彩と涙
前回に続いての臨時投稿となります。
新キャラが登場します。初めてのお出かけ回です。
4話
「やっぱり高いところって気持ちいいな…。」
大きな窓から見下ろす街並みは、まるで子供のころに夢見ていた模型のようだった。
吹き抜けの屋上にそよぐ風に吹かれ、髪が少しだけ揺れる。
今日は、奏と一条さんと一緒に、この街を一望できる屋上庭園にやってきた。
「こんなところに来たの初めて…!」
一条さんは大きな窓に顔を近づけ、キラキラした目で下を見ている。
「いつもと違う景色を見ると、いい気分転換になるよねー。」
だらんと芝生に座った奏が、持ってきたお弁当を広げ始めた。
「え、全員分作ってくれたんですか!?」
一条さんが、奏の持ってきたお弁当を見て目を丸くした。
「…料理人さんに感謝だね。」
「え、料理人?」
ぼそっと呟いた私の言葉を、一条さんは聞き逃さなかった。
奏の両親は、揃って国会議員というエリート一家。
出で立ちには紆余曲折あったみたいだけど、それこそ今は料理人を雇うほどになっている。
「その話はまた今度っ。食べよ食べよー。」
私たちは、屋上庭園の芝生の上にシートを広げ、お弁当を食べた。
梅雨明け間近の爽やかな風が吹き抜け、何とも言えないくらいに心地よい。
「ねえねえ奏さん。」
「ん、どした?」
もぐもぐとお弁当を食べていた一条さんが、不意に奏に話しかけた。
「彩葉さんのこと、もっと詳しく教えてほしいです。」
「むぐっ!」
危うく口からご飯が飛び出すところだった。
「い、一条さん…。」
「あははっ。あーちゃん顔真っ赤!」
奏とは幼馴染で、何を言われるのか怖くて仕方がない。
「あーちゃんのことかー。…私の印象は今も昔も変わってないかな。」
「今も昔も、ですか?」
「そそ。だから、夏海ちゃんの思ってることと変わらないと思うな。」
「そうですか。」と言って、一条さんは考え込むようにして黙ってしまった。
奏の言ってることは、一見はぐらかしているようで全くはぐらかしていない。
そこが、少しだけ怖いところ…。
というか、いつの間に夏海ちゃん呼びになったのだろうか。
「でも、あーちゃんは昔から優しかったよ。いつも私が泣いてると、ハンカチ貸してくれたり、一緒に遊んでくれたり。」
奏の言葉に、私は少し照れながら笑った。
「ほんと、よく泣いてたよね。一緒に遊園地に行ったとき、ジェットコースター怖がってずっと私の腕にしがみついてたじゃん。」
「えー!そんなことあったっけ?」
奏は顔を真っ赤にして、照れ隠しにジュースを飲んだ。
そんな私たちのことを、羨ましそうに見ていた一条さんだったけど、途中からチラチラと私たちの後方に目線を移していることに気が付いた。
なんだろう、と思って振り返ると、そこには学校外ではできるだけ会いたくない人物が立っていた。
「ごきげんよう。」
「……どうも。」
「お三方揃って休日にピクニック。スクープにしちゃいましょうかしら。」
「なんでそうなるの…。」
この人は私と奏の天敵と言ってもいい人物。
私たちのクラスメイトで、PTA会長の娘で学年成績一位の秀才、桜井美琴だ。
「あれ、桜井さんじゃん。どうしたの?」
緊張感がなく、おにぎりをほおばりながら振り向いた奏。
「いいですわね議員の娘さんは。どうせエスカレーター式みたいにすんなりと進学できるんでしょ?」
「…そんなことないよ。誰の家だって苦難ってのはあるものさ。」
気にしていないといった様子の奏だけど、声のトーンは明らかに下がっている。
奏だって苦労している、それも人並み以上に。
それは、先ほど心の中で言った「紆余曲折ある」という言い方に繋がったりする。
特に奏に関しては、そこを知っているか知らないかで、印象ががらりと変わるのだ。
「転校生ちゃんのことも、私がお世話する気満々でしたのに。」
「…一条さんが転校してくること知ってたの?」
「ふふっ。わたくしの情報網をなめないでいただきたいですわね。」
別になめてなんかいないんだけど…。
この高校は、PTAの権力が相当なものらしく、何か決めごとがあるたびに先生方はPTAに打診をして、許可を取っているなんて有様らしい。
「あの、えっと…。桜井さん?」
「なにかしら、転校生ちゃん。」
「この後水族館に行くんですけど、もし良ければ一緒に行きませんか?」
…え?
