第6話〜幕間~《白狼》、戦姫は誇りを語る
カーナ騎士皇国の皇居、迎賓室。
深い藍を基調とした内装に、光を和らげる半透明の緞帳。
厳格な会議室とは異なり、ここには皇族の私的な歓談の場としての余裕があった。
その中央、並べられたソファの一つに、カルマ・カーナが座る。
真っ直ぐな背筋と、微笑を浮かべた横顔――だが、その目元には、うっすらと疲れが滲んでいた。
「改めまして、お久しぶりです。ルシアおばさま。先ほどは兄が失礼いたしました」
穏やかな声色で言うと、向かいのソファに腰掛けたルシアもまた、口元に柔らかな笑みを湛えた。
「本当に久しぶりね、カルマ皇女。すっかり大きくなって……最後にお会いしたのは、いつだったかしら?」
「私が七つの時です。兄が十五。――ですから、十四年ぶりですね」
「あら、もうそんなに経ったのね……」
ルシアは感慨深げに目を細めた。
言葉の端々に懐かしさが滲む。
幼い日々、広い皇居の廊下を駆け回っていた記憶。香草の話や、小さな魔法の実演。
あの日のルシアは恐ろしくも美しく、母親の記憶がないカルマにとって、母のようなあたたかさを感じさせていた。
「当時は、色々な話をしてくださいましたね。魔術のこと、薬草のこと……すべて、よく覚えています」
「まあ、嬉しいわ。あなたは賢くて、何より人の話をちゃんと聞ける子だった。ルカイヤ皇子とは、また随分と違って」
ふふ、とルシアが口元を隠して笑うと、カルマも小さく目を伏せて笑った。
室内の空気が、ゆっくりと和らいでいく。
それはまるで、冷え切った水にひと雫の温かさが落ちるようだった。
しかし、その穏やかな空気の中で、ルシアはふと話題を切り替える。
「そういえば、ルカイヤ皇子も次期皇位継承が見えてきているというのに、婚姻の話はないようね。――婚約者だったあの子は、どうしたのかしら?」
その問いに、カルマの笑みがわずかに翳った。
唇が引き結ばれ、瞼が一瞬、伏せられる。
「……ルシアおばさまは、兄上の“噂”をどこまでご存知でしょうか」
ルシアは笑みを崩さぬまま、しかし声を低めた。
「……殺してしまったのね」
重く、静かな言葉だった。
カルマは、ただ一度、こくりと頷く。
「――政治的な繋がりのために決められた、幼い頃からの婚約でした。けれど……彼女は兄を心配するふりをしながら、結局、自分の立場と家の利益のみを見ていた」
抑えられた声。その奥に、冷たい怒りと哀しみがある。
「母の件で兄は心を病み、長く人と距離を置いていました。ようやく回復し始めた時期に……彼女は焦って、無理を通しました。家からの命令もあったのでしょう。“既成事実”を作るため、兄の寝所に忍び込み――」
声が途切れる。空気が張り詰める。
「――兄は、目を覚まし、激昂し……斬ったのです」
静寂が降りた。
ルシアは深く、ゆっくりと息をついた。
「……彼らしい、判断ね」
「今の兄は、兄の地位に媚びへつらう女性たちを、心底、軽蔑しています。婚姻話は以後、一切ありません」
しばしの沈黙。
やがて、ルシアは少し首を傾げる。
「……カルマ皇女。あなたの婚約者は?」
問いかけに、カルマは困ったように肩を竦め、微かな笑みを浮かべた。
「逃げました。恐らくは……兄の“残忍さ”を恐れて、ですね」
「……あらまあ」
ルシアは唇に指を当て、含み笑いをもらす。
「あなた、本当にルカイヤ皇子の癇癪に振り回されて大変ね」
その言葉に、カルマは少しだけ頬を緩めた。
「けれど……あんな兄でも、私にとっては、たった一人の兄なのです」
その声音に、どこか自嘲にも似た諦めと、静かな決意が混じる。
ルシアはその眼差しを見つめて、ゆっくりと頷いた。
「……あなたの強さは、誇るべきものよ。カルマ皇女。自分を失わずに傍にいるということは、誰にでもできることではないわ」
カルマはわずかに首を横に振った。
「いえ。私はただ、兄の“止め役”でいられることを誇りに思っているだけです」
そして、まっすぐな目でルシアを見つめる。
「ルシアおばさまに、こうしてお会いできて、本当に嬉しい。
……兄は、近いうちにまた前線へ戻るでしょう。もちろん、私も同行します。兄の側を離れず、共に戦地へ赴くつもりです」
その声は静かで、迷いがなかった。
「共に肩を並べ、同じ空を見られるだけで、十分に幸せです」
その言葉のあとに浮かんだ微笑は、どこか影を帯びながらも――確かに、誇り高いものだった。




