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第9話〜《白狼》、再び前線へ

 夜明け前の空が、静かに白んでいく。


 秋の風が冷たく肌を撫で、高台の上からは城下と広場が見渡せた。

 東の空がかすかに白み始め、皇居カーナの広場に整列した兵士たちの鎧が薄明に鈍く光る。


 今回の出陣は、ルカイヤとカルマの戦線復帰と同時に兵の補填を兼ねたものだ。

 徴募兵の姿も多く、その中には戦場の空気すら知らぬ者も少なくない。

 彼らの張り詰めた呼吸が、刺すような緊張を漂わせていた。


 風が吹き抜け、軍旗が揺れる。

 それに合わせて鎧の金属が擦れ、音を立てる。

 無言の兵たちが放つ沈黙の重さが、まさに「戦」の始まりを告げていた。


 ルカイヤ・カーナは、軍の最前に騎乗していた。

 白銀の鎧、真紅の外套を翻し、馬上から黙して全軍の隊列を見渡す。

 整然と並んだ歩兵、騎兵、魔法兵、荷馬車、補給部隊。すべてが彼の命令を待っていた。


 その視界の端――。


 遅れてやってきた一団が、広場の端に到着する。


 ファティマ女王国所属の魔法兵団。

 灰青を基調とした外套を纏った者たち。

 重厚な鎧の騎士や兵たちとは異なる気配を纏い、目立たぬように、しかし確実な存在感を残して静かに後衛の位置に滑り込んでいく。


 その先頭、魔法兵団の師団長ルシア・ギルシアが馬を降りることなく、涼しげな顔でこちらを見やった。


「……随分と悠長だな」


 ルカイヤの声は、朝の風よりも冷たかった。

 だがルシアは微笑んだ。目を細め、いつもの穏やかな口調で応じる。


「術者は、“正確さ”を重んじますからね。慌てて失敗しては、兵たちの命が無駄になりますし」


 挑発にも等しい物言い。それを自覚しているのかいないのか、彼女の顔には一片の悪びれもない。


 ルカイヤは何も返さず、ただ無言でその視線を突き刺した。

 声なき威圧に、後ろの若き術者たちが息を飲む。


 その時だった。


「兄上」


 やや離れた位置で、ひときわ整然とした騎士団が姿を現した。

 第二騎士団。指揮を執るのは、白銀髪の女騎士――カルマ・カーナ。

 彼女は騎乗したまま静かに進み出て、兄の横へと並んだ。


「隊列はすでに整いました。後衛の配置も問題ありません」


 ルカイヤは僅かに眉を動かすだけで、言葉を返さなかった。

 それが彼なりの了承の意であることを、カルマは理解していた。


「……ならば進め」


 その一言が、出陣の号令となった。


 軍列が、動き出す。

 鉄の靴が石畳を打ち、馬蹄の音が空にこだまする。

 カーナ騎士皇国の皇居を背に、戦場へと向かう道を、重く踏みしめながら。


 ルカイヤを先頭に、カルマ率いる第二騎士団、そしてルシアの魔法兵団がその後を続く。

 広場を抜け、城門を潜り、軍列が城下へ差しかかったそのとき――


 通りの一角に、すでに民衆が集まっていた。

 商人、老父母、子どもたち。まだ朝も早いというのに、人々は静かに兵たちを見送っていた。


 子どもたちが、列の脇で笑顔を見せながら手を振っていた。

 しかし、応じる兵は少ない。

 戦の現実を知る者にとって、その笑顔はあまりに――残酷すぎるのだ。


 ただひとり、カルマだけが、そっと馬上から手を上げた。

 それはわずかに指先を動かすだけの、小さな敬礼。


 それに少年が目を輝かせ、さらに大きく手を振った。

 ルカイヤは一瞬だけ視線を向けたが、表情も言葉もなく、すぐに前へ向き直った。


 そして、その時――。


 通りの端、細い路地の影から、一人の男が軍列を見ていた。

 群衆に紛れた旅装の男。深くフードを被り、何食わぬ様子で立っている。


 カルマの目が、その男を捉える。

 一瞬だけ驚きに見開かれたが、すぐにやわらかな笑みを浮かべた。ほんの一瞬の、やさしい笑み。

 だが何も言わず、彼女は馬を進める。


 視線に気づいたのか、男――ブランと名乗っていた彼は、わずかに肩を震わせ、顔を逸らしていた。

 まるで見つかったことが不都合であるかのように。


 ルカイヤは、後方の様子をちらと振り返る。

 何かが、ほんの一瞬、胸の奥に引っかかった。

 だがそれが何かまでは分からず、彼は再び前を向いた。


 ――くだらんな。一時の馴れ合いが何になる。


 呟くことなく、白馬の首筋に手を置く。

 道の先には、血と鉄と泥にまみれた終わりなき戦が待っている。


 それは幾度も嗅ぎ慣れた、戦場特有の匂いだった。


 その匂いは腐臭ではなく、甘い陶酔を伴う。

 刃が肉を裂く感触も、骨が砕ける鈍い音も、鮮明に耳へ届く。


 ――この世界が燃え尽きても構わない。

 いや、その瞬間を最前列で見届けたい。


 ただ、ルカイヤは進む。

 胸の奥で燻り続ける、呪縛のような憎しみを断ち切るために。


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