第1話〜《影》、義姉と合流する
カーナ騎士皇国領、皇都へと続く街道――
その中ほどにある小さな平地で、魔法兵団の小隊が小休止のため野営を行っていた。
簡素ながら整えられた陣の中央、ひときわ大きな白い天幕には、ファティマ女王国所属の魔法兵団、その最高位を示す旗印が翻っている。
その天幕へ、一つの影が案内されていた。
「いらっしゃい、シエラ。よく来てくれたわね」
にこやかに出迎えたのは、魔法兵団の最高責任者――ルシア・ギルシア。
夕暮れの残照が銀灰の髪を照らし、その姿はまるで月光をまとったような神秘的な印象を帯びていた。
「……お久しぶりです、ルシア様。予定より半刻ほど遅れてしまいました。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
深々と頭を下げるシエラ。その礼節を欠かさぬ姿に、ルシアは柔らかな笑みを浮かべる。
「そんな堅くならなくていいのよ。いまは“旅の途中”なんだから。さ、座って」
そう言ってルシアはシエラの手を取り、椅子へと導いた。
品の良いテーブルにはすでに二客のティーカップが置かれ、紅茶の芳香が漂っている。
それはルシアなりのもてなしだった。
カップを手渡されるその所作に、シエラはふとギルシア公爵邸での時間を思い出す。
――まるで、姉と妹のような距離感がそこにはあった。
「あなた、“血濡れの白狼”の観察任務についていたんですってね?」
ふわりとした口調のまま、しかし唐突に放たれた言葉に、シエラの指先がピクリと動く。
「……はい。戦場と本隊野営地の外縁に潜伏し、状況の観察を行っておりました」
「まったく。お父様ったら、なんて仕事を振ってるのかしら……」
ルシアは呆れたように肩をすくめ、紅茶を一口。
そして視線を向ける。その目には、どこか探るような光が宿っていた。
「それでね――」
「……はい?」
怪訝そうに首を傾げるシエラを見つめながら、ルシアはさらりと続ける。
「お父様から、あなたの報告書の写しが送られてきたの。でも……なんだか、少し抜けてるんじゃないかしら?」
手にした紅茶を置きながら、ルシアは声のトーンを変えないまま、軽やかに言う。
「……え?」
「あなたにしては珍しく、報告の文面と筆跡に揺らぎがあった」
そこで一拍置き、ルシアは瞳を細めた。
「“接触は禁止。観察のみ”だったはずよね?」
シエラの背筋がぴんと伸びる。瞬間、肩の奥に汗が滲むのを感じた。
「い、いえ、接触はしておりません。確かに、近くにルカイヤ皇子が来た事実はありますが、目視はされず……あくまで接触には至っておりませんので……!」
「そう。でも“気づかれた”とは書いてなかったわよね? 声をかけられたとも――」
「……そ、それは……!」
焦りが言葉をつまらせた。どう言えば正しいか、思考が追いつかない。
ルシアは責める様子もなく、ただ静かに彼女を見つめていた。
――その目には、どこか愉しげな色すら混じっている。
「……ふふ、お姉さんの勘は当たりみたいね」
からかうように言うその声音に、シエラはぐっと唇を噛む。
――これだからギルシアの血筋は厄介なのだ。ルー様といい、ルシア様といい、人の心の綻びを見逃さない。
「もしかして、シエラ……怖かった? それとも、驚いちゃったの?」
「……べ、別に、怖がったわけでは……!」
だが思い返すのは、耳から離れなかった“あの声”。
それだけは報告書に書けなかった。
人の心を揺らすような、静かで低く力強い声。
だがその奥底に沈んでいた“聞こえてしまった”何か――それが恐ろしくも、妙に心に残っている。
「……過剰な記載を避けた方が、報告の精度が保たれると判断しただけです」
「あら、それってつまり書きたくなかったってことかしら?」
「……っ……!」
ルシアはにっこりと微笑みながら、そっとカップを置く。
「怒ってるんじゃないの。ただ……ほんの少し、心配してたの。あれが鼻の利く男だってこと、私は知ってるから。
あなたが捕まったり、殺されたりしてたら……本当に、悲しかったわ」
その言葉に、シエラの表情がわずかに揺れた。
「……ご心配をおかけしました。でも、私は大丈夫です」
「ええ、知ってる。あなたは強いもの。
……でもね、これからは少しだけ、あなたが“感じたこと”も報告に書いてほしいの。そういう感覚って、情報としてとても大事だから」
まるで母が娘に語りかけるような、やさしい声音だった。
シエラはカップを持ち上げ、ようやく一口啜る。
温かく、ほんのり甘い紅茶の香りが、張り詰めていた心をふっと緩めてくれる。
「……はい。次からは、そうします」
「いい子ね」
微笑むルシアもまた、紅茶を口に運び、ふと声の調子を変える。
「それで。ルカイヤ皇子は、私の妹――シエラの目に、どう映った?」
「……すごく強い人でした。噂に違わず、戦場では冷酷でした。
でも……どこか、苦しそうで。何かを胸の内に抱えていて、それを押し殺しているような……」
一拍置いて、シエラは言葉を探す。
――あの声の奥に“聞こえた”何か。それを正確に言い表す言葉は、まだ見つからない。
「ふうん」
黙り込むシエラを見つめ、ルシアは手の内のティーカップをくるくると回しながら、柔らかく頷いた。
「興味が出てきた?」
「いえっ。そういうのではありません。ただ、もし彼が“呪い”に触れているのなら……その根っこを見ておきたかっただけです」
「うん、知ってる。あなたのそういうところ、私好きよ」
ふとした拍子に、ルシアの声音が静かに、真摯なものに変わる。
「……はい」
シエラは慌てて目を伏せた。その頬は、紅茶よりも赤く染まっていた
「でも……男としてはどう?」
「だから、それは違いますってば……!」
「ふふ。よかった。そうやって赤くなるところ、昔から変わらないわね。ほんと、可愛い妹」
「……もう、ルシア様ったら」
困ったように、けれどどこか安堵したように――
シエラは、笑った。




