第7話〜《影》、皇都の休息
初めて訪れた皇都フォルゼンは、シエラにとってすべてが目新しかった。
友好同盟の国とはいえ、ファティマ女王国の王都とはまるで空気が違う。
建物の構造、道の広さ、通りを行き交う人々の服装や言葉遣いまで、どこか異なって見える。――繁栄の形が違う、とでも言うべきか。
皇居からまっすぐに伸びる大通りは、騎士団の行軍や凱旋を見越して造られたものらしく、石畳はしっかりと整備され、道幅も広い。
その両脇に立ち並ぶ家々も、石レンガ造りの重厚な建築で、年季は感じさせつつも丁寧に手入れされていた。
市街地は賑やかだ。商人の掛け声や子どもたちの笑い声があちこちから響く。
戦乱の只中にあるとは思えない、穏やかな暮らしの気配がそこにはあった。
――そんな街の喧騒から少し離れた、城下の外れ。
人気のない小高い丘の広場の隅、秋風に舞う色づいた葉が積もる芝生の上で、ブラン――シエラは寝転んでいた。
男装のまま、両手を頭の後ろで組み、空を見上げる。
広場の向こうに立つ楓の木々が、風に揺れてさらさらと葉を落としていた。
(ルシア様たちと別れて、もう数日。謁見もそろそろ終わった頃だろう)
まもなく、ルシア率いる魔法兵団の小隊が前線へ向かう。名目は使節団――だが、実質的には戦力としての投入。
それに伴い、シエラにも次の任務が下る。嫌な予感しかなかった。
――また、“血塗れの白狼”の観察。
思い返すだけで、胃の奥が重くなる。
カーナ騎士皇国軍本営でのあの一件。あの時の冷たい気配が、いまも肌に貼りついている気がした。
「……はぁ。どうしてこんなことになってるんだか」
誰に言うともなく、ため息混じりに呟く。
ルーの無茶振りには慣れているつもりだったが、最近はさすがに限度を越えている気がする。
「……ていうか、これ全部、あんたのせいじゃないの?」
シエラはそう言って身を起こすと、腰に下げた黒鞘の剣の柄にそっと指を添えた。
――呪われた剣。持ち主に厄災と不幸を齎すとされるそれは、初めて手にした日から、ずっと彼女の傍にあった。
実際、この剣を手にしてからというもの、任務で不測な事態になることが度々あった。
東の大陸に渡ってからの、今の今までもそうだ。
初任務では、些細な潜入調査のはずが斥候部隊に追われ。
ルカイヤの観察任務では、遠距離からの偵察にも関わらず気配を察知され――
野営地では、秘密裏の観察任務とは到底呼べぬ予想外の事態に巻き込まれた。
(……任務自体は、ちゃんと成功してる。けど、悪運がすぎる)
気配を感じて話しかけても、剣からの反応はない。
だが時折、面白がっているような、嘲るような気配が伝わってくるのだ。
腹が立って、何度も投げ捨ててやろうかと思った。だが、そのたびに“焦ったような”気配を返してきて、なんだか憎めなくなってしまう。
(……あの時、一度だけ聞こえた声。あれっきりだけど……)
言葉にはならなくても、自分に関心を寄せ、そばにいようとしてくれている――
そんな不思議な“想い”のようなものを、シエラは確かに感じていた。
「まあ、あんたを使うのは、ごめんだけどね」
自嘲気味に呟き、剣から手を離す。
再び芝生にごろんと寝転がり、目を細めて空を見上げた。
「おや、先客がいたか」
突然の声に、シエラ――ブランは半身を起こした。
視線の先に立っていたのは、一人の女性。
白銀の髪を高く結い上げ、落ち着いた色合いのワンピースを着ている。
華美ではないが、布の質や所作から、育ちの良さがうかがえる。
年はシエラと同じか、少し下くらい。だが、その瞳には年齢以上の静けさと微かな寂しさが宿っていた。
「……こんにちは」
自然と声をかけると、女性は柔らかく微笑んだ。
「君、旅人だろう?」
