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共済制度という小さな盾

「――で、ここが問題なんだよな」


 朝の組合事務所で、俺は紙束とにらめっこしていた。


「死亡時に銀貨いくら」「片腕を失ったらいくら」「骨折だけならいくら」。

 ざっくり書き出した給付案の紙が、机の上に並んでいる。


「ユウトさん、お茶どうぞ」


 ミーナが、両手で抱えたマグカップをおそるおそる運んでくる。

 湯気の立つカップが、紙束の上すれすれを通った瞬間、手元がぐらりと揺れた。


「わ、わっ」

「っと」


 俺とリナが慌てて紙を引き寄せる。

 かろうじて大惨事は免れたものの、端の一枚に小さな染みができた。


「ご、ごめんなさい!」

「このくらいなら大丈夫です」


 俺は笑いながら、染みの部分を乾いた布で押さえた。


「むしろ今ので、『飲み物は紙から離して置く』ってルールが一つ増えましたね」

「つ、次から気をつけます……」


 ミーナはしょんぼりしつつも、今度は紙から一歩離れた場所に、マグカップをそっと置いた。

 その横から、リナが顔をのぞかせる。


「どうだ、『冒険者共済』とやらの進み具合は」

「コンセプトはできてるんですけどね」


 俺はため息をついた。


「数字に落とすところで詰まってます」

「数字ならユウトの得意分野だろ?」

「だからこそ、適当にやりたくないんですよ」


 俺は紙束の一枚を持ち上げた。


「例えば、死亡時に銀貨百枚払うって決めたとします」

「おお、太っ腹だな」


 リナが目を丸くする。


「で、その金はどこから出る」

「……みんなの掛け金から、だろ?」

「そうです。じゃあ、一人あたり月いくら払えば、それが維持できるか」


 リナとミーナが顔を見合わせる。


「ミーナ、何人ぐらいの冒険者が、今うちの組合を出入りしてる?」

「ええと、ちゃんと数えてないですけど……登録してるのが三十ちょっとで、出入りしてるのが四十……五十人ぐらい?」


 まだ、決して多くはない。


「仮に共済に入るのが三十人だとして」


 俺は、紙の端に数字を書き始めた。


「一年間に、死亡事故が一件あるとする」

「さっきみたいな?」

「あんな事故が、年に一回だとしたら、まだいい方かもしれません」


 ダンジョン都市である以上、「ゼロ」は期待できない。


「死亡一件で百枚払うとしたら、一年で最低百枚は必要になります」

「三十人で、百枚」


 ミーナが、指を折って数え始める。


「一人あたり三枚ちょっと……」

「一年で三枚ちょっと、ならまだ安いだろ」


 リナが言う。


「月に直すと?」

「えっと……三十で割って、さらに十二で……」


 ミーナの視線がぐるぐるし始めたところで、俺は助け舟を出した。


「大体、一人あたり月に銀貨〇・〇八枚くらいですね」

「……え?」


 ミーナが固まる。


「要するに、一人あたり月に銅貨八枚ぐらい」

「それなら払えなくはないな」


 リナが腕を組む。


「それで、死亡一件カバーできるんだろ?」

「理屈の上では、です」


 俺は首を振った。


「問題は、現実はそんなにきれいな数字にならないってことです」


 目の前に、昨日の弓手の顔が浮かぶ。


「死亡が一件だけで済む年もあれば、二件、三件重なる年もある。逆に、何年もゼロのこともある」

「当たり外れがあるってことか」

「はい。だから、少なくとも『平均』で見たときに、掛け金が潰れないラインを探さないといけない」


 リナが、机に肘をついて眉間を押さえた。


「頭が痛くなってきた」

「私もです」


 ミーナも同じポーズをとる。


「でも、ここを適当にやると、誰かが死んだときに『箱』が空っぽでした、ってことになる」


 俺は、昨日描いた「箱」の絵を指さした。


「それだけは絶対に避けたい」


 ---


「じゃあさ」


 ひとしきり唸ったあとで、リナが口を開いた。


「まずは『全部を一度に救おうとしない』ってのはどうだ?」


(……まただ)

(気づけば、「死亡も後遺症も遺族も、全部一度に守れないか」って頭になってる。前の世界でも、そうやって仕事を抱え込んで、結局自分が潰れかけたんだよな)

