7.死んだ日の話
「『雅羅』、いるのだろう?」
フェナリが呼びかければ、開いていた部屋の窓から烏の黒翼が姿を見せる。
闇夜に紛れ、中空を飛び回り、舞い戻ってきた烏が、口を開いた。
「うむ、定刻だ」
王子との茶会を終え、伯爵領に戻ってきた。そして流れるままに夕食を与えられ、部屋に戻ってきて、今に至る。
晩、『雅羅』に事の顛末を聞く。そう決めていたのだ。自分の身に起こった、不可解な現象のすべてを、説いてもらわねばなるまい。
人間の謀りについても――。
「王子との茶会があったのだろう、どうであった」
「っ……そんなことはどうでも良い。早く本題を聞かせよ!」
「ふむ――、そうであったな」
烏は――『雅羅』はそこで一度言葉を切り、羽毛に同化した小さな瞳をすっと閉じた。空間の在り方が変わったのが、ふと分かる。
「結界を張った。ここで話すことは、他言無用ゆえな」
念を押すような『雅羅』の言葉に、フェナリも相応の真剣味を帯びた瞳で応じた。
自分の存在は、この世界にとって異質である。その実感はなくとも、理解は出来た。誰を相手であっても、自らの境遇に関する事実は伝えるわけにいかない。
「まず断っておこう、これより話すことは、あくまでも儂の憶測。未だに不可解たることも多いのだ」
「分かっている――では、先ず聞こう、人間の『謀り』とは、何のことだ?」
フェナリは、未だに人間が自らの存在を排除しようと謀ったのだと信じられなかった。何より、自分の存在は人間にとって有益であったはずだ。
もしも自分の存在がいなければ、人間皆の悲願たる『三大華邪』の討伐は成し得ないのだから。
「そなたは、人間の指示によって洞窟へと向かい、そこで地震に遭い、死んだ。その指示こそが、謀りであるということだ」
「しかし、それだけで謀りだと断ずるのは……っ」
「人間を信ずるのは良いが、盲信するな。そなただけが大いなる力を持っていたわけではあるまい。あれほどの大地震、予言師の一人も予言しなかったとは思えぬ」
『雅羅』の言葉に、フェナリは押し黙る。
確かに、フェナリは予言師の存在を知っていたし、その力が自分とはまた違う方向に強大であることも理解していた。洞窟一つが崩れ去るような大災、誰も予見していなかったとは、確かに言えない。
つまり、花樹はそこで地震が起こると予言されたその場所に、人間の指示によって向かわされたわけだ。物的証拠はなくとも、これほどまでに状況が重なれば、十分証拠となりうる。
確かに、花樹は人間の謀りによって命を落としたのだろう。
「分かった、確かに、私は人間に殺された、のだな――だが、何故私を殺す? 私がいなければ、『三大華邪』を討することは不可能に近いことだろう」
「その通りだ。物の怪の三角塔、そのほぼ頂点に位置する『三大華邪』。そやつらを殺すのは、そなたの妖術なくして出来ることではない。だからこそ、此度の事は、愚行としか表し得ぬのだ」
花樹が死ぬ寸前のこと、『雅羅』は『繫がりが薄い』と言った。それは、人間の謀りの愚の最たるところだ。
人間にとっての災厄であるはずの、『三大華邪』。
人間の持つ強大な手札であるとともに一触即発の火薬庫でもある少女・花樹。
それら二つの災厄を、人間は纏めてしまおうと考えた。
元々、『三大華邪』の討伐には花樹の存在と妖術が必要不可欠であった。では、『三大華邪』を花樹と常に離れさせぬようにしてしまえば、いつかは花樹が『三大華邪』と相まみえる可能性も高まり、その時が来れば『三大華邪』の討滅が叶う。そういうことだ。
故に、人間は『繋糸の契り』を結び、花樹と『三大華邪』が一定の距離以上離れられないようにした。
『三大華邪』や花樹という強大な存在にすら干渉せんとする契り。花樹ほどの強大な力を持つ人間であっても簡単に結ぶことは出来ないだろう。当然、数千を超える人間の微々たる才覚がその命を贄とすることで差し出された。それによって、ようやく契りが結ばれるに至ったのだ。
と言っても、それだけの人間の命を用いたとして、その範囲は狭くはならなかった。
花樹の周り、山が一つや二つは簡単に入るような範囲のどこかに、『三大華邪』が存在する。その淡い繋がりが、花樹と『三大華邪』を結び付けていたはずだった。
「最期、そなたと『三大華邪』の間にあった微かな繋がりが、完全にではないが、限りなく消えているのを見た」
「まさか……、大地震の害から『三大華邪』を護、るために!? 何故だ、そんなことをする必要がどこに!!」
「『三大華邪』は知性を持つ。もしかすると、何か人間に囁いたやもしれぬな」
――花樹は人間を殺すための企みを持っている。
――花樹は本心から人間に従っているわけではない
――花樹は報復の時を虎視眈々と狙っている
何を言われたかなど分からない。しかし、人間にとってその情報は、引き金を引くという判断を下すに十分なものだった。だから、人間は『三大華邪』討滅の念願を放り捨て、その仇敵と並び歩いて花樹という人間の希望そのものを排したのだ。
改めて、なんと愚かなることか。
「まさしく、意味が分からん。私も頭を使うのが得意だと思ったことはないが……この不可解さは私の持たぬ力故ではなかろう」
「そうだろうな、未だに人間の動機については不可解な点が多い。最早それを確かめる術はないがな」
元の世界の人間が何を考えていたのか、何を求めていたのかは今となっては一切分からないし、知る術がない。自らの身を滅ぼした者たちと今後一切関わる必要がないと考えればよいことだが、自分が何故に殺されたのか知らないままに生きる、というのが良いのかと問われれば何とも答えが出ない。