驚いた表情を浮かべたブランに、彼女はくすりと笑う。
「その格好と雰囲気でなんとなくわかる。私はカーマ。君の名前は?」
「ブラン。気ままな旅人。今は、ちょっとした暇つぶし中ってとこかな」
曖昧に返すと、カーマは遠慮なくその隣に腰を下ろした。
「ここはね、母が好きだった場所なんだ」
ふと、語るように呟いたカーマの横顔には、どこか懐かしい風が漂っていた。
「……少し変な話かもしれないけど、私に母の記憶はない。
でも、小さい頃、兄から聞かされた。母は、よくこの広場で空を見ていたって。……それからは、私も疲れたときここに来て、空を眺めるようになったんだ」
「ふうん。……いい場所だね」
「うん。君も気に入ったみたいだ」
二人はふっと笑い合う。
「ブランに兄弟はいるのかい?」
何気ない問いに、ブラン――シエラは一瞬言葉に詰まる。
思い出すのは、実の妹アンナのことだけ。
あの一件以来、もう八年。生きているかどうかさえ、知らない。
胸の奥にちくりと痛みが走る。だが、それに蓋をしてブランとしての仮面を被った。
「妹が一人。もうずっと会えてないけどね」
「そうか。……君は“お兄さん”なんだね。私の兄とは、全然雰囲気が違うな」
「へえ? 君の兄さんって、どんな人?」
何気なく訊ねると、カーマは困ったように笑った。
「気に入らないとすぐ不機嫌になるし、物にあたるし、八つ当たりもする。
――今年で二十九になるのに自己中心的で、まったく手のかかる人なんだ」
「……それ、ただの癇癪持ちじゃん」
「そう。よく言われる。でも、誰も兄には言えないから、私に愚痴が回ってくる。……私にどうしろって言うのかね」
「そりゃ大変だ」
思わず吹き出したブランにつられて、カーマも笑った
「ふふ。よかったら、もう少し私の愚痴に付き合ってくれるかい、ブラン」
「もちろん、喜んで」
そこからカーマの話は止まらなかった。
顔色で察しろという無言の圧力がすごい、不機嫌が過ぎて壁に穴を開けていたなどなど、次々と繰り出される愚痴の数々に、ブランは「うわあ……」と思いながらも聞き入った。
だが、その端々には兄を心配する気持ちが見え隠れしていて、それが少し微笑ましくもあった。
しばらくしてカーマはすっきりした様子で、ふぅと息をつき年相応の笑顔を見せた。
「楽しかった。兄のことを笑って話せたの、久しぶりだ」
「こっちこそ。役に立てたならよかったよ」
陽が傾き、影が長く伸びる。
「また会えるかな?」
カーマの問いに、ブランは少しだけ笑って応えた。
「どうだろう。僕は気ままな旅人だからね。……でも、また話せたらいいな」
「じゃあ、願っておく。風の向きが、また君をここに運んでくれるようにって」
「風任せか」
「うん。……でも、きっとまた会える気がする」
そう言ってカーマは立ち上がり、風に髪を揺らして去っていった。
カーマがいなくなったあとも、ブラン――シエラはしばらくその場に座り続けていた。
――あの女性、どこか変わっていた。
年相応の穏やかさと、年齢以上の翳り。
柔らかな言葉の奥に感じる芯の強さと、かすかな寂しさ。
(……カーマ、か)
名前に聞き覚えはない。けれど、その眼差しに、なぜか既視感があった。
誰かに似ている。けれど、それが誰なのか、思い出せない。
シエラは立ち上がり、手についた葉を払って空を見上げた。
空はすでに、茜から群青へと染まりつつあった。
秋は陽の落ちるのが早い。
(さて……、宿に戻ろうか)
明日あたりには、ルーから新たな任が届くだろう。
それまでは、束の間の休息だ。
(……ま、どうせまた、厄介事だろうな)
皮肉めいた独り言を漏らして、シエラは芝生を後にした。
背後の空には、大きな雲がゆっくりと形を変えていた。




