

「こちらとしても、依頼主側の事情がありまして」


 シュテルンは、ゆっくりと言葉を選ぶ。


「複数の案件をまとめて精算する必要があるため、個別の案件だけ先に支払うわけにはいかないのです」

「その事情を、冒険者側に一度でも説明しましたか」


 シュテルンが一瞬だけ目を細める。


「掲示板に、『一部依頼の精算が遅れております』という張り紙は出しました」

「依頼番号や、対象パーティー名の記載は」

「そこまでは」


 つまり、ほぼ意味のない張り紙だ。


「次、二件目」


 シュテルンは、ページをめくる。


「こちらは、『魔石の品質査定に時間を要している』案件ですね」

「はい。査定結果の説明は一度もなく、『もう少し待ってくれ』の繰り返しです」


 シュテルンは、また一つため息をついた。


「ギルドとしても、なるべく高値で買い取れるよう努力しておりまして――」

「その説明を、一度でも冒険者本人にしましたか」


 同じやり取りが繰り返される。


 シュテルンは、書類を一通り確認し終えると、静かに手を組んだ。


「結論から申し上げましょう」


 嫌な予感がした。


「契約上、いずれの案件も、『違法』とまでは言えません」


 やはり、そう来たか。


「支払い期日を明確に定めていない以上、『一定期間の保留』は許容される範囲です」


 シュテルンは淡々と言う。


「もちろん、『永遠に』というわけにはいきませんが、現時点では、規程や契約に照らしても『直ちに支払い義務がある』とは断定できません」

「……つまり、『契約上は問題ない』と」

「そうなります」


 リナが、露骨に不快そうな顔をする。


「じゃあ、お前の理屈だと、このまま一年でも二年でも『保留』ってスタンプ押し続けていいってことか」

「そこまでいくと、『相当の期間』の解釈が問題になるでしょうね」


 シュテルンは、さらりとかわす。


(さすがに手強い)


「ただ」


 シュテルンは、わざとらしく一拍置いた。


「ギルドとしても、冒険者諸氏のご不満は理解しております」


 その言い回しに、少しだけ苛立ちを覚える。


「そこで、ご提案があります」


 俺たちは、思わず身を乗り出した。


「こちらで把握している『精算が長期化している案件』のうち、優先順位の高いものから順に、支払いを前倒しするよう努力しましょう」

「前倒し?」

「はい。本来は依頼主との精算後に、ギルドを通じて支払うところを、ギルドが立て替える形で一部を先払いするといった形です」


 つまり、「善意」でやってやる、ということだ。


「もちろん、それにも限度はあります。ギルドにも資金繰りというものがありますので」


 シュテルンは微笑む。


「しかし、『組合さんがそこまで熱心に調べてくださった』ことを踏まえ、こちらとしても誠意を見せたい」


 言い回しが、いちいち腹にくる。


「ただし」


 また一拍。


「この一覧のうち、どの案件を優先するかについては、ギルド側の裁量とさせていただきたい」


 やっぱり、そう来るか。


(こっちに『選ぶ権利』を渡す気はないってことだな)


 リナが、苛立ちを隠さずに言う。


「つまり、『どれを払うかはこっちで決めるから、大人しく待っとけ』ってことか」

「乱暴に要約すると、そうなります」


 シュテルンは、さらりと言った。


「乱暴ではない要約だろ」


 俺も内心でツッコむ。


「もちろん、組合さんが『特に急ぎで支払ってほしい案件』を書面でご提示いただければ、参考にはいたします」


 参考。


(こっちは「義務」を引き出したいのに、向こうはあくまで「善意」と「裁量」の話にすり替える気か)


「ご提案については、持ち帰って検討させてください」


 俺は、いったん頭を下げた。


 ここで感情的になっても、得るものはない。


 シュテルンは、相変わらず穏やかな笑みを浮かべていた。


「ええ、もちろん。いつでもお待ちしております」


 ---


 ギルドを出ると、外の空気がやけに冷たく感じた。


「あーもう、ムカつく」


 リナが空を仰いで叫ぶ。


「『問題ない』だの『善意』だの、よくもまああんなにきれいに言えるな」

「あいつは、そういう仕事のプロだからな」


 ガルドが肩をすくめる。


「で、どうする、ユウト」


 俺はしばらく黙って歩き、組合事務所の前で立ち止まった。


「今日の交渉だけを切り取るなら、半分勝ち、半分負け、ってところです」

「どこが『勝ち』だ」

「『未払い案件が複数ある』ことを、ギルドの筆頭補佐官に公式に認めさせた」


 それは、ささやかだが大きい。


「一覧を見せたことで、『そんな案件は知らない』という逃げ方は、もうできない。今後、支払いが遅れれば遅れるほど、ギルドの『不誠実さ』は記録として積み上がっていく」


 リナとガルドが黙る。


「とはいえ、冒険者たちからすれば『そんな先の話より、今すぐ払ってくれ』だろうな」

「その通りです」


 だからこそ、次の一手が必要だ。


「シュテルンの提案通り、『優先してほしい案件』をこっちから出すのは一つの手です」

「それって、向こうのペースに乗せられてねえか」


 リナが眉をひそめる。


「そうですね」


 俺は素直に認めた。


「だから、もう一つ、別の軸を立てたい」


 俺は、組合事務所の看板を見上げる。


「ギルドとの交渉と並行して、『街の側』にこの問題を知らせる」


 リナが目を丸くする。


「街の側って……市長とか、商人ギルドとかか」

「ええ。ただ、いきなり市長のところに押しかけても門前払いでしょうから」


 俺は口元に苦笑を浮かべた。


「まずは、『数字』を整えましょう」


 リナとガルドとミーナが、ほぼ同時にため息をついた。


「また数字か」

「数字ばっかりだ」

「でも、ユウトさんの数字は、分かりやすいです」


 最後の一言で、少しだけ救われる。


「未払い・保留案件の一覧を、もっと広げる」


 俺は言った。


「今回の四パーティー分だけじゃなく、噂を聞きつけた他の冒険者にも声をかけて、どんどん記録する。『ギルドがどれだけの金をどれだけの期間止めているか』を、街全体が一目で分かる形にする」


 それができれば、次に仕掛ける「頭脳戦」の土台になる。


「今日は、冒険者たちに『いきなり全部は無理』って話をしなきゃならねえな」


 リナが苦い顔をする。


「『ギルドの善意に期待しろ』なんて、死んでも言いたくねえが」

「善意に期待するんじゃなくて」


 俺は、少しだけ笑った。


「向こうが『善意』って言うなら、その言葉ごと、記録しておきましょう」


 シュテルンの口から出た「前倒し」「誠意」「裁量」。

 それらは全部、後でこちらが「政治的」に使える素材だ。


(契約上はギリギリセーフでも、運用と説明を突けば、まだやれることはある)


 次にどう戦うかが、頭の中で少しずつ形になり始めていた。


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