第104話 海人の恋人の女性
海人について廊下を歩いて行くと前方から若い水族の女性が歩いて来た。
使用人の服装をしていないのでこの屋敷の使用人ではなさそうだ。
すると相手の女性もこちらに気付いたようでその顔が明るい笑顔になる。
美雨に対して笑顔を向けたのかと思ったが美雨はこの女性に面識がない。
(誰かしら……?)
「海人様!」
その女性は嬉しそうに海人の名を呼び美雨の前を歩いていた海人に小走りに近付く。
どうやら美雨に笑顔を向けたわけではなく海人の知り合いだったようだ。
「香蘭。なぜここに来た? しばらくは会えないと言っておいただろう?」
対する海人は戸惑い顔でその女性の名前を呼びチラリと美雨を視線で伺う素振りを見せる。
その視線はまるでまずいところを見られたとでも言ってるように美雨は感じた。
(もしかしてこの香蘭という女性は海人様と特別な関係なのかしら……?)
本来、王配候補者に恋人がいるなど言語道断だ。
光族の光拓は好きな女性がいるとは言っていたが実際に美雨が光族に滞在していた時点ではその女性と付き合っていたわけではないのでギリギリ許容範囲だろう。
だが美雨も絶対に公にはできないが自分の姉の清和に恋人がいたことを知っている。
それを考えれば王配候補者の海人に恋人がいてもおかしな話ではない。
香蘭はそこで初めて美雨の存在に気付いたようだ。
ハッとして笑顔を消すと申し訳なさそうに海人に頭を下げた。
「も、申し訳ありません、海人様……どうしても海人様にお話したいことがあり我慢できずにお屋敷に来てしまいました。お話はまた今度にいたしますので……」
「あ、ああ、そうしてくれ。今は美雨様と話すことがあるんだ」
「美雨様……? あ、もしかしてこちらの御方は……」
「そうだ。華天国第三王女の美雨王女殿下だ」
「し、失礼致しました! 知らぬこととはいえ無礼なことを。大変申し訳ございません!」
香蘭は美雨に対して深々と頭を下げた。
緊張のためか王女に対して不敬だと叱責されることを恐れてか細い肩を僅かに震わせている。
「いえ、気にしていませんから頭を上げてください。それに私は水族に滞在中は王女の立場ではなくひとりの美雨という人間なので」
ニコリと笑みを浮かべて優しく声をかけると香蘭は頭を上げて安心した表情になった。
その香蘭の顔立ちを改めて見るととても綺麗な女性だ。
しなやかでほっそりとした立ち姿は女性の美雨から見ても護ってあげたくなるような雰囲気がある。
包容力のありそうな海人の恋人にはピッタリのように感じた。
だが顔色が幾分蒼ざめているようにも見える。
その顔色は王女の美雨を前にしての緊張だけではないような気がした。
(もしかして香蘭さんは体調が悪いのかな?)
体調が悪いのであれば美雨の「癒し」の力で回復させてあげてもいい。
なので香蘭に「体調が悪いんですか」と声をかけようとした瞬間、香蘭の身体がフラリとよろめいた。
「香蘭!」
慌てて香蘭の身体を海人が抱きとめたので香蘭はその場に倒れずに済んだ。
しかし海人の腕の中の香蘭の顔色はさらに青白くなったように感じる。
「香蘭さん、大丈夫ですか?」
「…すみません……ちょっと気分が……少し休めばよくなりますので……大丈夫です……」
か細い声で「大丈夫」というがとてもそうは思えない。
「海人様。香蘭さんが休める場所まで香蘭さんを運んでもらえませんか? 私の「癒し」の力を使ってみますから」
「わ、分かりました。では私の部屋へ行きましょう」
そのまま海人は香蘭の身体を抱き上げる。
心配そうに香蘭を見つめる海人の表情にも焦りの色が浮かんでいた。
きっと香蘭の体調不良は海人にとっても想定外だったのだろう。
海人の部屋は香蘭と出会った場所のすぐ近くにあった。
両手が塞がっている海人の代わりに当麻が扉を開けて部屋の中に香蘭を運ぶ。
最初の部屋はリビングになっていたが海人はさらに奥の扉の方に進む。
その扉も当麻が手伝い開けるとそこは寝室だった。
寝室にある大きなベッドの上に香蘭を寝かせると海人は彼女の細い手を握る。
「香蘭。体調が悪いなら自分の家で休んで医者を呼べば良かっただろう?」
「す、すみません、海人様。でも…お医者様には診てもらいましたので……」
「それで医者はなんと言っていた?」
「……つ、疲れが溜まっていたようで…あ、安静にしていればよいと……」
「重病ではないのだな?」
「……は、はい……」
香蘭の返事を聞いて海人はホッとしたようにそれまでの心配そうな表情を緩めた。
その様子からも香蘭が海人の特別な存在であることが美雨にも分かる。
(でもお医者様に安静にしてなさいって言われたのに香蘭さんはなぜ無理して海人様に会いに来たのかしら……? そういえばさっき香蘭さんは海人様に話があるって言ってたわよね。いったい何の話だろう……?)
先程の二人のやり取りを聞いていると海人は香蘭に美雨が滞在中は屋敷に来ないように言っていたようだ。
それは美雨が女王候補者で海人が水の王配候補者だからだろう。
王配候補者には「拒否権」もあるがその理由が「恋人がいるから」というのは王家を侮辱したと言われても仕方のないことだ。
恋人のいる者を王配候補者にしていたなど海人の立場だったら隠しておきたいことだったに違いない。
ハッキリと海人の口から香蘭が恋人だと聞いたわけではないが二人の雰囲気は恋人同士以外に考えられない。
香蘭を見つめる海人の瞳には恋情の光が浮かんでいるのだから。
香蘭だって海人の立場と水族の立場を分かっていただろうから屋敷には来ないという約束を彼女が破ってまで海人に話したい出来事があったということだ。
しかも体調不良を我慢してでも。
そこで美雨はベッドに横になっている香蘭の手が自分の下腹部を撫でているのに気付いた。
(まさか、香蘭さんは……)
「海人様。念のため私の「癒し」の力でも香蘭さんを回復してみますから香蘭さんと二人にしてくれませんか?」
「え? あ、ああ、ではお願いします。私は隣りのリビングにいますので何かあったら声をかけてください」
「はい。当麻もリビングで待っていてちょうだい」
「承知しました」
海人と当麻が隣りの部屋に行くと美雨はそっと香蘭に近付く。
「あ、あの、美雨王女殿下。私は休めば回復しますので……」
「ええ、分かっています。香蘭さんの体調が悪いのはお腹に赤ちゃんがいるからですよね?」
「……っ! な、なぜ、それを……」
「貴女が先程から自分のお腹を撫でているからです。貴女は海人様の恋人ですよね? お腹の子供の父親は海人様ですか?」
その瞬間、香蘭の瞳が大きく見開かれた。




