囁く声が森の中から
真央の体がふわっと光に包まれ、次の瞬間には元の姿に戻っていた。
「……やっと元に戻れた……」
真央は耳を触り、尻尾がなくなったことを確認してほっと息をついた。
「もったいないな〜! もうちょっと猫真央ちゃんでいてほしかったんだけどな〜」
レナが未練たっぷりに言う。
「いや、もう十分堪能したでしょ!? これ以上は耐えられない!」
真央は顔を赤らめながら必死に言い返した。
「まぁまぁ、可愛かったのは事実ですし?」
エリシアもくすくす笑いながら同意する。
「ほら、そんなことよりカインに話があるんでしょ?」
「……そうだった!」
真央は話題を変えようと、まだ膝を抱えているカインに向き直る。
猫扱いの恥ずかしさを引きずりながらも、真央は気を取り直してカインに話し始めた。
「実は、お願いがあって。カイン、馬車を出してくれない?」
カインは仕事の気配を感じると目を瞬かせ
「馬車? どこまで?」
と聞き返す。
「アルディアス中央学園まで」
「……おっと、それはまた随分と遠いですねぇ」
「ちょっと色々あってね……」
真央が事情を一通り説明する。
カインは腕を組んで考え込む。
「悪いけど、それなりの報酬をいただかないと無理ですね」
「えっ!? さっき助けてあげたじゃん!」
レナがぶーぶー文句を言うが、カインは軽く肩をすくめた。
「助けてもらったのは感謝してますよ? でも商売は商売ですからね」
「むぅ〜、ケチ〜!」
レナが頬を膨らませる。
「代わりにその猫になる靴はレナさんに差し上げましょうか?」
カインが提案する。
「え!!いいの!?」
レナが手のひらを返して喜ぶ。
「この際、お金には糸目をつけませんわ」
エリシアはきっぱり言い、カインは満足そうに頷いた。
「決まりですね。王女様をお運びできるなんて、光栄な仕事です」
「都合がいいね……」
真央は少し呆れたようにと呟くのだった。
「ところで中央学園までどんくらいかかるワケ?」
レナがカインに尋ねると、カインは指で軽く顎を撫でながら答えた。
「とても急いで二日ですね」
「えぇーっ!? そんなにかかんの!?」
レナが驚いて大げさに手を振る。
「普通の馬車なら三日はかかりますよ? それを二日で行くんだから、むしろ速い方です」
カインが肩をすくめる。
「ってことは野宿する感じ?キャンプだ!!」
レナは案外アウトドア好きだった。
「じゃあ、僕は馬車の準備をしてきます。また後で街の入口で合流しましょう」
そう言ってカインは軽く手を振り、足早に去っていった。
「さて、私たちも買い出しに行かないとね」
真央が促すと、レナとエリシアも頷く。
買い出しの途中、三人は酒場に立ち寄り、マスターに挨拶をした。
「お嬢ちゃんたち、もう発つのかい?」
「あい、世話になりましたー!」
レナが軽く手を挙げると、マスターは
「まぁ、また来な」
と笑った。
その後、食料や水を中心に旅の準備を進めるが――
「お菓子いっぱい買っとこっと!」
レナが山のようにお菓子を持ってきた。
「ちょっとレナ、買いすぎじゃない?」
「えぇ〜? 旅のお供に甘いモンは必須でしょー?このクッキーとか超美味しそう!」
「でも荷物になるし……」
「まぁまぁ、いいじゃありませんか」
エリシアが間に入り、真央をなだめる。
結局、レナの持ってきたお菓子はそのまま購入されることになった。
買い出しを終え、街の入口でカインと合流すると、彼は準備万端の馬車の前で待っていた。
「では、出発といきましょう」
三人は荷台に乗り込み、馬車が動き出す。
馬車が揺れる中、真央は少し緊張した様子でレナを見た。
「……レナに渡したいものがあるんだけど」
「えっ、なになに!?」
レナが目を輝かせて身を乗り出す。真央は小さな袋を取り出し、中からペアのブレスレットを取り出した。
「これ……街に着いたとき、レナが欲しいって言ってたから」
「えっ!? これ、あのときの……!」
レナの顔が驚きと嬉しさでぱっと明るくなる。
「うん。カインを探してる間に買ったんだ」
「ちょっ、マジで!? 言ってよー!一緒に買いに行ったのにー!」
「驚かせたかったから……それに、レナ喜ぶかなって思って」
「喜ぶに決まってるじゃん!! 真央、ありがとー!」
レナは勢いよくブレスレットを受け取り、さっそく腕にはめた。
「どう? 似合ってる?」
レナが期待に満ちた瞳で腕を突き出す。真央はふっと笑って頷いた。
「うん。すごく似合ってる」
「えへへっ♪ 真央も付けてみて!」
「うん……」
