64.接敵―変化
さて、グラルド卿には懸念があった。主に二つ。
そのうちの一つは、シェイドに関わることで、実際その懸念も当たりかねないという危惧が強まっていることでもあった。というのも、グラルド卿はここ城塞都市テレセフがシェイドの故郷であることを知っている。そして、彼が騎士となることを決意した理由の一部を確実に占めている少女のことも、その事情についても、知っているのだ。
だからこそ、グラルド卿はシェイドの暴走を懸念していた。
「確かに、シェイドは真面目で規則を破る奴じゃねェ。じゃねェ、が……」
それは彼が騎士という役職に対して強い矜持を抱えているからだ。それに対する使命感が彼にとって最重要のランクに位置していることで、それ以外のことを騎士という役職より優先することが無いだけだ。つまり、その騎士という役職の根源となっている少女が暴走しかねない理由に据えられた今、彼の安定を絶対視することは出来ない。
シェイドが暴走する――その表現は、少し語弊があるかもしれない。当然、グラルド卿もシェイドが何らかの理由で利敵行為をするだとか、そういうことを懸念しているというわけでは決してなく、ただ単純に彼が感情のままに無茶をするのではないか、という事なのだ。
「目標を設定して、一旦は無茶する要因もねェだろォと踏んでたんだがな」
シェイドが自分の力量不足を嘆き、それを埋めるために無茶をするだとか、自分を追い詰めるだとか、そう言ったことの無いように、という考えからグラルド卿は彼の目標を設定した。『騎士術』の極点に辿り着くこと。騎士の中で現在『紫隊長』以外に到達できたものはおらず、それを目標に設定するというのは一種の無茶ぶりだという判断をされかねない。
しかし、グラルド卿はシェイドならもしかすれば、という期待をしていた。彼ならば、騎士という役職に人一倍の誇りをもって、そして自分の人生を懸けている彼ならば――その頂点に坐する資格が、あるのではないかと。だから、グラルド卿は一切の迷いを棄ててシェイドにその目標を与えたのだ。
目標を与えることによって律儀なシェイドは間違いなく、その目標を達成するために努力する。そうなれば、比較的我を忘れて、いわば暴走することもないだろう、とグラルド卿は考えていた。ひとまず、彼が鍛錬馬鹿になって体力の限界を越えようとするようなことが無いかだけを確認していればいいだろうと、そう思っていたのだ。
ただ、そんなときに訪れたのが城塞都市テレセフの陥落という報せ。その報告をグラルド卿に持ってきたのが他ならぬシェイドである、というのがグラルド卿にとっては神からの皮肉だと思えて仕方がない。まあ、グラルド卿は神など信じていないが。
「本当なら自分がいの一番に出陣したかッただろォが……クソ真面目なだけはある」
もしもシェイドに、騎士という役職がなければ。もしも彼に、ホカリナに滞在する理由がなければ。つまり、アロンの護衛任務に就いていなければ。間違いなく、彼はグラルド卿よりも先にテレセフへと向かおうとしたに違いない。
しかし、彼の立場が、そうさせなかった。彼は我慢したのだ。自分の故郷が陥落した、というその残酷な報せをグラルド卿に伝え、自分が現場に向かえない状況で、しかしグラルド卿が先んじて出陣するのを見送り、そしてフェナリの護衛を代った。間違いなく、彼の精神力の為せたこと。
「……そォ考えると、やッぱいらねェ心配か?」
町を徘徊するのは膨大な数の低級悪魔。それらを切り伏せる間、グラルド卿の胸中は虚無が支配する。その虚無に、シェイドに対する懸念を上書きすることによってその虚無感というものを薄らげていた。シェイドに対する懸念があったことは確かに事実だが、その空白に嵌る何か、というのは正直何でもよかった。丁度そこにあったのがシェイドに対する危惧だっただけ。
だから、シェイドには申し訳ない。ただ、グラルド卿の暇潰しに費やされただけなのだから。まあ、グラルド卿に対する敬愛の念が高じている彼にとってはそれも、一つ光栄なことなのかもしれないが。
「さッてと――そろそろ考え事は終わりだ」
シェイドのことを考えているのは、悪魔を殺す時の心の空白を埋めるのに良かった。しかし、そう言った適当な戦い方で許されるのは、ここまでだ。途中で伝達兵から告げられたグラルド卿の任務――城塞都市北部に存在する洞窟、その探索。しかし、グラルド卿に言わせれば、そんなものは必要ない。
探索する――までもない。離れていても、その気配が強く感ぜられるのだ。当然、グラルド卿は最初からこの場所が最終目的地点だった。ここに辿り着くまでに、騎士団の障害を最大限減らさんとして低級悪魔を狩っていた、ただそれだけ。
「こッからが、任務ッてワケだな」
「あらぁ。次の人は『話せそう』だわぁ」
洞窟に立ち入れば、変に間延びした声がグラルド卿の言葉に対する返事として返ってくる。グラルド卿にとっては望んでもいない返事、しかしその言葉が返ってきたことによって彼の任務は半分達成されたという事にもなる。
言葉を理解し、操る悪魔――間違いなく、伝達兵から報告を受けた敵の首魁、上級以上の悪魔。グラルド卿が討ち果たさねばならない悪魔だ。大した探索も必要なく接敵できたことは僥倖。しかし、ここからが任務のもう半分だという事は決して忘れない。
