第15話〜《白狼》、砦に吠える①
夜明けを告げる角笛が、山あいに鋭く響き渡った。
秋の冷たい空気が震え、軍勢の鎧が一斉にきしみを上げる。
前夜、天幕の下で描かれた線は、いま現実となり、鉄と血の路を刻み出そうとしていた。
先頭に立つのは、血塗れの白狼――ルカイヤ・カーナ。
白銀の鎧と真紅の外套を翻し、馬鎧をまとった白馬の背に跨るその姿は、朝焼けを背にした死の旗印だった。
彼が掲げた剣に合わせて、第一騎士団の騎兵が地を蹴る。
大地が揺れ、轟音が山谷にこだました。
「突撃――!」
号令は短く、冷たかった。
それでも兵は動く。いや、彼らはこの男の狂気に魅入られ、抗えぬまま従うのだ。
鉄と肉と土の混じる戦場に踏み出せるのは、彼が先陣に立つからこそだった。
左翼では、カルマ・カーナ率いる第二騎士団が規律正しく進軍していた。
盾を構える兵士たちに彼女は声を張り上げる。
「逃げ出す者は許すな――一人も!」
その言葉は兄の命令をなぞったもの。
だが胸には冷たい棘が刺さっていた。捕虜を取らず皆殺し――兄の戦の常を、彼女はいまだ受け入れられない。
それでも剣を掲げる。兵の秩序を乱さぬことが、彼女の責務だった。
「進め! 恐れるな、盾を重ねろ!」
カルマの指揮に従い、第二騎士団の列は崩れず、じりじりと砦へ迫っていった。
中衛では、セオドア・タナーの冷静な声が戦場を律していた。
「盾を上げろ! 前列、槍を備えろ。……よし、進軍を続けろ」
矢の雨に晒されながらも、その灰色の瞳はわずかな乱れも見逃さなかった。
その横を駆け抜けるのは、赤毛を振り乱したシーダ・ソアレ。兵の肩を叩き、無邪気な笑みで叫ぶ。
「いけいけ! 殿下が先に行っちまうぞ! お前たち、血塗れの白狼様に置いていかれていいのか!?」
兵士たちの士気が火を噴くように上がる。
セオドアの冷徹とシーダの狂気――相反する二つの力が、同じ陣を動かしていた。
後衛では、第六騎士団長ギュンター・ハイムが退路を固めていた。
老練の声が響く。
「退く道がある限り、兵は前へ進める。踏み止まれ、怯むな!」
その重い響きは、背後を預ける兵たちに安堵を与えていた。
さらに後方――。
ファティマ女王国の魔法兵団が沈黙のまま控えていた。
ルシア・ギルシアは馬上から戦場を見据え、紅の瞳を細める。
命じられたのは「後方で腐っていろ」。
だが彼女の瞳は、すでに砦の石壁と城門を冷徹に測っていた。
無言のまま、その心には別の策が息づき始めていた。
砦正面。
槍兵の列が迫り出し、矢の雨が空を覆う。
ルカイヤは白馬の首筋を叩き、突撃の速度を上げた。
巨剣が振り下ろされるたび、槍は折れ、兵が両断される。
血飛沫が白銀の鎧を染め、真紅の外套をさらに重く揺らした。
「は、白狼だ――!」
敵兵の絶叫が広がる。
恐慌は瞬時に陣を侵し、槍列が乱れた。
そこへ第一騎士団がなだれ込み、血の奔流が砦前を覆った。
ルカイヤの眼差しは氷のように冷たく、しかしその奥には燃え盛る炎があった。
(もっとだ……もっと殺せ。サディアの血でこの地を赤く染めろ)
かつて母を奪った仇敵。
その象徴たるサディア連邦国の兵を斬るたび、彼の胸には空虚な歓喜が走る。
破壊の衝動こそが、彼を突き動かす生きる意味であった。
矢が飛び、剣が交わり、叫びが響く。
砦を囲む谷は瞬く間に修羅の地獄へと変わった。
前夜、地図の上に描かれた布陣は、いま現実の血路となり、動き出している。
線は鉄と血と叫びの奔流へと姿を変えた。
ルカイヤの剣が、砦の門前を叩き割らんとする――。
砦攻城戦が、いよいよ幕を開けた。




