1話
ポツン、ポツン、と。
雨垂れのようなモノローグが聞こえる。
【中学のとき、父が死んだ】
真柴と一体となり、この身体が放つ言葉を内側で聴いている。
【家族を顧みない父だった。俺が幼い頃から単身赴任を繰り返し、父との会話は数えるほどだったように思う】
真柴は淡々と、まるで他人のエピソードのように語り続ける。
【幼い頃の自分を振り返れば、情感の強い子だった、と感じる。
だけど、中学二年ときに父が死んだ。
その出来事あたりから、俺は自分の性根に気づき始めた】
真柴の父は、厳格な人物だった。
自分に厳しく、他者にも厳しい。
そんな気難しい父親だった。
【黒い幕が垂れ下がり、線香の匂いで満たされる見慣れたはずの我が家。
朝方から降り続いていた雨が、昼前には雪に変わった。
我が家に横たわる父は以前の厳格さを失い、ただの入れ物としてそこにいた】
出棺前、母から【お父さんに触ってあげて】と無理矢理父に触れされられた真柴。
【冷たいな】と簡素な思いを浮かべる真柴。
【「可哀想に」「気を強く持ってね」「辛くても頑張って生きるんだよ」
顔も名前も朧げな親戚や父の友人たち、母の友人や近所の人。
その誰もが父の入れ物の前で涙を流し、別れを告げていた。
驚いたのは、いつも父を腐してばかりだった母の涙だった。
母は、自分の欲望のまま生きる横柄な人だったように記憶している。
父の稼ぎで悠々自適に暮らし、我が子のことも簡単に侮蔑するような、まあ、どうしようもない母だった。
だから、驚いた。
その涙の正体がなんであるかはわからなかったが、そんな母の姿を気丈な振る舞いとして捉えた周囲がつられまた泣く。
父の写真を抱え、みぞれ雪のなか父を見送る。
いまここで、「さっきから足が痛くて」だとか、「見たいアニメがあったんだけど」とは言えないんだろうなぁ、と不謹慎な感想を抱く中学生だった。
多くの他人が他人を悼み、他人が涙にくれ、他人が励ましの言葉までくれる。
理解できないなぁ、人間。
父が空に消えていく。
その光景を遠くに見て、情感に溢れていたはずの自分から、何かが抜けていくのがわかった】
快活だった真柴は、そこから他者の顔色をうかがう青年へと変貌してしまう。
【友人たちに「人間がわからない」と話すと決まって「でた!厨二病」「哲学者かよ」と揶揄された。
大人たちに真剣に訊ねても良い答えは聞けず、あげく「あの子は危ない」「お父さんのこともあったから」「悪いことに手を染めないように」といらぬ心配をされてしまう。
これは考えてはいけないことなんだな、と理解するまでそんなに時間はかからなかった。
誰もこの理解しがたいものに答えを持っていないのなら、訊ねるのも面倒になった】
真柴は死にたいと思っていたわけではない。
生きて人間を見定めたい、と身に余る願望を抱いていた。それが、自分の欲望だと気付かぬまま。
【そこから、他者を観察するようになった。
もちろん愉悦や快楽のためなんかじゃなく、生存のために。
どのような振る舞いを求められているか、どのように苦しみ悲しめばよいのか、どれくらい喜べばこの他者たちは厨二病や危ない子と言わなくなるだろう】
真柴はそれなりに友人がいて、それなりに周囲に溶け込んだ。
【高校生の終わり頃になって、初めて彼女というものができた。
漫画家になりなよ、と言ったのもその彼女だったと記憶している。定かでないが】
おろおろとしながら告白する彼女に対して、真柴の情動は変化しなかった。
【とりあえずは勉強を頑張り、おかしな人間だと思われないよう振る舞ったおかげで、大学の推薦が決まっていた。
同じく推薦が決まっていた彼女と付き合い始めてからのことは、正直よく覚えていない。
求愛行動をとる彼女に対して、なにが正解なのか、と問答を繰り返す日々だった。
大学に入学したあと、しばらくして彼女と別れた。
「何も求めてくれない」
と言われたが、何故そんな当たり前のことを今更、と憤ったことを覚えている。
自分は、振る舞っているだけだったのに、と。
この憤りというものが自分から湧いて出たことに歓喜した俺は、その「発見した感情」を道標に書いた漫画で商業デビューを果たした。
それが二十一歳のとき。
その頃、母が重い病に伏し、余命幾ばくもないと告げられていた】




