2話
真柴の母親は父親の死後精神を病み、体調を崩しがちになっていた。
【悲しい、という感情は湧いてこなかった。
残念なことに、俺がその時考えていたのは、
「こちらがたてば、あちらがたたないものだな人生」という非常に無関心なもので、「人間」がわからない自分の振る舞いは、母に寄り添い看取るという「正常」とされる行為に邁進することだと思った】
母親の病室に通う真柴。
そこに思い入れや愛情は感じず、ただ作業として母親の側にいた真柴。
【母の看病や漫画連載で多忙となり、大学を退学した。
母が亡くなったのは、二十六歳の時で、ちょうど、
「空中要塞ジャスティス」の連載が始まった時だった】
真柴重蔵の名はこの『ジャスティス』で世間に認知された。
【「宇宙生命体の侵略から世界を救う空中要塞ジャスティスに搭乗した若者たちの戦いを描く涙と絆の物語」
とベタベタな設定が意外と受け、ジャスティスはアニメ化されるまでの人気作となった。
まあ、最終十八巻で「搭乗者全員が死ぬ」という全滅エンドは主にネットで死ぬほど叩かれたわけだが】
ネットでの叩かれようは酷いものだったが、真柴が発したのは【間違えたなぁ、展開】という我関せずなものだった。
【ジャスティスの連載を終え、しばらく何も考えられない日々が続いた。
そんな折、多くの友人や世話になった人間から誘いを受け遊びに行く機会が増えた。
その中で驚いたのは、彼ら彼女らから自分に向けられる印象の違いだった。
あるものは陽気な真柴といい、あるものは影のある真柴という。
本質的にはどちらでもないと思ったが、その場その場で彼ら彼女らが思う自分の姿を想像し、彼ら彼女らの思う真柴証を具体化しようとしていた。
どこにも居場所がない、求められるだけの孤独、と正常な人間ならそのように感じるだろう日々の中、はて俺にはついぞそのような感覚は降ってこなかったのだ。
「異世界奮闘記魔女っ子ルミちゃん」というふざけたタイトルのコメディを描き始めたのは三十も半ばになった頃。
「人間界に堕とされた神の使いルミちゃんが、様々な生物の世界を転々とし、ドタバタコメディを繰り広げる」
まあ、ブラックユーモアありのライトな作品になった。
アニメ化、実写化など、主に何故か子どもたちに大ヒットしたルミちゃん。
ファンから貰う様々な感想に目を通す中で、気になるものがいくつかあった。
「作者は人間を書けてない。人間がわかってないんじゃないか」
書けるわけがないじゃないか、と苦笑する。
わかったことなんて一度もない。
「私はルミちゃんのように、みんなと違う孤独な気分に苦しんできました。でも、この辛さを理解してくれる友人に出会い、今では友人と共に作品を楽しんでいます!」
それは、喜ばしいことだ、となんのやっかみもなく思えた。
孤独というものに苦しんだことのない自分には、理解できない出会いがあったのだろう。
ルミちゃんを描いて良かった。
そう考えていた矢先だった。
自分の身体に病が見つかったのは。
それは母と同じ病だった】
余命を告げられた真柴は動揺することもなく、【そうですか】と一言だけ呟いた。
【病室の天井を眺めながら、空っぽの入れ物になる自分を想像した。
あまり恐怖は感じず、「父はどんな気分だったのだろう?」という思いに至った。
真柴重蔵というペンネームは父の名だ。
真柴証という名がどうしても好きになれず、都合のいいペンネームはないか、と考えていたときにふと浮かんだのだ。
あの日、魂の抜けた入れ物になった父。
まるで人間が理解できない空っぽの自分。
自分の中に父を入れ込むような大袈裟な気分でつけたペンネームだったが、もうそろそろお役御免となりそうだった。
死後の手続きや整理を数少ない友人に頼むと、みな快く受けてくれた。
もしかすると、人生で初めて誰かに求めたのかもしれない。
いや、知らないうちに求めていたこともあったかもしれない。
求め方を知らなかっただけで、救われようとしなかっただけで。
悲しくはない、辛くはない。
ほんとうにそう思っていたのだから、タチが悪い。
病室で暇を持て余し、友人が持ってきた書籍に目を通す。
そこに書かれていた「煩悩」「四苦八苦」というセンテンスに目がとまる。
煩悩と呼べるものが自分にあるとしたら、ルミちゃんの続きを描きたいという欲くらいだろう。
自分の中ではいつ終わってもいいものだったが、その作品を糧にしている人間も多いと聞いて、それは申し訳ないと思っていた。
真柴は神だ、と大袈裟なネット記事も見た。
人間も理解出来なかった人間もどきを、神と崇める記事に苦笑する。
本物の神がいるなら、と思う。
自分は四苦八苦を重ねただろうか?と問う。
実感もないまま、この魂をお返しすることになります、と懺悔の真似事をしてみる。
神は応えない、と信心深い友人が言っていたことは本当らしい。
問いは、懺悔は、自分の中をぐるぐる響き回るだけで。
終生理解出来なかった人間たちに囲まれ息を引きとるまでそう考えていた。
この命が誰から借りたものなのか、誰に返すのかもわからない。
求める人間に何も与えてやれず、欲しているものを提示出来なかった人生を少し悔やむ。
悔やむ、そうか自分は。
まだ生きていたかった。
愛されてはいた。
愛することが、出来なかった。
また命というものがお借りできたなら、今度は愛さなければ。
愛というものが何かは不明だけど、愛そう。
そう切実に思う。
ほんとうの空っぽの入れ物になった自分を覗き見ていた。
病室の窓から外を見ると、朝方から降り続いた雨が、みぞれ雪に変わっていた。
その日、真柴証の長い人間観察が終わった】




