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第4話〜《影》、皇都の風を感じる

 カーナ騎士皇国の皇都、フォルゼン。

 岩山の傾斜を背に築かれた皇都は、まさに“天然の要塞”と呼ぶに相応しい佇まいだった。


 背後の岩肌を背負うようにして聳える皇居は、重厚な石造りの荘厳な城であり、代々の皇王が幾度となく手を加え、補修しながら守り続けてきた歴史の象徴でもある。

 どこか厳格な印象を与える灰色の壁面には、長年の風雪に晒された傷跡もあるが、それすら建築美として溶け込んでいた。


 その岩山の麓に広がるのが、城下街である。

 高く堅牢な外壁に囲まれた街は、昼下がりの陽射しを受けて賑わいを見せていた。

 秋の空気は乾いていたが冷たくはなく、風に乗って焼き菓子の香ばしい匂いが漂ってくる。


 通りを行き交う商人たちの声が飛び交い、子どもたちは剣の形をした木の枝を手に騎士ごっこに興じている。

 時折、街を巡回する鎧姿の騎士がその様子を見つけては、冗談めいた一言をかけ、子どもたちがきゃっきゃと笑って応じる――

 そんな穏やかな風景が、日常として根付いている場所だった。


 その皇都の、外壁のさらに外。


 岩の斜面が緩やかに広がる野地の一角に、天幕がいくつも張られている。

 荘厳さを感じさせる白の布が風にはためき、整然と並べられたそれらは、ファティマ女王国より派遣された魔法兵団の野営地だ。


 通常ならば城内の詰所に通される程度の部隊規模だったが、国境を越えての訪問とあっては、話は別になる。

 ファティマ女王国の女王から正式な通達があったとはいえ、政治の場で「はいどうぞ」とすんなり迎え入れられるほど、現実は甘くない。


 まずは入国の申請。続いて滞在理由、同行者の情報、そして魔術師としての登録証の提出。形式的でありながら、それぞれに確認と審査が必要となる。たとえ友好国の使者であっても、その手続きは変わらない。


 とはいえ、女王の直命を受けた正式な使者であり、血縁でもあるルシアの立場は、皇王側にも無視できないものだった。外交日程の合間を縫って謁見の機会が設けられることになっており、早ければ明後日には皇都へ入り、入城と面会が叶う見通しとなっている。


 それまでは、ただ待つしかなかった。




 野営地の中央に設けられた、ひときわ大きな天幕。その幕越しに射す陽が、昼下がりの空気をほのかにあたためていた。


 そこへ、書類束を抱えた一人の女性がそっと入ってくる。ルシア率いる魔法兵団の庶務担当――レナだ。

 控えめに幕をめくりながら、一枚の厚紙を取り出し、丁寧に差し出す。


「ルシア様。こちら、先ほど発行されたばかりの、ブラン様の通行許可証です」


「ありがとう。仕事が早いわね」


 ルシアに差し出されたのは、皇都内での一時滞在を許可する旅人向けの正式な通行証。名前、職業、滞在目的などが記されている。


「ほんと、助かります。さすが気が利く女性だ」


 軽やかな声が割り込んできた。

 いつの間にか現れた男が、燻んだ金髪を揺らし、気障な笑みでレナに歩み寄る。


「手配のお礼に、今度お茶でもどうですか? 僕、紅茶はちょっとした通ですよ、レナさん」


 レナの名を囁くように呼ぶと、彼女の頬がほんのりと染まった。

 通行証を受け取る際に指先がふと触れ合ったのは、計算か偶然か。


「……あ、い、いえ……失礼しましたっ!」


 慌てて手を引っ込め、顔を赤らめたまま視線を泳がせるレナ。

 男はその反応を楽しむように、優しげな笑みを浮かべていた。


 ――が。


「……ごほん」


 咳払い一つ。天幕の空気が、すっと冷える。


「……あっ……! す、すみません、ルシア様!」


 我に返ったようにレナが慌てて声を上げる。


「明朝、カーナ騎士皇国の外交官と検査官がこちらに来訪するそうです。武器と魔道具の確認、あと部隊の人員点検があるかと……」


「思ったより早いわね」


 ルシアは机上の書類を整えながら、静かに頷いた。


「知らせてくれてありがとう。朝晩は冷えるから、体調には気をつけてね」


「はいっ。失礼いたします!」


 レナが軽く会釈して天幕を後にすると、ルシアはふぅとため息をひとつ吐き、傍らに立つ男に視線を向けた。


「……うちの部隊の子に、手を出さないでもらえる?」


「出してませんよ。社交です、あくまで。ちょっとした礼儀の範疇ですって」


 肩をすくめるその仕草は、どこか演技めいていて――妙に板についている。


 ブラン・マイアス。

 若き護衛傭兵という彼は、過去に貴族の警護を任されたこともあるという触れ込み。燻んだ淡金の髪に碧い目、穏やかな物腰と軽妙な口調――それすべてが、作られた“役”の一部だ。


 そう。“彼”の正体は、男などではない。


 それは――シエラ。ファティマ女王国の諜報組織“影”の諜報員。

 今回の任務においては身元を隠すため、この男装と偽名で、公式にルシアの随行者として同行していた。


「まったく……シエラってば、いえ、今は“ブラン”?」


 ルシアは呆れ混じりに肩をすくめ、悪戯好きな弟を宥める姉のような眼差しを向ける。


「何もしてないですよ。ただね、この前レナさんが“ブランの顔、ドンピシャに好み”って言ってたんで、ちょっとだけ……ね?」


 とぼけた調子で言いながら、ブラン――シエラは茶目っ気を浮かべた笑みをこぼした。

 ……のだが、ルシアにじろりと睨まれて、慌てて姿勢を正す。


「……黙ってて。ややこしくなるから」


「はいはい」


 小さくお辞儀をしてみせるブランに、ルシアはさらに深いため息をつく。


「あなたって、背も高いし、顔立ちも整ってるし。性別関係なく油断ならないのよね……」


「努力の成果です。光栄です」


 にっこり微笑むその顔は、どう見ても“爽やか好青年”そのものだった。


 外では風が葉を揺らし、天幕の端がわずかにさざめいた。秋の気配が、陽光をやわらかく包んでいく。


「さて……順調にいけば、明日の夕方には皇都に入れるわ」


 ルシアが書類を片付けながら、何気なく告げる。


「それまでが、今回のあなたの任務。通行許可証もあるし、街に入ったら適当に自由行動でもしてきなさい。見聞を広めるのも、諜報の一環よ」


「ありがたく……ただし、“皇居には近づくな”って、ルー様からお達し出てますからね。気をつけますよ、ほんと」


 今度の返事は、男のものではなかった。

 柔らかく落ち着いた声音――シエラ本人の声だった。


 皇都フォルゼン。

 岩山を背にした石造りの城塞都市に、彼女が足を踏み入れるのはこれが初めてだ。

 潜入でも、任務でもない。ただ――自分の目で見るために。


 風の匂いが、変わり始めていた。

 人と街の気配を運ぶそれは、どこか懐かしく、秋の訪れを感じさせるものだった。


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