4話
【お母さんが泣いている。
お父さんも泣いている。
二歳年下の妹は、指をくわえて私を見つめてる。
ごめん、ごめんね愛花。
ごめんね、守れなくて。
何度も何度も、謝って、泣いている】
楠木愛花はベッドから動けない。
クスノキの前世は、この場所で始まり、この場所で終わる。
【わたしは言葉を話すのが遅い子だった。
四歳になっても言葉を発さない、心配ばかりかけてたわたし。
話せなかったわけじゃないの。
恥ずかしくて、ためらって。
心配かけてごめんなさい。
そんな些細なことを、伝えられなくなってごめんなさい】
愛花の追懐は、家族への謝罪で溢れていた。
【事故の日も大きい声を出そうと思ったの。
でも、喉の奥がきゅっとなって、気づいたら身体が動かなくなっちゃって】
主治医が【残念ですが、回復の見込みは……】と愛花の家族に伝えていた。
信号無視の車と接触した愛花は、身体を強く打ち、寝たきりとなってしまった。
【植物状態、って言うんだって、お母さんが言っていた。
お母さんは、愛花ちゃん、聞こえてる?聞こえてたらいいな、って何度も話しかけてくれている。
聞こえてるよ、って言ってあげたかった】
愛花はどこにも届かない呼びかけを続けた。
【お父さんが仕事で行った場所の話をしてくれる。
こんなことがあってな、すごい景色でな、って、楽しそうに。
お母さんはいつも私の耳もとで本を読んでくれた。
面白いお話でしょ?愛花ちゃん、ちょっと悲しいお話だったね、愛花ちゃん。
二人とも、さよならする前に決まって寂しそうな顔をしてた。
そんな顔しないでよ、って思ったけど、そんな顔をさせてるのってわたしじゃん、って思う】
日々は残酷に過ぎていく。
愛花の妹、立花が小学校に入学した。
愛花が動けなくなって、五年が過ぎた。
【立花が真っ赤なランドセルを見せてくれる。
ピカピカのランドセルを背負って立花は、「お姉ちゃんと一緒に学校行きたい」と泣き出して、お父さんお母さんはてんやわんや。
立花。
お姉ちゃんも一緒に行きたかったよ。
でも、そんな風に泣いたりもできないんだ、お姉ちゃん】
申し訳なさで愛花の心は潰されそうだった。
【毎日毎日真っ白な天井を見ていたわたし。
そんなわたしをお母さんが外に連れてってくれた!病院の先生も一緒で、「近くを散歩するだけなんだけどね」とお母さんが申し訳なさそうに言った。
いいの、嬉しいよ。
飛び跳ねて喜べたら良かったのに】
医師付き添いのもと、愛花を車椅子に乗せ散歩する愛花の母。
病院に併設された公園で、木漏れ日にふれる。
公園の木々が風に揺れている。
【「大きい木だね、愛花ちゃん」とお母さんが指差す。
クスノキって名前の木が堂々と公園の真ん中に立ってた。
「立派な木」ってお母さんが目を細める。
遠い空は青く広がって、その空に向かって真っ直ぐ伸びるクスノキ。
何年も何年もかけて、ゆっくり大きくなった木。
わたしはずっと止まったまま。
お母さん、いつまでわたしを見ててくれる?
あのクスノキみたいに大きくなれないわたしを、見捨てないで】
愛花の父と母は献身的だった。
代わる代わる病院を訪れては、愛花に語りかける。
【天国と地獄がでてくるお話をお母さんが読んでくれた。
人のためにいいことをした人が天国に。
人に悪いことをしたり、迷惑かけた人は地獄に行く。
怖いお話だった。
だって、わたしはきっと地獄に行くんだろうな、って思うから】
父と母は目に見えて疲弊していた。
愛花が動けなくなって十年が過ぎていた。
【お母さんが眠ってる。
お仕事が大変らしい。
わたしに話しかけては、時々椅子に座ったまま寝ちゃうことがあった。
お父さんも出張?が多くなって中々会いにきてくれなくなった。
「お母さん頑張るね」
目の下に黒い影を作って、お母さんは何度もそう言った。
もう、頑張らなくていいよ、って言いたかった。
わたしのことで苦しまないで】
十五年の月日が経ち、高校生になった立花が男の子を連れて愛花の病室に訪れた。
【立花の彼氏さんはとても優しそうな人。
話せないわたしなんかに緊張して、「り、りっかさん、と、お付き合いして、ます」と挨拶してくれた。
「ごめんね、お姉ちゃん。でも、律くんがお姉ちゃんにも挨拶したいって」
こないだうちに律くんを連れてったらお母さんたち喜んでね!
立花は小さな時と変わらず明るくわたしに話しかけてくれる。
でも、わたしは違うことを考えてる。
ああ、わたしはみんなの輪の中に入れないんだ。
立花みたいに可愛い制服を着て学校に行ったり、律くんみたいな優しい男の子と恋することもできないんだ。
って、悪いことばかり考えてるの。
ごめんね、立花。
悪いお姉ちゃんで、ごめんね】
愛花が動けなくなって二十年が過ぎた。
ある日、愛花の容態が急変する。
【胸が苦しい。
身体が痛い。
痛い、と声を出したい。でも何も伝えられない。
お父さんとお母さんが手を握っている。
シワが増えたお父さんとお母さん。
立花は結婚した律くんと一緒に、わたしを見て泣いている。
みんな、泣いている】
よく晴れた昼時だった。
愛花に繋がれていた生命維持装置が外されていく。
命が、終わっていく。
【ずっとずっと、伝えたかったことがあるの。
迷惑ばかりかけたわたしを、ずっと見守ってくれてありがとう、って。
ごめんね、って何回も唱えるうちに、なんか違うなこの気持ちって思ってたの。
お母さん、お父さん、立花。
愛してくれてありがとう。
愛してる、って伝えられなくてごめんなさい。
って、結局謝っちゃった。
生まれ変わりってのができたらさ、また……】
【会えたらいいな】と心の中で呟いて、愛花の意識が消えていく。
あの日見上げていたクスノキの木より高く浮遊する愛花の魂。
叶わなかったすべてを残して、楠木愛花の静かな生涯が幕を閉じた。