真央ももうひとつのブレスレットを手首にはめる。レナはそれを見て、さらに笑顔を輝かせた。
「ふふっ、これでオソロだね!」
「そうだね…!」
真央は恥ずかしそうにしながらも、どこか嬉しそうだった。
「これ付けてたら、真央とずっと繋がってる気がする〜!」
「大げさすぎだよ……」
そう言いながらも、真央の口元には小さな笑みが浮かんでいる。
そして、突然レナが真央に抱きついた。
「もう〜! 真央マジで最高!!」
「わっ……ちょ、レナ……!」
驚きながらも、真央は優しくレナの背中に手を回し、ぎゅっと抱き返した。
その様子を微笑みながら見ていたエリシアだったが、少し寂しそうに呟く。
「……私の分はないのですか?」
「え〜? これは私と真央の愛の証だもんね?」
レナが真央にしがみついたまま、得意げに言う。
「もう……レナったら」
真央は呆れつつも、少し嬉しそうに小さく笑った。
街を出発した馬車は夜の森を走っていた。魔法のランタンの光が辺りを照らしながら静かに揺れていた。ランタンは馬車の周りを取り囲んでふわふわと浮かんでいる。
「ねえ、このランタン、欲しい~!超便利〜!」
レナがランタンを見つめながら言う。
「それはレナが欲しいって言っても買わないからね?」
真央は無駄遣いを許さない。
「え〜…でも〜…」
レナが返事をしようとしたその時、馬車の外から微かに声が聞こえた。
「……たすけて……」
か細い声に、三人は同時に顔を見合わせた。
「……今、聞こえた?」
真央が静かに尋ねる。
「聞こえた……誰か、森の中で助けを求めてる?」
レナが少し身を乗り出す。
「おかしいですわ……」
エリシアの顔が険しくなる。
「この森には、声で旅人を惑わせるモンスターが出ると聞いたことがありますの」
「つまり、罠の可能性が高いってこと?」
真央が確認する。
エリシアは静かに頷いた。
「ええ。うかつに外へ出るべきではありませんわ」
「……でも、もし本当に誰かが困ってたら?」
レナが戸惑いながら外を見つめると、今度は別の方向からまた声が聞こえた。
「……こっちへ……おいで……」
先ほどとは違う、囁くような声。しかも、今度は明らかに別の方向からだった。
「ねぇ、めっちゃ怖いんだけど!」
レナが腕をさすりながら真央に擦り寄る。
「……カイン、大丈夫?」
真央は御者席にいるカインに声をかけた。しかし、カインは無言のまま馬を操っている。
「カイン?」
「……ああ……僕、行かなくちゃ……」
カインの目が虚ろになり、手綱を握る力が緩んだ。馬車がぐらつき、馬が不安げに鳴く。
「ちょっと!? 何やってんの!?」
レナは叫ぶと同時に、カインの頬を思い切りビンタした。
「はっ……!?」
カインが驚き、目を覚ます。
「いったぁ!?」
「アンタ、操縦ミスったら大事故でしょ!? ちゃんとしなさいよ!」
「す、すみません……! なんか急に意識がぼやけて……」
「まさか、あの声がカインを惑わせたの……?」
真央が険しい顔をする。
「ええ、間違いありませんわ。これ以上聞き続ければ、また操られる可能性がありますわね……!」
エリシアは深く息を吸い、馬車の中で静かに手を合わせた。
「……願わくば、この声が届かぬように……」
「聖域の結界」
彼女が祈るように唱えると、馬車の周囲に淡い光が広がる。やがて、その光が膜のように広がり、馬車全体を包み込んだ。
「おぉ!? なんか静かになった?」
レナが周囲を見回す。
「防御結界を張りましたわ。これで、モンスターの声は届かないはずです。」
「ナイス、エリシア!」
レナが親指を立てる。
「助かります……。今のうちに、この森を抜けましょう!」
カインが手綱を引き、馬車の速度を上げる。
「ふぅ~……マジで怖かった……」
レナがへたり込む。
「……何かいますわね」
エリシアが何者かの気配に気づく。
その時、ドンッ!!と大きな衝撃が馬車に響く。
「今、森の中からなんか飛んで来こなかった……?」
真央が狼狽える。
森の中から人影がぞろぞろと現れる。
それは魔物の囁きに惑わされた冒険者達だった。
彼らの眼は虚ろでまともな思考ができていないように見える。
「ちょっと!攻撃しようとしてない!?」
レナが叫ぶ。
冒険者達は武器を構え、馬車に向かって斬撃や魔法を放ってくる。しかし、エリシアが張った結界がその攻撃を防いでいた。
「結界は持ちこたえていますが、ずっとは無理です……!」
エリシアの額には汗が滲む。
「カイン、馬車を止めて!」
レナが馬車の荷台から飛び降りて冒険者達はの方へかけだした。
「目を覚ませーっ!!」
バチン!!
