第98話 男の涙を見た責任
美雨は美波の事故の話を聞いた時に氷室と過去の自分が重なって見えた。
自分も闇のお父様が命を落としたのは自分に責任があり美雨はそれが己の「罪」だと思っていたのだ。
いや、未だにそれは自分の「罪」だと思っているが美雨も昔から「美雨のせいではない」「美雨に責任はない」と周囲の者に言われる度に心が苦しかった。
確かに自分は幼く事件当時は闇のお父様を救う力がなかったのは事実だ。
しかし事件の発端になった我儘を言ったのは美雨である。
美雨には王女として自分の命を護る責任があったはずだ。
たとえ幼くとも美雨はそれを自覚していたのだからそれでも自分の我儘を通した自分にあの事件の責任はある。
闇のお父様を亡くし絶望に心が染まりかけた時に思い出したのが闇のお父様との約束。
「女王になれ」と言った闇のお父様の言葉がその後美雨の生きる原動力になった。
闇のお父様との約束を果たした時こそ美雨の「罪」は赦されるとそう信じて今まで女王を目指し頑張ってきたのだ。
美雨は自分の「罪」が赦される未来があることを信じているしそうなることに希望を持てた。
女王になることは民の幸せを願ってのことではあるが美雨の中では自分の罪が赦される瞬間でもある。
けれど自分の罪が赦される方法を知っている美雨とは違い氷室は自分の罪が赦される方法を見つけられないでいる様子だった。
妹の霊を弔うために神官になると決めたようだがそれでは氷室を救うことはできないと美雨は感じた。
氷室が求めているのは本当の意味での「赦し」だからだ。
そして「赦し」というのはそこに「罪」がなければ存在しない。「罪」があるから赦すことができる。
だから美雨はまず氷室に「罪」があることを認めてあげた。
その後に「罪」があるからこそ「赦す」と伝えたのだ。
美雨がその言葉を口にすると氷室の空色の瞳から涙が零れ落ちる。
ハラハラと涙を流す氷室は儚さが加わりその泣き顔さえ美しい。
不謹慎にも一瞬だけその美しさに美雨は見惚れてしまう。
しかしそれはほんの一瞬だけのこと。
それよりもその涙が今までの氷室の心の苦しさを語っているようで美雨は氷室を抱き締めずにはいられなかった。
「すみません、美雨。取り乱した姿を見せてしまいました」
美雨の胸の中で泣いていた氷室が美雨から離れる。
その空色の瞳からは涙が止まり瞳の奥にあった闇が消えていた。
「いえ、私は気にしませんので」
(良かったわ。氷室様の瞳の闇が消えたみたいで。氷室様もこれできっと前向きに人生を歩めるはず)
自分が氷室を救ったとまでは思わないが少しでも氷室の苦しさを取り除けたのなら嬉しい。
たとえ氷室が自分の水の王配にならなくても氷室がこれから先幸せな人生を送れるように美雨は神に祈る。
「……私は気にします。自分の泣き顔を他人に見られたのは初めてのことですから」
「……え?」
氷室はどこか不機嫌そうな顔をしていた。
(自分の泣き顔を私に見られて氷室様は不愉快なのかしら? 確かに自分の泣き顔を見られるのって嫌な人は嫌よね。それに氷室様は男の人だし……)
そこで美雨も成人男性の涙を初めて見たことに気付いた。
男が泣くということは相手に弱みを見せることでもあると美雨は自分のお父様たちが言っていたことを思い出す。
氷室が不機嫌なのは美雨に自分の弱さを見られたと思ったからかもしれない。
(氷室様は泣き顔も美しい姿に見えたけど、それを言ったら逆効果よね)
泣き顔も素敵でしたとは絶対に言えない。
そんなことを言えば氷室の自尊心をさらに傷つけかねない。
「氷室が泣いたことは誰にも言いませんから」
「そういうことではありません。美雨には男の涙を見た責任を取ってもらいますから覚悟しておいてくださいね」
「……っ!」
氷室は壮絶に美しい笑顔で美雨の手を取りその手にチュッと口づけた。
美雨の心臓がドクンッと大きく高鳴る。
(え? え? 男の涙を見た責任って、な、なに……?)
羞恥で顔を真っ赤にしながら焦る美雨の瞳を氷室の空色の瞳が射抜く。
その瞳は獲物を見つけた獣のように「絶対に逃がさない」と言ってるようだ。
美雨の背筋がゾクリと震えたが次の瞬間には空色の瞳には優しい光だけが宿っていた。
(い、今のは、私の見間違い……?)
「あ、あの、氷室。男の涙を見た責任というのは……」
「さあ、海芳丸の中を案内いたします。どうぞこちらへ」
美雨の問いには答えず氷室は美雨の手を握ったまま船内へと美雨を連れて行く。
先程感じた獣のような気配を氷室から感じることはない。
(さっきのはやっぱり私の見間違いね。氷室様は優しい方に違いないもの)
美雨がつまずかないように手を握り丁寧に船内を案内しながら氷室は海芳丸の戦艦としての性能を説明してくれる。
だからすぐに美雨は先程氷室から感じた気配のことなど忘れてしまった。
氷室に説明されてもハッキリ言って戦艦の性能を全て理解できたわけではなかったがこの海芳丸が素晴らしい戦艦だということは美雨にも分かる。
最後に美雨は操舵室に案内された。
「ここが船を操縦するところです」
「氷室も船を操縦できるんですよね?」
「もちろんです。この海芳丸は父上の許可がないと動かせませんが、美雨が望むなら私の船で外海に出てみますか?」
「氷室の船があるんですか?」
「ええ。乗ってみますか?」
「はい! ぜひお願いします!」
できれば船で海に出てみたかった美雨は喜んで氷室の提案を受け入れる。
「出港の準備に少し時間がかかりますから後日準備ができたら美雨を私の船に招待いたします」
「分かりました。楽しみにしています」
「ええ、私も楽しみです……船の上では貴女も逃げられないでしょうし……」
氷室の言葉の後半部分は小さな声だったので美雨にその言葉が届くことはない。
「では私はそれまで他の水の王配候補者の方々ともお話して交流しますね」
今の段階で氷室を水の王配の有力候補に考えているが他の候補者たちのことを知らずに氷室を選ぶことはできない。
王配選びは美雨の感情だけで決めていいものではないのだから。
「……そうですね。それがいいでしょう。水の王配に誰が相応しいか美雨は女王候補として見極める必要があるでしょうから」
「はい。私はこの国や民のために水の王配に相応しい人物を選びたいです」
「美雨のその心は尊敬します。国や民を想う気持ちは女王に必要ですから美雨は立派な女王になるでしょう……私は貴女以外に想うモノはありませんが……」
「え? すみません、最後の方がよく聞こえなかったんですが……」
「何でもありません。では屋敷に戻りましょうか」
「え、あ、はい」
ニコリと笑みを浮かべた氷室に促されて美雨は海芳丸から下船した。