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組合説明会、大失敗?

「字、これで読めますかね」


 組合事務所の前に立てかけた板看板を見上げて、ミーナが不安そうに首をかしげた。


『冒険者組合 共済制度説明会 本日夕刻』


 俺が書いた文字を、ミーナが丁寧になぞってくれたものだ。


「大丈夫だ。少なくとも、俺とミーナには読める」

「基準が低いです」


 リナが笑いながらツッコむ。


「まあ、細かいところは口で説明すりゃいい。とにかく、『何か新しいことをやるらしい』ってのが伝われば」


(その雑さが怖いんだが)


 とはいえ、ここまで来てやめる選択肢はない。


「ガルドさんは?」

「街の酒場や店を回って、『暇なやつは顔出せ』って声かけてます」


 ミーナが答える。


「『無料で話聞くだけ』って言ったら、何人かは来るって」

「無料って言葉は強いな」


 前の世界でもそうだった。

 人は「無料」と「限定」に弱い。


(さて、どこまで伝えられるか)


 俺は、事務所の中に貼った簡易の図をもう一度確認した。


 中央に「箱」。

 そこに向かって「掛け金」の矢印。

 箱から外へ伸びる「死亡時一時金」の矢印。


 できるだけ、文字が少なくなるように工夫したつもりだが――。


「難しい話になりすぎたら、そのときは俺がぶった切ってやる」


 背後からガルドの声がした。

 振り向くと、彼は肩を回しながら事務所の中に入ってきた。


「十人くらいは来そうだ」

「十分だな」


 リナがにやりと笑う。


「ゼロじゃなきゃ、何とかなる」


 ---


 夕刻。


 組合事務所の中には、想定以上の人数が集まっていた。


 丸椅子をかき集め、床に座る者までいる。

 ざっと見て二十人弱。


「思ったより来ましたね」


 ミーナが小声でつぶやく。


「無料って書いといてよかったな」


 リナが笑う。


「ようし、それじゃあ始めるか」


 リナが前に出て、両手を腰に当てた。


「今日はわざわざ集まってくれてありがとな。知ってる顔も、知らない顔もいるが――」

「リナ姐さんが『面白い話がある』って言うからさ」

「ギルドにバレたらヤバくねえ?」


 そんな声があちこちから上がる。


「ギルドがどうこう言う前に、お前らの命の話だから心配すんな」


 リナが豪快に笑ってから、俺の方を振り向いた。


「じゃあ、細けえ話はうちの頭脳担当に任せる」


 頭脳担当、という紹介に、少しだけ肩がこそばゆい。


(逃げ道はもうないな)


 俺は前に出て、一礼した。


「ユウトです。元ギルド事務員で、今はこの組合で帳簿やルールづくりを担当しています」


 ざわ、と空気が動いた。


「あんたが辞めたせいで、窓口大混乱の」

「しーっ」


 誰かが慌てて口をふさぐ。


「今日は、『共済制度』という仕組みの話をします」


 俺は、壁に貼った図を指さした。


「簡単に言うと、『みんなで少しずつ金を出し合って、誰かに不幸があったときに助け合う箱』です」


 数人が首をかしげる。


「この前の事故は、聞いていますか」


 弓手の青年の名前を出すと、場の空気が一気に重くなった。


「同じ班だったやつが、さっきまでここにいた」

「母ちゃん、泣きっぱなしだってよ」


 ぽつぽつと声が漏れる。


「あのとき、ギルドから出た葬儀代は銀貨五枚だけでした」


 ざわ、と小さな怒りが走る。


「俺たち組合も、金庫から少し上乗せしましたが……正直、焼け石に水でした」


 それは、俺自身の実感でもある。


「そこで、考えました」


 俺は、図の「箱」の部分を叩いた。


「最初から、『誰かが死んだときの金』を、みんなで少しずつ積んでおく仕組みを作ろうと」


 ---


「共済の基本は三つです」


 俺は指を三本立てた。


「一つ。依頼を受けるたびに、報酬とは別に銅貨五枚を『共済箱』に入れる」

「おい、銅貨五枚ってどのくらいだ」


 前の方の前衛が手を挙げる。


「安宿一泊が銅貨二〜三枚くらい、と考えてください」

「じゃあ、一回依頼受けるたびに、安宿半日ぶんくらい?」

「そのくらいです」


 ざわざわ、とまた小さな波。


「二つ。もしも加入者の誰かがダンジョンで死んだ場合、その家族に銀貨五十枚を払う」

「銀貨五十……」


 今度は別のざわめき。


「葬儀代と、しばらくの生活費の足しになる程度です」

「三つ。掛け金を払っていない人の分までは、さすがに払えない」


 そこで、一気に会場の空気が変わった。


「やっぱりカネ取るのか」

「ただで守ってくれるわけじゃねえよな」

「ギルドの手数料と何が違うんだ?」


 想定していた反応だ。


(ここからが本番だな)