「上級か、それ以上か。まずはそッからだな」
「人間の尺度はぁ、分からないけどぉ――私はお母様の子供の中でも『長女』だったわぁ」
「お母様、長女――人間のおれからすりゃァ、そッちの尺度の方が分からねェな」
そもそも、悪魔の生態については現状人間からしても分かっていないことが多い。生殖機能があるのかどうかについてもあまり分かっていないが、この口振りからすれば子育てだとか、親子だとか、そう言った概念も存在するらしかった。
そして、目の前の悪魔の母、という存在がいて――彼女がその長女であるというのなら。単純に娘なり息子なりの序列が強さを示すのなら、この悪魔は、強くて然り。
「まァ、強かろうが弱かろうが――俺が負けるわけにもいかねェからな」
「あらぁ、負けそぉ。妹たちも呼んでこようかしらぁ」
言いつつ、しかし目の前の悪魔は微動だにせず、グラルド卿を真っ向から迎撃する構え。単なる挑発だと判断して、グラルド卿は大剣を腰下に構えた。そのまま体を前傾させ一気に加速。
グラルド卿の足元で洞窟の岩肌が爆ぜる。破砕された石礫が小気味良い音を奏でると同時、卿の姿はその場から消えていた。
「お母様が『長女』――悪魔のヴァミルよぉ」
「悪魔に名乗る名なんざ、俺にはねェよ」
先程言葉を交わしたときの間合いは、次に声を交わしたときには既に詰められていた。ヴァミルと、そう名乗った悪魔が自らの羽根を惜しみなく伸ばしてグラルド卿の大剣を防がんと攻撃を仕掛けた。それを、グラルド卿の大剣が一閃にして全て刈り取り、斬り尽くして――距離がゼロにおよそ等しくなった瞬間、ヴァミルの体はグラルド卿の蹴撃によって真後ろに吹っ飛ばされた。
岩肌がヴァミルの頑強な体によって潰され、砕かれ、破片となって辺りに散らばる。その岩礫を全て大剣で打ち払って、グラルド卿はさらに前へと飛んだ。ヴァミルの体は、明らかに硬かった。それは低級や中級、そして適当な上級の悪魔とは比べ物にならない硬さ。大抵の人間なら一撃で内臓を潰せるようなグラルド卿の蹴りも、ヴァミルにとっては手痛い一撃になったかどうか。
躊躇はしない。同情も何もない。ただ、悪魔を殺すだけだ。その任務の間、殺戮の間、ただグラルド卿の胸中を、虚無が空白が が、占めているだけなのだ。
「なぁるほどぉ。貴方がお母様の言ってた――」
「――――」
「話してくれないのぉ? 折角、話せそうな人なのにぃ」
ヴァミルが残念そうに唇を歪ませる。しかし、それにグラルド卿は無言の一閃で返した。先程の羽根による攻撃は全て斬り捨てられたこともあって、今回ヴァミルが伸ばした羽は先程とは比べ物にならない数。視界全てを覆い尽くすような羽、羽、羽――、
それを、グラルド卿は大剣を大きく振りかぶって一瞬受け止め、すべて受け切って、一網打尽に斬り捨てた。羽を斬られようがヴァミルにとっての痛覚というものはないらしく、彼女の表情が痛みに歪むことはない。とはいえ放つ攻撃の悉くを当然のようになかったものにされての歪みはあったかもしれないが。
それよりも、彼女にとってはグラルド卿との会話が成り立たないことの方が悔しく悲しいのだと言わんばかりにそのことばかりに言及する。
「これまでの人たちはぁ、一瞬で死んじゃったから話せなかったのよぉ」
「話してェ、と口では言いながら、結局話す気がねェのはお前の方だろォが」
「やっと話してくれたわねぇ」
「違ェよ。改めて言ッてやッてんだ。――お前と話す気はねェッてな」
ヴァミルが言う、『話せそう』というのはそれだけ戦いになりそうだ、ということである。彼女が本当に相手との会話を望んでいるのであれば、一度攻撃をやめ、自分に会話の意思があるのだと表明すればいい。恐らくグラルド卿はそんな状況でも会話に乗るつもりはないが、そうして自分の意思を無碍にされてから、文句を言えばいいのだ。
最初から攻撃の意思だけを見せ、本当に会話を望んでいるわけでもない。そんな薄っぺらい会話の意思なんて、グラルド卿が少しでも気に掛けるものでもなかった。
「話してくれないならぁ、殺すしかないわよねぇ」
「話そうと話さねェと殺すだろォが」
「そんなわけないわよぉ。そうだけど」
ヴァミルはやはり、背中から伸びる羽を伸ばしてグラルド卿に攻撃を仕掛ける、が。とんだ一辺倒な攻撃だ。まさか、三回目にもなるそれをグラルド卿が受け切れないはずもなく。当然のようにグラルド卿の一撃が、またもヴァミルの体を後ろへと吹き飛ばしていく。
複雑な構造になっているらしい洞窟の岩壁をいともたやすく破壊し、突き抜け、複数の部屋に分かれた洞窟の壁という壁を貫いて、ヴァミルの体が飛んでいく。それを、グラルド卿が追い縋り、追い詰める。上級悪魔、もしかすればそれ以上の強さを持つかもしれない悪魔、と聞いていたが、あまりにその実力は弱く感じられる。
グラルド卿は違和感を抱きながらも洞窟の奥へと飛び込んで――、
――突如として轟いた音と同時に、洞窟が崩壊を始めた。
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