第105話 香蘭の妊娠
「も、申し訳ありません! わ、私が悪いんです! だからどうか水族を、海人様を罰するのではなく私を罰してください!」
香蘭は悲痛な表情で美雨に赦しを請う。
水の王配候補者に恋人がいるだけでも重罪に処される可能性があるのにさらに隠し子までいるのが女王の耳に入ったら大騒動になるはずだ。
海人や香蘭の当事者だけでなく水族自体にお咎めがあっても文句は言えない。
そのことをよく知っているからこそ香蘭は必死に海人を護ろうとしているのだろう。
「落ち着いてください、香蘭さん。興奮するとお腹の子供にも影響してしまいます。今回のことで水族や海人様に罰が及ばないようにこのことは私の胸の中にしまっておきますので真実だけを教えてください。お腹の子供の父親は海人様ですか?」
「……は、はい……そうです……」
弱々しく香蘭は頷いた。
それだけ分かれば美雨には十分だ。
元々、海人に対して美雨は恋情を持っているわけではない。
そういう意味では海人に恋人がいてその恋人が妊娠していても美雨が衝撃を受けることはなかった。
むしろこれから海人と香蘭が無事に結ばれるかが心配になってしまう。
美雨が赦しても水の族長が二人の仲を赦すかはまた別問題だからだ。
(でもとりあえず私はこの事実を知らないフリをした方がいいわよね。それに香蘭さんは妊娠したことを海人様にまだ話していないようだし。まずは二人で話し合って二人とも幸せになれる道を選んで欲しいわ)
先程の海人の様子では香蘭の妊娠を海人が知っていたとは思えない。
海人のことをよく知っているわけではないが彼がもしこのことを知っていたら平然と水の王配候補者として女王候補者の前には姿を現さなかったはずだ。
海人は自分の恋人を切り捨ててまで王配を望む人物ではない気がする。
「分かりました。でも海人様はこの事実を知らないのですよね?」
「は、はい……今日はそのことを話そうとこの屋敷に来たのです……」
「それならすぐに海人様にこのことを話して二人が幸せになれる方法を話し合ってください。私は何も聞かなかったことにしますから」
「で、でも、本当にそれで良いのですか? 美雨王女殿下。海人様は水の王配候補者なので王配に、え、選ばれるのでは……」
香蘭の瞳は不安そうに揺れる。
この国の民であれば女王と王配がどれだけ国にとって重要な存在か知っていて当たり前だ。
王配選びに来た女王候補者の美雨が海人を自分の水の王配として指名することは何も不思議なことではない。
もちろん王配候補者も「拒否権」があるが香蘭のために海人が「拒否権」を行使するとは限らないので香蘭は不安なのだろう。
美雨はそんな不安に揺れる香蘭に優しく声をかける。
「安心してください。私が海人様を水の王配に選ぶことはありません。それに王配候補者には「拒否権」があります。海人様なら香蘭さんのために女王候補者から王配の指名を受けても必ず「拒否権」を行使してくれるはずです」
「そ、そうでしょうか……」
「香蘭さん。貴女は海人様が王配の座に就くために妊娠した恋人を捨てるような非道な方だと思っているのですか?」
「……っ!」
美雨の言葉に香蘭はハッとしたような表情になる。
そしてその眼差しに強い光を宿した。
「い、いいえ。海人様はそんな御方ではありません。それは長年海人様と共にいたので私が一番よく知っています。美雨王女殿下、ありがとうございます」
お礼の言葉を口にする香蘭の様子を見て美雨はもう大丈夫だろうと判断した。
あとのことは当事者の二人が決めることだ。
「では海人様を呼んで来ますので二人でよく話し合ってくださいね」
美雨はそう香蘭に言うと隣りの部屋に行く。
そこには海人と当麻がいた。
「海人様。香蘭さんは安静にしていれば大丈夫です。香蘭さんからのお話を聞いてあげてください」
「そうですか。ありがとうございます。しかし、美雨様には水連の病状のことを話さなければならないので…」
そこで美雨は海人の部屋に来た当初の目的を思い出した。
水連のことも心配だが今は香蘭が妊娠していることを一刻も早く海人は知るべきだ。
香蘭のことは海人にしか解決できないのだから。
(えっと、確かあの時水連様の部屋には族長と海人様と氷室様以外は面会禁止って兵士の人は言っていたわよね。それはつまり海人様以外の族長と氷室様も水連様の病状を知っているはずだから海人様から話を聞かなくてもお二人のどちらかから聞けばいいことよね)
そう考えると美雨の脳裏にはあの美しい氷の麗人の顔が浮かぶ。
族長に訊くよりは氷室に訊いた方がいいような気がした。
氷室に会いたい気持ちが美雨の中にあるからかもしれないが。
「水連様の病状は氷室様に訊いてみますから海人様は香蘭さんのことを優先してあげてください。海人様と香蘭さんは恋人なんですよね?」
「……っ! み、美雨様、そ、それは……」
「大丈夫です。このことは他の者には言いませんから。香蘭さんはとても大きな悩みを持っています。その悩みを解決できるのは海人様しかいないのです。だから彼女の話を今すぐに聞いてあげてください」
「美雨様……申し訳ありません。美雨様のお心遣いに感謝いたします」
「ただこれだけはハッキリと教えてください、海人様。海人様は香蘭さんと恋人で、もし水の王配に指名されても海人様は「拒否権」を行使されますよね?」
「はい。私と香蘭は恋人です。美雨様の仰る通り私は最初から「拒否権」を行使するつもりでした。そのことについての罰は私ひとりに与えてくださいませんか? 水族も香蘭も関係なく私が悪いのです」
海人からは自分の死すら厭わない強い意思を感じる。
確かにこのことが王家にバレたら最悪海人に与えられる処罰が死罪でもおかしくはない。
自分は死罪にされても恋人や水族を護ろうとする海人の態度に美雨は安堵する。
海人がそれほどの想いで香蘭を愛していることが分かったからだ。
「先程も言いましたが私はお二人のことは誰にも言いません。だから海人様。香蘭さんを幸せにしてあげてください」
「あ、ありがとうございます!」
深々と海人は美雨に頭を下げた。
「では香蘭さんの話を聞いてあげてください。私は氷室様のところに行きますので」
「はい、分かりました。本当にありがとうございます、美雨様」
もう一度深々と頭を下げた海人は寝室に向かう。
海人の姿が寝室に消えたのを確認して美雨は当麻に命じる。
「当麻もこのことは他言しないようにね」
「承知しました。美雨様のお名前に誓って他言致しません」
美雨の騎士である当麻が主人の名にかけて誓ったことを破ることはない。
海人の部屋を出た美雨は次に自分がするべきことを考える。
「それじゃあ、私は氷室様に会いに行きたいんだけど、氷室様がどこにいるか分かるかしら?」
「では使用人に訊いてみましょう」
ちょうど通りかかった使用人に当麻が氷室のいる場所を聞いてくれた。
使用人の話ではおそらく自分の部屋にいるだろうとの話で氷室の部屋の場所を教えてくれる。
「では美雨様。ご案内します」
「ええ」
当麻の後について美雨は歩き出す。
それでも脳裏に浮かぶのは海人と香蘭のことだ。
(ラーマ神様。どうか海人様と香蘭さんが幸せになりますように。そして香蘭さんが元気な赤ちゃんを産めますようにお力をお貸しください)
そう祈りつつ美雨は氷室の部屋へと向かう。