レナの強烈なビンタが冒険者の顔面に炸裂した。
ビンタを食らった冒険者が吹っ飛び地面に転がる。
「え……俺……何してた……?」
どうやら正気をとり戻したようである。
「よっしゃ、手応えアリ!全員ぶっ飛ばすしかないっしょ!」
そう言うや否や、レナは攻撃をくぐり抜けながら次々とビンタで冒険者をぶっ飛ばして行く。
その間に、真央はフィオナを呼び出した。
「フィオナ!この囁きの主を探して!」
「森の中で私に見つけられないものなんてないわ!」
フィオナが自信満々にそう言うと、ふわりと宙を舞い感覚を研ぎ澄ます。
「いた!あの茂みの中にいるわ!」
フィオナが指をさす。
「そこですね!」
カインがすかさずボウガンを構え、魔法の矢を連射する。
カインの放った矢は、空気を裂くような音を立てながら狙い違わず茂みに突き刺さる。
茂みの中から魔物の断末魔のような声が聞こえると同時に囁き声消え、冒険者達は完全に正気を取り戻す。
「俺たち……何を……?」
「なんか、すげぇ夢を見ていたような……」
エリシアは結界を解き、夜の森が静寂を取り戻した。
「やれやれですわ……」
エリシアが胸を撫でおろす。
カインも安堵の息をつきながら、ボウガンを下ろした。
「ふぅ……助かりましたね。しかし、出発早々こんな厄介なモンスターに遭遇するとは……」
レナは腕を組み、頬を膨らませながら言った。
「ホントだよ~! せっかくの夜道ドライブが台無しじゃん!」
「ドライブ感覚なのはどうかと思うけどね……」
真央が呆れつつも、無事に事態が収まったことにほっとする。
ふと、周囲を見回すと、正気を取り戻した冒険者たちはまだ呆然としていた。
「……あの、私たち、一体……?」
「さっきまで変な声が聞こえて……身体が勝手に魔法を……」
「安心してください。貴方達を惑わせていたモンスターはもう倒しましたわ」
エリシアが微笑みながら答えると、冒険者たちは安堵したように息をついた。
「すみません、本当に……このお礼はいつか必ず……!」
「まぁまぁ、気にしないで!わたしもビンタでストレス発散できたし!」
レナは軽く手を振って笑っている。
「レナはなんでも楽しみすぎ」
真央は呆れつつも、小さく笑った。
カインが手綱を握りながら言う。
「また別のモンスターが現れるかもしれません。先を急ぎましょう」
真央たちも頷き、冒険者たちに見送られながら再び馬車へと乗り込んだ。
森の中を進む馬車の中、魔法のランタンの灯りが揺れ、窓の外には暗闇が広がっていた。
魔物の囁きは消えたものの、不気味な静けさが逆に緊張感を生んでいる。
そんな中、レナがふと真央の隣にすり寄り、小声で言った。
「ねぇ、ちょっと怖いからさ……手、繋いでいい?」
真央は驚いてレナを見た。レナの顔は冗談めかして笑っていたが、その目はどこか本気のようにも見える。
「べ、別に怖がるようなことないでしょ……」
そう言いながらも、真央は自分の手のひらがじんわりと汗ばんでいるのを感じた。
「えー? だってさっきまでモンスターに襲われてたじゃん? 夜の森ってなんかゾワゾワするし……ダメ?」
レナがちょっと上目遣いで甘えるように言うものだから、真央は余計にドキドキしてしまう。
「……わかったよ」
そう言って、真央はそっと自分の手を差し出した。レナが嬉しそうに握ると、その手はほんのり温かかった。
「ふふっ、ありがと♡」
レナは満足そうに微笑みながら、指を絡めてきた。真央は顔を赤くしながらも、繋がれた手をぎゅっと握り返した。
エリシアはそんな二人をチラッと見て、微笑ましそうに静かに息をついた。
馬車はついに暗い森を抜け、ゆっくりと夜の道を進んでいく。