公園の樹
散歩してたら何となく思ったのですよ。
ただ散歩する、そんな機会が減ってきたのは多分、気のせいではないんだろう。
休みは何かと用事足しの時間だ。
例えば部屋の掃除と買い物を済ませてしまえば、その日は後半日程しか余暇が無い。
ならその残った半日の一部を散歩に回すか、と言えば中々そうはいかないだろう。 本を読む、小説を書く、料理をする……。 散歩の優先順位は決して高くはないのだ。
それでもその日、歩いたのは何の気まぐれだったのか。
特に買い物の必要がなかったのか、それが徒歩で済ませられるものだったのか。
何にせよワタシは近所の公園の外周を歩いていた。
木々に囲まれ、遊具を置いた、子どもたちの為の空間。 とは言っても最近では公園で遊ぶ子どもの姿などそう見るものではないが………。
ふと気になったのは公園を囲う樹木である。
――こんなに、デカかったっけ?
パッと見ただけでも直径50㎝では利かない。 1m近くはありそうだ。
上を見ればその高さが電柱を超えているのは一目瞭然。
見れば公園の中央でグラウンドと遊具のあるスペースを区切るように植えられた木々は、いつの間にか添え木の必要などないくらいに生長しているのが解る。 かつて両手で掴める程度の太さしかなかった幹は、添え木など不要などころか自らが柱になれる程に雄々しくそびえていたのだ。
思えば公園で遊んでいた頃と言えば四十年程も昔である。
そう言えば、と思い出すのが二度程赴任した羅臼だ。
かの場所には展望台があり、そこからは山と海と向こうの島とが一望出来たのだが、それも昔の話。
一度目の平成十年くらいの時は見る事の出来た眺望だが、二度目の令和四年の時には伸びた木々が邪魔でまるで海が見えなかったのだ。
まあ、昔はあった売店なども全てなくなり、展望台と自衛隊の施設のみがあるような場所になってしまった寂しい場所だ。 伐採なども最低限しか行われていなかったのだろう。
二十年程でそれなのだから四十年も経てばそりゃデカくもなる。
そう考えながら歩くと普段気づかないものも見えてくる。
当時の街中、道沿いの街路樹は殆どが添え木で支えられていたが、今見るとそんな樹は存在しない。 言葉通り『独り立ち』しているモノばかりだ。
勿論、中には折れたり切られたりしたらしいモノもある。
それでも大半の木々は大きく生長し、雄々しい姿を見せつけていた。
この地方ではよく街路樹に使われるナナカマド。
生命力が強いと言われる硬木ナラ。
高く高く伸びるエゾマツ。
小さな花をいくつもつけるシナ。
その名の通り白い樹皮を見せるシラカバ。
中でも思い出深いのが一本のシラカバだ。
思い出深いと言っても友達に家の近くにあった事で、小学校の時に絵画のモデルにしたくらいのものだが。
白樺の木から下りられなくなった子どもの話(だっけ?)があり、それを絵に描こうとモデルになる樹を探したのだ。
ちなみにその絵は賞を取り、姉妹校へ贈られた。 それが何処なのか忘れて久しく、母校はすでに廃校となっている為、調べようがなかったりする。
普段行く事のない公園 ――友達の家に近いが公園自体は狭く、その上、遊具は少なく木は多い、そんな場所。
ただ特徴的だったのは20m×15m程の池があり、その中央に小島が、その真ん中に大きなシラカバが立っていたのだ。
周囲にある木のように密集していたり何かに遮られる事のない、絶好のモデルであったのだ。
気になって降り立ったそちらの公園は、雰囲気だけでいうなら稚作「赤は風に巻かれて踊る」の舞台に似ている。 というか記憶の中にあるこの公園をモデルにしたのだろう。 改めて見るまで気づかなかったが。
銀杏や楓と言った鮮やかな紅葉を見せる樹はないが、住宅街にありながら木々に囲まれ中を見通しにくい立地と、公園でありながら人の来ない寂しげな光景は、酷く閉鎖的だ。
周囲の三分の一程が壁、というか公園自体が半ば崖下に作られている為、人を拒絶しているかのようにすら思える。
記憶よりも木々の本数が少ないのは間引かれたのだろうか。 それでもその幹は強く太くなっており、鬱蒼とした森を思わせる空気を醸し出す。
そんな中、公園の真ん中にある人工池の周辺は木々が疎らだ。 もう少し繁っていた気もするが刈られたのか記憶違いか。
人工池の中には島があるが、そこに立つシラカバは何処か頼りない。
だがそれも考えてみれば当然なのか、人工池の中がどうなっているか詳しくは解らないが、そこにある島は栄養が限定的であってもおかしくない。 周囲の水から各種栄養を取り込めそうな気はするが、島自体が水に溶け、流されないように基礎部分がコンクリート等で固められている可能性はある。
幼い頃は周囲の木々の王様のように君臨していたシラカバだが、今では落ちぶれた王家のようにひっそりとした感じで佇んでいた。 何せ周囲の木々の方が背が高く立派なのだから、そう見えるのも無理はない。
だがそれでも木々はすっくと立ち、秋の木枯らしを受け止めている。
添え木も支えも必要としない強さで、大地に根を張り独り立ちしている。




