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第16話〜《影》、発見する

 獣の血が土に吸われ、朝の光が山を染め始めていた。


 息を整えながら、シエラはユリオの額ににじんだ汗をそっと拭った。その体温はすでに落ち着いている。けれど彼の手は、まだ少し震えていた。


「……どうして、こっちに来たの?」


 優しく尋ねるシエラの声に、ユリオは肩を揺らした。視線をそらし、しばらく黙っていたが、やがて小さく指を伸ばした。


「……あっちに……白い花が……少し、見えた気がして」


 木々の隙間。朝日が差し込みはじめた小道の先に、何かがあると信じて歩いたのだろう。


 シエラはその言葉に、ふとまぶたを伏せる。無謀と一蹴することもできた。けれど――できなかった。


 彼女はユリオの手を取り、やわらかく握り返す。そして同じ高さにしゃがみ、目を合わせて静かに言った。


「一緒に行こう。あなたが見つけてくれた道なんだから」


 ユリオの目が、ぱちりと瞬く。咎められると思っていたのだろう。けれど、責められなかったことに、戸惑いと安堵が入り混じったような表情を浮かべる。


 命を懸けてでも、誰かを助けたいと願うその衝動。その無鉄砲さと真っ直ぐさが、かつての自分と重なって見えた。




 二人は木々の間を進んだ。


 朝の光が斜めに射し込むたびに、緑の葉が風に揺れ、揺れる光と影が地面を飾っていく。鳥のさえずりが、ようやく山の静けさを破り始めた。


 湿った苔を踏みしめながら、ユリオは何度か後ろを振り返る。そのたびに、シエラは安心させるように言った。


「大丈夫。後ろは、私が見てる」


 その言葉が、どれほど彼の不安を和らげたか。ユリオの背筋は少しだけ伸び、足取りも確かになった。


 やがて、小さな沢の音が聞こえてくる。水の流れる細道のほとり。苔むした岩の間に、しだの葉がふわりと揺れていた。


「……あれ……!」


 ユリオが指差した。


 そこには――朝日に照らされて、白く、淡く、確かな光を宿すように咲く花があった。


 五弁の、小さく繊細な白い花。


「……ヤシェナの花……」


 シエラが囁く。薬草袋を開き、慎重にナイフを取り出して、根を傷つけぬよう一輪だけを摘んだ。


「これで……ニコの熱、下がる?」


 ユリオの声には、希望と不安が溶けていた。シエラはその花を大切に包みながら微笑む。


「ええ。煎じれば、きっと熱は引くわ」


 少年はほっと息を吐き、ぺたりとその場に腰を下ろす。シエラは自分の上着を脱ぎ、静かに彼の肩にかけた。


「……ユリオ」


「……ん?」


「あなたは、とてもすごいことをしたのよ」


 少年は目を丸くした。照れているような、不思議そうな顔でこちらを見る。


「命をかけて誰かを助けようとする――その覚悟は、とても尊い。でも、子供がそれをやると、“無謀”って呼ばれるのよ。私もそうだった」


 シエラの声には、少しだけ乾いた笑みが混じっていた。

 まるで、かつての自分に語りかけるような、懐かしい響き。


「けどね。その“無謀”が、本当に誰かの命をつなぐこともあるの。私は、それを信じてる」


 ユリオは黙ってうなずいた。わずかに赤くなった目の奥に、幼さと――そして確かに、意志が宿っていた。




 しばらくして、二人は花を袋に収め、沢を離れた。


 帰り道の途中、朝の光がいっそう強くなっていた。草露がキラキラと光り、鳥たちの囀りが、山全体に溶けていく。


 シエラはふと、隣を歩くユリオの姿に目をやる。


 小さな背中。でも、決して小さくはない決意が、そこにはあった。


(私はこの子を、ただ“守る対象”として見ていた……けど、それだけじゃ足りない)


 彼の意思を尊び、信じ、必要ならば――共に戦う覚悟が、自分にも必要なのだと、シエラは知る。


 ただ背を守るのではない。


 ――隣に立ち、歩いていくこと。


 それがきっと、この時代に生きるための、本当の強さなのだ。


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