「というと?」

「死亡も重傷も全部、最初から完璧にカバーしようとしたら、金がいくらあっても足りないだろ」


 リナは指を一本立てる。


「だから、まずは一つに絞る。例えば、『死亡したときの葬儀代』だけ、とか」

「なるほど」


 俺は頷いた。


「対象を絞れば、必要な額も計算しやすくなる」


 前の世界でも、「死亡保険」「医療保険」「がん保険」など、切り分けていた理由の一つはそこだ。


「じゃあ第一段階として、『死亡時の一時金』に絞りましょう」

「いくらにする?」


 ミーナが、おそるおそる聞いてくる。


「昨日の家族の話を聞く限り、葬儀代と、しばらくの生活費を少し」


 紙の上に、ざっと内訳をメモしていく。


「葬儀代に二十枚。家族の生活費として、六か月分の最低限……月五枚として三十枚。合わせて五十枚」

「百じゃなくて、五十か」

「まずはそこから。将来、箱が大きくなって余裕が出たら、増やすことも考えましょう」


 リナがうなずいた。


「掛け金は?」

「さっきと同じ前提でいくなら――」


 俺は再び数字を書く。


「死亡一件で五十枚。平均して年一件だとすれば、三十人で割って、一人あたり一年で一・六枚」

「さっきより、さらに安くなりましたね」


 ミーナがほっとした顔をする。


「月にすると、一人あたり銅貨五枚ぐらい」


 俺は続けた。


「問題は、これは『平均』でしかないってことです」

「さっきの話だな」

「はい。だから、安全を見るなら、もう少し余裕を持たせたい」


 俺は、「安全余裕」と書き足し、さらに数字を上乗せする。


「一人あたり、月に銅貨十枚。年間で銀貨一枚二十枚分くらいですね」

「依頼一件あたりにすると?」


 ガルドが口を挟んだ。

 いつの間にか、背後で話を聞いていたらしい。


「個数で考えた方が、冒険者には分かりやすい」

「そうですね」


 俺は、さらに簡単な前提を置いた。


「平均して、一人あたり月に依頼を二件受けるとして。銅貨十枚を二で割ると……一件あたり銅貨五枚」

「一件ごとに銅貨五枚、共済箱に入れる」


 リナが復唱する。


「それなら、まあ、払えなくはないな」

「依頼の貼り紙に『共済掛け金:銅貨五枚』って一行足せばいいわけですね」


 ミーナがメモを取り始める。


「ただし、これはまだ机の上の計算です」


 俺は釘を刺した。


「実際にどれくらい死亡事故が起きるか、どれくらいの人数が加入してくれるか次第では、見直しが必要になる」

「それは、そのときにまた考えればいい」


 リナがきっぱりと言う。


「最初から完璧な制度なんて無理だろ。問題が出たら、その都度直していけばいい」

「……ですね」


 前の世界でも、法律や制度は、最初から完璧ではなかった。

 裁判やトラブルを通じて、少しずつ「マシ」になっていっただけだ。


 ---


「それと、もう一つ」


 俺は紙に新しい項目を書き足した。


「『誰が払って、誰が受け取れるか』」

「そんなの、掛け金を払った冒険者本人と、その家族じゃないのか?」


 ガルドが首をかしげる。


「基本はそうです。ただ――」


 俺は、昨日の家族の顔を思い出した。


「この街には、字が読めない家族も多い。『自分が共済に入っていたこと』をきちんと伝えられずに死ぬケースも考えないといけない」


 遺族が制度の存在を知らずに、泣き寝入りする未来が見えた。


「だから、共済に加入する冒険者には、誰が受取人かを最初に決めてもらう」

「受取人?」


 ミーナが首をかしげる。


「家族の誰に渡してほしいか、ですね。母親か、弟か、妻か。名前と関係を書いて、組合で預かる」

「名前……」


 ミーナの表情が引き締まる。


「それ、私の仕事ですね」

「そうなるな」


 ガルドがうなずく。


「顔と名前を覚えて、家族構成も頭に入れておく。ミーナならできる」


 ミーナは少し頬を赤くした。


「が、頑張ります」


「あと、掛け金を払ってないやつの分まで、箱から出すのはダメだ」


 ガルドが、少し言いにくそうに付け加える。


「筋を通すって意味でもな」

「そこは、線を引きましょう」


 俺は真剣に頷いた。


「掛け金を払ってない人まで全部救うと、制度が持たない。だからこそ、事前に『ここまでは組合が守る』『ここから先は自分の責任』ってラインをはっきりさせる必要がある」


 リナが、ふっと笑った。


「ユウト。あんた、やっぱり『冷たいようで、温かい』ことを言うな」

「褒めてるんですか、それ」

「褒めてる」


 リナは真面目な顔に戻る。


「ただ、最初にその線を聞いたら、『ケチだ』って言うやつもいるだろうな」

「でしょうね」


 俺も苦笑する。


「だから、説明会が必要になります」


 ミーナが顔を上げた。


「説明会?」

「はい。新しい制度を始める前に、冒険者たちに集まってもらって、『何のためにやるのか』『どこまで守るのか』『何をしないのか』を、きちんと説明する」


 前の世界では、どれだけいい制度でも説明が下手だと叩かれた。

 分かりやすく、具体的に、「自分ごと」として想像してもらう必要がある。


「リナさんが、現場の言葉で話してくれれば、伝わりやすいはずです」

「え、あたしか」


 リナが慌てる。


「こういうの、ユウトが話した方が分かりやすいだろ」

「数字や仕組みの説明は俺がやります。ただ、『実際に死にかけた話』とか、『怪我した仲間の顔』を知っているのはリナさんですから」


 リナは口をつぐんだ。


 しばらくして、ゆっくり頷く。


「……分かった。一度やってみる」

「私も、説明の紙をきれいに写します」


 ミーナが拳を握る。


「それと、出席者の名前、ちゃんと書きます。誰が聞いて、誰が聞いてないか分かるように」

「頼もしいな」


 ガルドが笑う。


「じゃあ決まりだな。共済の草案をまとめて、近いうちに『説明会』だ」


 俺は深く息を吸った。


「失敗するかもしれませんけどね」

「失敗したら、そのときは笑い話にすりゃいい」


 リナが、いつもの豪快な笑みを浮かべる。


「大事なのは、やる前から諦めないことだ」


 窓の外では、カルナの街に昼下がりの光が差し込んでいた。


 若い弓手の笑顔を思い出しながら、俺はペンを走らせる。


「共済制度という小さな盾」。


 完璧からはほど遠い。

 それでも、何もないよりはずっとマシな、小さな盾だ。


(二度目の人生は、こういう「小さな仕組み」を一つずつ増やしていくことなんだろうな)


 そう思いながら、俺は次の行に、「説明会」の文字を書き加えた。


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