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第17話~《影》、命をつなぐ

 ヤシェナの花の根をしっかりと包み込んだ薬草袋を胸に、シエラとユリオは慎重に山道を下り始めた。


 陽が稜線を照らし、森の影にかすかな光が差し込む。夜の名残を引きずるように、木々の葉はまだ風に揺れていた。


 魔物の気配は、完全には遠ざかっていない。

 シエラは耳を澄ましながら、ユリオの肩にそっと手を添えた。


「ここからは気を抜かないで。あと少しよ」


 ユリオは額に汗をにじませながらも、小さくうなずいた。小さな足取りは重く、それでも懸命に前へ進んだ。シエラの影に重なるように、その背を追い続ける。


 やがて、木々の合間から人里の屋根が見えた。ほっと胸を撫で下ろしたのはシエラの方だった。夏の光に照らされる道が、ようやく安全圏へとつながっていた。




 宿の扉を押し開けた瞬間、重い静寂が全身を包んだ。


 窓辺にはエイダがいた。椅子に腰掛け、震える指先でニコの額に布をあてている。

 蒼ざめた顔に、寝息だけがかすかに響いていた。


「シエラちゃん……!」


 エイダの声が震える。目に光が差し、一瞬、張り詰めていた空気が解けた。


 ユリオはまっすぐニコの枕元に駆け寄り、ベッドの傍らに膝をついた。


「ニコ、これできっと……よくなるよ」


 その声を追うように、ニコがうっすらと目を開いた。

 焦点の合わないまま、それでも兄の声を頼りに、微かに微笑んだ。


 医者がすぐに動き始めた。

 ヤシェナの花の根を丁寧に刻み、煎じ、火にかける。薬鍋から立ちのぼる湯気には、ほろ苦く、それでいて清らかな草の香りが混じっていた。


「さあ、飲ませてあげて」


 医者の言葉に、ユリオは震える手で器を持った。


「ニコ、ちょっとだけ苦いけど……がんばろう」


 口元に薬を運ぶと、ニコは一度、小さく咳き込んだ。それでも口を開け、ごくり、ごくりと飲み込んだ。


 部屋の空気が静まり返る。


 祈るように、誰もがその体の変化を見守った。


 やがて――


 額の汗が引き、荒かった呼吸がゆっくりと穏やかに整っていく。

 赤みを帯びていた顔が、徐々に本来の血色を取り戻し始めた。


「……ああ……よかった……」


 エイダが、そしてマルタが声をあげて泣いた。

 静かに、しかし堰を切ったように、涙が頬を伝った。母親たちの手が、何度もニコの小さな身体を撫でていた。


 ユリオは顔を上げ、隣にいたシエラを見た。


「ありがとう、シエラ姉ちゃん」


 まだあどけなさの残るその笑顔は、夜明けの光にも似ていた。


 シエラは柔らかく微笑み返す。


「いいえ。あなたがあの山に登ってくれたからよ。でも……これからは、無茶はしないこと。分かった?」


「うん。もう、しない」


 素直にうなずいたユリオは、そっとニコの手を握った。兄弟の指が重なり、小さな命に寄り添うように熱を伝える。


 その日、命の炎がふたたび灯った。

 何気ない日々の中で忘れられがちな、その尊さが胸に沁みるように。


 ――シエラは、静かにその光景を見つめていた。


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