おそらく、奏も桜井さんも同じような感情を抱いたことだろう。
二人して目が点になっているが、私はこれをチャンスと見た。
「いいじゃん、行こうよ!決まりね。」
「え、ちょっと待ってくださいまし!わたくしは行くなんて一言も…。」
そう言って帰ろうとする桜井さんの耳元に近づき、私はボソッとこんなことを言ってみた。
「一条さんのことが気になるんでしょ?今ならお近づきになれるチャンスですわよ?」
「…っく、屈辱ですわ。あなたにそんなこと言われるなんて。」
しかしそんなことを言いつつ、桜井さんは一緒に行くと言ってくれた。
「こんなビルの中に水族館があったのですね。」
「うちも、あーちゃんに教えてもらうまで気が付かなかったよ。」
いつの間にか仲良く話し始めている二人を見ると、普段学校で「あーでもない。」「こーでもない。」なんて対立している姿が噓のようだった。
「水族館だ…。」
さりげなく私の手を握っていた一条さんは、どこか緊張しているように見えた。
心なしか、握っているその手にも少し力が入っている気がする。
「大丈夫?」
心配になって聞いた私の心を察してか、一条さんはすぐに笑顔に戻った。
「おーい二人とも早く早くーっ。」
え?と思って声を探すと、いつの間にか二人は入場券の発券機を操作していた。
「………。」
実はこの二人って結構お似合いだったりするのではないか、と思ってしまうほどに会話が弾んでいた。
もちろん、互いに権力のある両親がいるから、それ目当てかもしれないけども。
なんて、つい癖で探りを入れようとしている自分をひっぱたいて、一条さんの手を引いて館内に入った。
「お魚さんがたくさんいる…。」
ボソッとそんなことを言った一条さんを見ると、まるで水槽の魚たちとコミュニケーションをとるように、水槽をそっと優しく触りながら、言葉にしたいけどできないような感情が、静かににじみ出ていた。
対するあの二人はというと、「奏さん、ここで写真撮りませんこと?」「いいねえ。可愛いお魚ばかりじゃん。」などと、本当に意気投合したんじゃないかと思うくらいに仲良しになっていた。
「そういえば一条さん、良かったら連絡先交換しない?」
今ここで言うことではないと思ったけど、忘れないうちに聞いておきたかった。
「連絡先…。私の両親厳しくて、家族との連絡以外にスマホを使っちゃだめって言うんだ。」
「ああ、そうなんだ。それじゃあ、仕方ないか…。」
珍しい家庭だなと思いつつも、それなら私がこれ以上聞けることではない。
「でも彩葉さんなら…。いいかな。」
「え、大丈夫なの?」
「うん、信頼できる人とは連絡先交換したいし、こういうの憧れてたから…。」
それならいいのかなと思って、お互いの連絡先を交換した。
「電話番号で検索してくれたら、チャットアプリでも会話できるようになるから。」
「うん、ありがとう…。何かあったときは、彩葉さんに一番最初に連絡するねっ。」
暗がりの水族館が真っ白に輝くような、屈託のない笑顔。
だから、そう言ってくれるのは嬉しいけど、それは時と場合を考慮して、最適な方法を取ってほしい。
そんなことを思った出来事だった。
「ふいー。楽しかったっ!ね、桜井さん!」
「不覚でしたわ。まさか貴方と一緒に楽しんでしまうなんて…。」
………。
桜井さんって、ガードが固そうなそんなイメージを勝手に抱いていたけど、きっと内心は優しくて思いやりのある、そんな人なのかもしれない。
まあ、それをスッキリと消し去ってしまうような言動と行動が無ければいいのにな、なんて思ったりもするけど。
「桜井さんって、自宅はどこらへんなの?」
「何よ樫本彩葉。聞き出したってそう簡単には招きませんことよ?」
「そんなつもりで聞いてないって。ただ、帰りが遅くなっちゃうと申し訳ないなって思っただけ。」
「ご心配に及びませんことよ。ここからだったら電車一本で帰れますもの。」
「それじゃあまた明日ですわ。」と言って、桜井さんは帰っていった。
何というか…、なんて言ったらいいのだろう。
掴みどころのない性格というか、美琴という名前がぴったり合うような、隠されたミステリアスな一面を自らチラつかせている。
「それじゃあ私も帰ろうかな。もう遅い時間だし。」
時刻は既に二十時を過ぎていて、高校生が出歩いていい時間としては、割と遅い時間だ。
「勢いで桜井さんと連絡先交換しちゃったよ。」
「…相変わらずの社交能力ね。どうやって懐に入れたのよ。」
「内緒だよっ。また明日ね!」
そう言って風のように軽やかな足取りで、帰っていった。
それから私たちはというと、何となく言葉数が少ないまま電車を乗り継ぎ、自宅の最寄り駅まで来ていた。
「今日も本当に大丈夫なの?」
またしても足早に自宅に帰ろうとしている一条さんを引き留めるように、そう聞いたのだけど、答えは肯定的なそれだった。
この時の一条さんは、他の場所や場面では絶対に見せることのない表情をしている。
それが余計気になってしまって、つい何回も聞いてしまうのだ。
しかし一条さんは、結局一人で帰っていった。
何か事情があるのは確かなのだろう。
しかしこれ以上は踏み込んでほしくない、そう訴えかけるような表情でこっちを見られては、私のほうから聞けることなんて毎日のように繰り返す決まり文句のような…。
私たちの関係は、まだ見ぬ深海を潜り続けるような、そんな未知なるものだった。
「…ただいま。」
いつものように真っ暗な玄関を通って、リビングの扉を開ける。
今日も例外なく遅く帰ってきそうな両親を「しょうがない人たち」などと表現しながら、お茶を飲もうと冷蔵庫を開けた。
「あれ、なにこれ…。」
いつもだったら、テレビで見るような単身赴任の一人暮らしのように、殺風景な光景が広がっている。
しかしそこには、丸々としたオムライスがあった。
「………。」
ビックリして声が出てこない。
夜ごはんを作ってくれたのなんて、いつぶりだろうか。
「おかしいな…。お弁当は毎日作ってくれてるのに。」
しかしそんな言葉でもかき消すことができないほど、こういう経験がないんだ。
「と、とりあえずお風呂…。」
何となく何かから逃げるように、私は浴室に駆け込んだ。
「はあはあ…。」
ほんの少しだけ駆け足しただけなのに、マラソンをした後のように息が上がっていた。
普段は体から洗うのに、何故だか直感的に、心が「頭から洗え」と命令をしてきた気がした。
ワシャワシャと洗う音が、静かな音が響く浴室。
その中で静かに聞こえる別の音は、きっとまぎれのなく、ごまかすことのできない私なのだろう……。
次回は12月12日(木)22時ごろに投稿します。
引き続き臨時投稿となります。