第19話〜《白狼》、砦に吠える⑤
砦は死の沈黙に支配されていた。
先ほどまで耳を裂いていた怒号も、剣戟の響きも、今はなく。残っているのは呻きと血の滴る音ばかりだった。
石畳は赤に染まり、裂けた腹からは臓腑が零れ、砕けた鎧片が散らばっている。戦場の終わり――いや、虐殺の果てである。
血塗れの白狼、ルカイヤ・カーナはその中心に立っていた。
ロングソードを片手に、刃を軽く振り払う。血の雫が弧を描き、石畳に散った。呼吸は微動だに揺らがず、その瞳は氷のように冴えている。
「掃討を続けろ。……生きている者は、皆、殺せ」
冷徹な声が響いた。
兵たちが頷くが、その顔に浮かぶのは畏怖と陶酔の入り混じった表情だった。ルカイヤが命じたのだから実行する――だが心の奥底で、この冷酷さに震えぬ者は一人もいなかった。
近くで呻く声があった。
血に濡れて倒れるサディア兵が、まだ生きていた。胸に矢が刺さり、呼吸は荒い。だが、その目はまだ生に縋っていた。
「……た、助け……」
必死の命乞い。伸ばされた手は泥と血に汚れて震えている。
ルカイヤはそれを見下ろし、鼻で笑った。
「……女と同じだ。命乞いは見苦しい」
次の瞬間、鎧の足がその喉を踏み砕いた。
骨の砕ける音が響き、血の泡が口から溢れる。呻きはそのまま潰えた。
ルカイヤは剣を振るうまでもなかった。ただ足を動かしただけで、命は終わった。
「ひっ……!」
近くにいたサディア兵が顔を引きつらせる。
彼は血に濡れた地に膝をつき、武器を放り投げた。
「こ、降伏する! 命だけは……!」
その声を、白狼の瞳が射抜いた。
凍り付いたような視線。兵の背筋が強張り、声が震える。
「戦場に立った時点で死は定まっている」
ルカイヤの声は冷たい。
「潔く死ね。それすらできぬなら……最初から剣を取るな」
言葉が終わるより早く、剣が閃いた。
首が石畳に転がり、鮮血が噴き上がる。逃げようとした者も、その横で無惨に斬り伏せられた。命乞いは一瞬で断ち切られ、残ったのは不気味な静寂だけだった。
砦の広場に残るのは、血の海でもがく敗残兵だけだった。
彼らは助けを求め、逃げ道を探した。だが返ってくるのは剣の閃きだけだ。
白狼軍に降伏の余地はなく、命乞いは剣の閃きにかき消され、嘲笑だけが残った。
「待て、頼む! 家族が――」
サディア兵の叫びを、ルカイヤは聞きもしなかった。
ロングソードが一直線に突き込み、喉を貫く。
断末魔が血の泡に掻き消される。
「家族だと? なら共に死ね」
吐き捨てるような声が、戦場に落ちた。
やがて、広場には倒れた死体しか残らなくなった。
呻きは消え、血の匂いと火薬の煙だけが漂う。
兵士たちは無言で死体を踏み越え、ただ白狼の次の指示を待った。
だがルカイヤは剣を下げ、ただ立ち尽くしていた。
静寂にあってなお、彼の瞳は燃えていた。
憎悪と破壊衝動。
命乞いを許さぬのは、弱さを憎むからか。あるいは、自らがかつて見た「女の命乞い」を二度と許さぬためか。
兵たちが理解することはない。ただ、その姿に震えるばかりだ。
「……まだ足りぬ」
誰に向けるでもなく、低く呟く。
その声は戦場に響き、残された兵たちの心をさらに凍らせた。
砦は陥ちた。
だが血塗れの白狼の飢えは、決して満たされることはなかった。




