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第14話〜《影》、決意する

 夜になっても、ニコの熱は下がらなかった。


 昼間はまだ、時折目を開けたり、母の声に小さく反応を示していた。けれど今は、ただ浅い息を繰り返すばかり。濡れた布を何度取り替えても、額の熱は引かず、むしろじりじりと熱気を増していく。


「……変ね。昼の薬、効いてたはずなのに」


 布をしぼっていたエイダが、手を止めて首をかしげる。けれど、その眉間には不安の色が濃く刻まれていた。朗らかな宿の女主人――その面影は薄れ、揺れる蝋燭の灯が陰影を深く落としていく。


 ペリュリ草の煎じ薬。通常の風邪や熱なら、数時間もあれば症状が和らぐはずだった。それが効かないということは、ただの病ではないのかもしれない。


「……お医者様、もうすぐ来るって」


 部屋の扉が開き、マルタが戻ってくる。小さな弟を見下ろしながら、恐る恐るその呼吸を確かめていた。


「シエラさんの薬も……効かないみたい」


 彼女の声は小さく震えていた。ファティマ女王国の宮廷で作られた高価な解熱剤ですら、この熱を鎮めることはできなかったのだ。


「……寝息、浅い」


 そう呟いたのはユリオだった。声は冷静を装っていたが、きつく握られた両手が、内心の不安を雄弁に物語っていた。


 ほどなくして医者が到着した。


 年嵩の男は黙ってニコの脈を取り、目を開かせ、舌を確認し、何度か深いため息をついた。


「……“ナナ・ムルの熱”だな」


「なんですって?」


 エイダが即座に問い返す。医者は目元を曇らせ、慎重に説明を始めた。


「この辺りに稀に出る風土病です。幼い子供が、極々まれにかかる。熱と衰弱が主な症状で、ほかに目立った兆候がない。発見が遅れれば……」


 言葉を選び、一拍置いてから医者は続ける。


「……四日以内に回復しなければ、命の保証はできません」


「……そんな……」


 エイダの声が、かすれる。


「薬は……ないんですか」


 マルタが祈るように問いかけた。


「あるにはある。“ヤシェナの花”の根を使った薬です。あれがあれば、熱を鎮めることができる」


 そう言って医者は、背負っていた鞄をごそごそと探ったが、出てきたのは空の小瓶だった。


「……今は手元にない。そもそも、あの花は手に入りにくいんです。

 ミリュエールの背の山……その北側、陽の当たらぬ急斜面の、岩場にだけ咲く。普通の者では行けない。滑落して命を落とす者もいる」


 医者の言葉は、ニコの死の可能性を正面から突きつけるものだった。


 マルタが口元を押さえた。エイダは黙ったまま、眠っているニコの胸がかすかに上下しているのを確かめるように見つめていた。まるで、目を離したら消えてしまうものを、祈るように。


「……“ヤシェナの花”なら、知っています」


 静寂を破ったのは、シエラの声だった。

 淡く、だが明瞭な声。皆の視線が、彼女に集まる。


「白い五弁の花。夜明け前に咲いて、昼には閉じる。根に強い解熱効果があります。……明日、山へ行って摘んできます」


「シエラちゃん……でも、そんな危ない場所に……!」


 エイダが思わず制するように声を上げた。だが、シエラはゆっくりと首を振った。


「慣れています。山も、夜明け前の行動も。危険は承知しています。でも、子供を死なせたくはありません」


 シエラは落ち着いた口調でそう言った。


 それは任務ではない。誰からも命じられていない。だが、それでも彼女は動くことを選んでいた。


「お願い……お願い、シエラちゃん……」


 女主人ではなく、一人の母として――エイダがシエラの手を取って頭を下げた。その手は微かに震えていた。


 シエラはその手をそっと握り返し、短く、けれど力強く言った。


「任せてください。必ず、摘んできます」


 蝋燭の火が、わずかに揺れる。


 そしてそのとき、誰も気づいていなかった。


 ユリオがじっと視線を落とし、何かを強くかみ締めるようにしていたことに。


 その目に灯っていたのは――言葉にはされぬ、別の意志だった。


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