「違いは、二つあります」


 俺は、できるだけ簡潔に言った。


「一つ目。この箱の金は、全部『冒険者のため』に使う。上にいる誰かの懐に消えることはない」

「本当にか?」


 別の声が飛ぶ。


「帳簿は全部、組合で公開します」


 俺は、机の上に積んである帳簿を指さした。


「誰がいくら払って、誰にいくら払ったか。名前は伏せるとしても、数字は誤魔化しません」


 実際、それをやるのは俺とミーナだ。


「二つ目。払うかどうかは、冒険者一人ひとりが決められる」


 俺は続けた。


「ギルドの仲介手数料みたいに、『嫌でも引かれる』ものじゃない。『自分のため』『家族のため』だと思った人だけが入ればいい」

「けどよ」


 後ろの方から声がした。


「入ってないやつが死んだら、放っとくのか?」


 そこが、一番言いにくいところだ。


「組合として、できる限りのことはするつもりです」


 俺は、正直に言った。


「ただ、共済の箱からは出せない」


 沈黙。


「箱の中の金は、『掛け金を払った人のため』の金だからです。それを崩すと、制度そのものが壊れる」


 何人かが、納得したように、あるいは納得いかないという風に、渋い顔をする。


「……難しくて分からん」


 ぽつりと誰かがつぶやいた。


 それを合図にしたかのように、あちこちから同じような声が上がる。


「箱だの掛け金だの、頭が痛くなる」

「どうせ俺ら、そんなに長生きしねえしな」

「今のままでいいよ。これ以上、払いが増えるのはキツい」


(あー……やっぱり、こうなるか)


 事前に予想していた通りの反応だった。

 数人は真剣な顔をしているが、多くは眉をひそめている。


「じゃあ、ここで一つ質問していいか」


 そこで、リナが前に出た。


「昨日死んだあいつの話は、さっきも出たけどよ」


 酒場でよく見かける前衛たちが、リナの方を見る。


「あいつの家族、これからどうなると思う?」


 静かな問いかけだった。


「ギルドからもらえる金は、銀貨五枚。組合が上乗せしても、せいぜい十や二十。そんなんで、何年食っていける?」

「……無理だろ」


 誰かがぽつりと言う。


「じゃあ、お前らの家族はどうだ」


 リナの視線が、一人ひとりを射抜く。


「父ちゃんでも母ちゃんでも、弟でも妹でも。『自分が死んだら、どうなるか』を、一度でも考えたことあるやつ」


 誰も手を挙げない。


「あたしはある」


 リナが、自分の胸を親指で指す。


「若いころ、深層でバカやって、ほぼ死にかけた。ガルドが引きずってくれなきゃ、今ごろ骨だけだった」


 ガルドが、少しだけ目線をそらす。


「そのとき初めて考えたんだ。『あたしが死んだら、残された奴らはどうなる』って」


 リナは拳を握った。


「だから組合を作った。ギルドとケンカするためだけじゃない。死んだ後のことまで含めて、『冒険者が食えなくなる世界はおかしい』って思ったからだ」


 沈黙が、少しずつ質を変えていく。


 さっきまで「難しい」「分からん」と言っていた連中も、リナの方を見ている。


「共済だの掛け金だの、分かりにくい話かもしれねえ」


 リナは言葉を選ぶように続けた。


「でもよ。『明日の飯』だけじゃなくて、『自分がいなくなった後の飯』の話だって、たまにはしてもいいだろ」


 その一言に、俺は少し救われた気がした。


 ---


 説明会が終わる頃には、日が落ちかけていた。


「はー……疲れた」


 椅子に腰を下ろしたリナが、ぐったりと背もたれにもたれる。


「ユウト、あれは何点だ」

「三十点ですね」


 即答した。


「ひでえな」

「でも、ゼロではない」


 俺は机の上の紙を持ち上げた。


 そこには、「共済加入希望」と書かれた紙があり、名前がいくつか並んでいる。


「十人来て、加入希望が三人。うち一人は、さっき声を上げてた前衛。もう一人は、家族持ちの弓手。それと――」


 ミーナが紙をのぞき込む。


「あ、この人……昨日亡くなった人の、お兄さんです」


 そう、三人目の名前は、あの青年の兄だった。


「俺はもう潜らない。けど、同じ班のやつらには入ってほしいって」


 説明の後で、彼はそう言っていた。


「三人だけかもしれないけど」


 俺は紙を指で軽く叩いた。


「今日の話を『自分ごと』として聞いてくれたのは、この三人ってことです」

「悲観してるのか、してないのか分からん言い方だな」


 ガルドが呆れた顔をする。


「三割取れれば御の字って世界もある」


 前の世界では、説明会でここまで反応があれば上出来とされるケースも多かった。


「問題は、今日来なかった七人と、そもそも話を聞きもしない連中だ」


 リナが腕を組む。


「どうする?」

「地味に、記録を積み重ねていくしかないですね」


 俺は、壁の箱を見た。

 そこには、まだ何も入っていない。


「誰がいくら払って、誰がいつ助かったか。その記録が増えれば増えるほど、『難しくて分からん』って言ってた連中も、少しずつ態度を変えるはずです」

「数字で証明するってやつか」

「はい」


 それが、俺にできる一番のやり方だ。


「それに――」


 ミーナが、おずおずと手を挙げた。


「今日来てくれた人たち、みんな別々の酒場とか宿とかに出入りしてる人たちですよね」

「そうだな」

「だったら、その人たちがそれぞれの場所で話してくれたら、少しずつ広がると思います」


 ミーナは、自信なさげに続ける。


「あの前衛さん、さっき、『思ったよりちゃんとしてた』って言ってましたし」

「そこだけ切り取ると、微妙な褒め言葉だな」


 俺は苦笑した。


「でも、悪くない」


 リナが立ち上がる。


「大成功とは言えねえが、『大失敗』ってほどでもない」

「今日は、そのくらいの出来ですね」


 二度目の人生。

 一つの説明会では世界は変わらない。


 それでも、共済という小さな盾に、最初の三枚の「掛け金」が入ろうとしている。


(こういう地味な一歩を積み重ねるのが、今回の俺の仕事なんだろうな)


 説明会の残り香が漂う組合事務所で、俺はそう思いながら、加入希望者の名前を帳簿に写し始めた。


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