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第2話~《影》、ひとときの呼吸

「……よし。これで文句は言われないでしょ」


 机に向かっていたシエラは、最後の一文に句点を打ち、羽ペンを静かに傾けた。

 羊皮紙の上に刻まれた文字列は、任務の報告書だ。地図の複写と境界線の更新情報。どちらも、サディア連邦国との間で緊張が高まるカーナ騎士皇国の戦況を把握するうえで重要なもの。

 カーナ騎士皇国と友好関係にあるファティマ女王国にとっても、状況を見極めるためにきわめて貴重な資料である。

 ──“影”として要求される最低限の仕事は、きっちり果たした。


 ここは、カーナ騎士皇国領の片隅にある小さな町。

 シエラが選んだのは、裏通りに面した古びた二階建ての宿屋だった。窓辺に干された洗濯物、朝からやけに元気な宿の女将。

 空気はのどかで、ほんの数日前に命を狙われたことが嘘のように思える。


 報告書を小包みに包むと、窓辺で待機していた小さな鳥型の魔物に視線を移す。

 褐色の羽毛に、黒曜石のような瞳。翼をばさりと鳴らすと、鳥は静かに机の上へと降り立った。


「さ、働いてちょうだい。ルー様はこういうの、無駄に厳しいからね」


 そう言って、シエラは鳥の頭を指先でつついた。鳥は一つ羽ばたいて、きゅっ、と小さく鳴く。どこか愛嬌のある仕草に、思わず口元が緩む。


 鳥は小包みを鉤爪で掴むと、窓の外へと飛び立った。

 軽やかな羽音が、静かな空間に消えていく。


 それを見送りながら、シエラはひとつ深く息を吐いた。緊張を抜いたというよりも、静かに気を切り替えるように。


 席を立ち、窓辺に肘をついて外を見やる。

 道を行き交う人々の声。行商人の掛け声。遠くで子どもがはしゃぐ音。

 町は、どこにでもある穏やかな日常で満ちていた。この国が戦火の只中にあるだなんて、まるで嘘のようだ。


(……さて。あとは、次の指示が届くまでのんびりさせてもらいましょ)


 そう思いながらシエラは一度背伸びをし、軋む音を立ててベッドに腰を下ろす。

 床に放っていたブーツの片方に足を入れかけて──やっぱりやめて、足首を揺らす。


(……お風呂にも入りたい。甘いものも食べたい。なんなら昼寝もしたい。ついでに言うなら、働きたくないな。一生ダラダラ過ごしたい)


 現実には一つも叶いそうにない願いを、シエラは心の中でこっそり並べた。ほんの少し、目を細めながら。


 どさりとベッドに仰向けに倒れ込む。

 窓の向こうでは、町の喧噪が続いていた。

 人の話し声、商人の呼び込み、馬車の車輪が石畳を軋ませる音。

 ──まるで、戦なんてどこにもないかのような、平和な音だった。


(……このくらいで、満たされる心なら良かったのにね)


 ぽつりと浮かんだ独白に、自嘲めいた息が漏れる。

 無理に肩の力を抜いても、思考は鈍らない。

 気を抜けば、すぐに過去の記憶が足を引いてくる。


(昔の私は、どんな顔で笑ってたんだろ。……ま、思い出す価値もないか)


 誰に教わるでもなく、諦め方だけは自然と覚えてしまった。

 “影”として生きるのなら、それでいい。

 そう割り切れなければ、とっくに壊れていたはずだ。


 ──けれど

 ときどき、ふと思ってしまうのだ。


(どうせ壊れるなら、いっそ誰かのせいにできたら、楽なんだけどね)


 口元がゆるむ。

 笑っているのか、あざけっているのか、自分でもよくわからなかった。


 次の任務は、いつになるだろう。

 それが来るまでに、少しくらいは──呼吸を整えておきたい。


 そう思いながら、シエラは天井を見上げたまま、ゆっくりとまばたきをひとつ落とした。


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