「そなたが妖術を使い続ける限り、いつかは死ぬ。普通の人間よりも早く、だ。『魂魄刀』は特別だが、そのほかの妖術ならば確かに命を蝕む。いつかは朽ちる花だ。それをわざわざ手折る。何度思い返せど愚かとしか言えぬな」
――いつかは朽ちる花を手折る。
『雅羅』がその表現を用いるのは二度目だ。その言葉には、字面の優美さと反するただ荒々しい激情があった。『雅羅』としても、少女が人間のために何を為してきたかを知り、同時にどれだけの冷遇を受けてきたかについても知っている。それ故に、人間の謀りによって少女が殺されるなどということは、決して許容できないのだろう。
「いや、もういいんだ……この世界では、そんなことを考えて生きたくない」
ふんわりと微笑みを浮かべて、フェナリが呟いた。
謀りによって殺された、そんな人生だった。では、次の人生ではもう少し良いものを期待してもバチは当たるまい。
少なくとも、『雅羅』には気を掛けられているのだから、それだけで十分だ。
必要以上は求めない。ただ、普通に生きて、自分の求めるものを探して、自分の意志を見つけて、それに沿って死んでゆく。そんな生活が出来れば、満足だ。
「――そう、だな。こんな話も、すべては無粋か」
微笑んだフェナリの表情を見て、『雅羅』は息を小さく吐いて、首を傾げてみる。
こんなに静かで平和な状況など、いつぶりだろうか。
『三大華邪』との契りがある限り、花樹の周りには必ず『三大華邪』がいた。花樹ですらその位置を探ることはできなかったのだから、ただの人間がその気配すら感じることはできなかっただろう。それでも、事実として知っているのだ。
――花樹の近くには厄災がある
だからこそ、人間は花樹を管理するために人里離れた場所で軟禁し、殺さぬ程度の冷遇を保っていた。下賤のものを遣いに出し、花樹に食事を運ばせ、物の怪の討伐が必要になったときだけ外に出るよう指示を出した。
時には物好きで怖い物知らずな貴族が花樹の噂を聞きつけ、汎都からやってくることもあったが、ほとんど彼女は一人にされていた。
それも全ては彼女の近くに厄災があり、同時に彼女自身も災厄だったからだ。
しかし、この世界では違う。確かに彼女は強いままだが、この世界にだって魔術という人ならざる力があり、それが当然のように多くの人に扱われている。これからの成長によっては如何なるかと言ったところだが、少なくともフェナリは今、周りから隔絶された強さを持っているわけではない。
ならば、虐げられることも、避けられることもない。
何とも、平和な世界だ。
だからこそ、フェナリは自分が何をして生きていけばいいのかを知らない。
これまで生きてきた世界は命令を受け、その命令をこなさねば死ぬ世界。同時に、ただ惚けて生きているだけでも死ぬ世界。だというのに、この世界ではただ生きていても死なないのだ。
今までの少女の常識とはかけ離れた世界で、自分が何をしていればいいのかなど分かるはずもない。『雅羅』も、自らの生きる道しるべを与えてはくれない。
少女は困ってしまった。それはそれはかなり困ってしまった――けれども、未だに忘れられないことがある。初めてこの世界の怪物、岩落鳥と相まみえた時、その時の高揚感は凄まじかった。
怪物狩りを生業とする少女は、怪物を狩っている時こそ、自分が自分であり、この世界に在るのだと認められる。自分の存在を認めるのは怪物ありきのことだ。
「この世界にも、怪物はいるのだな」
「――? 確かにそうだが、それがどうかしたか?」
「いや……な――『雅羅』、私は決めたぞ」
「何がために生きるのか、をか?」
「いや、それはまだだ。一生決まらぬかもしれぬが……決まるまで、一先ずは怪物でも狩っていようと思うのだ」
「それは、何が為に」
『雅羅』は、あまり良い顔をしない。
前世でも、目の前の少女は人間のためにと怪物を狩り、その身を滅ぼしたのだ。同じ道を辿ることを、認められるはずもない。
「――私が為に」
だからこそ、フェナリの言葉に、『雅羅』は押し黙るしかできなかった。
私が為、などと言えども、結果は見えている。誰か、凶悪な権力を持つ人間にとって使いやすい駒となって使い古されるに違いない。
花樹は、頭が良くなかった。教育など受けていなかったのだから当然だが、謀略など理解できるわけもなく、詐欺師にとっては葱とタレを抱えた鴨に違いない。
その事は理解している。
しかし、ならば少女をこの場で止めねばならぬのに、それができない。
「そう、か……この世界の怪物共が不憫でならぬな」
「なっ! 『雅羅』、それはどういうことだ」
「言葉通りであろう」
――何があろうと、目の前の少女が怪物に負けることはない。彼女が負けるとすれば、人間に、だ。
権謀術策の限りを以て彼女を潰さんとする者は、必ず出てくる。であれば、こちらも謀略の糸を張り巡らせて応ずるのみ。
未曾有の危機に面したこの世界を救うことができるとすれば、彼女だけなのだ。
お読みいただきありがとうございました!
少し下にある☆の評価、「いいね!」やブックマーク、そして感想も是非ともお願いします。特に「いいね!」は作者以外が確認することがありませんので、気軽に押してもらえると嬉しいです!
この小説はリンクフリーですので、知り合いの方に共有していただくことが出来ます。pv数に貢献していただける方を大募集です!!