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6.忘れられた今日


 空高く――最早視界も霞むような上空にて、岩落鳥(フォーゲル)は羽をこれでもかと大きくはためかせる。風を切る音が空気を揺らした。


「――――」


 静かに、息を大きく吐いてフェナリは時機を見極めんとする。

 岩落鳥(フォーゲル)が地表を抉りに落ちてきたとき――、それが素首落す時だ。


「ガァァァ―――ッッ」


 ひと際大きく雄叫びを上げ、岩落鳥(フォーゲル)が落下を始める。

 目視で確認しきれないほどの高度からの攻撃。本来ならば下級の宮廷魔法使いで防ぎきれるかどうか、という攻撃である。だというのに、今この場にいるのは成長段階にある第二王子と、魔術を用いることのできない少女一人。

 正直言って、勝機が見えない。


――だというのに、この安心感はなんだ……


 椅子に座らされ、そのままに見物している第二王子は、目の前の少女の背中が、小さいのに大きく見える錯覚を抱いていた。

 目の前の少女は確かに弱い。その背中はあまりにも頼りなく、小さいのだ。だというのに、少女は自分に安心感を抱かせる何かを持っている。



「さぁ――落ちて来い」


 ――まだだ。まだ、もう少し。


 岩落鳥(フォーゲル)の姿がはっきりと見えるところまで落ちてきた。

 それでも、まだだ。速度は未だにうなぎ上り。このまま来ればあと数秒で地面に到達する。だが、その前に屠る――!!



「もう少し、あと……少し――っ、時機は……来た!!」


 フェナリが改めて『花刀』を構える。

 もう一度、息を吐いた。小さく、長く、肺に残る全ての空気を吐き切る。そして――、大きく、息を吸った。



蒼花一閃(そうかいっせん)・『朝顔』――」


 フェナリが初めて、刀を振るう。

 その手中の凶刃の刀身が光り、流れるままに岩落鳥(フォーゲル)に絡みついた。螺旋に螺旋を重ね、それらすべてが剣戟となる。

 そして、剣戟の螺旋は刹那の内に紅く――染まった。


岩落鳥(フォーゲル)が……」


 第二王子の声が、小さく響いた。先程まで、上空の覇者かのようにしながら霞みゆく視線の先で羽をばたつかせていたはずだ。目の前の鳥は、確かにそうしていた。

 それなのに、今はどうだろうか。目の前の鳥は、確かに先程まで上空にいたはずの鳥だ。今は、地に伏し、その首は胴体と別れている鳥が、確かにその鳥なのだ。




「フェナリ嬢……貴殿、は」


「あ――、ああああああああッ!!」


 明らかに少女の範疇に留まらないであろう立ち振る舞いだった。それは最早、並みの騎士では真似し得ない領域にあったのだ。その所以を尋ねようとして、王子が声をかけた時だった。

 フェナリはふと何かに気づいて叫びをあげた。


――王子殿下がいるのを忘れてた!! いやてか、気にしてなかった!!!


 怪物を前にして花樹(フアシュ)の感覚を取り戻したからか、王子がすぐそこにいる、ということを忘れて前世と同じような口調で言葉を吐いていた。それどころか『下がっておれば良いと言っておるだろうに』などと本人に向かって言った記憶もある。

 目の前の人物がいかに自分と位の離れた人間か、ということは理解していたはずなのに!!


――だが、まあ、いい……


 目の前の御仁には確かに無礼を働いたかもしれないが、婚約は破棄されたのだ。つまりこれから関わる必要はない。もしも今回の無礼を追及されるのならば命を助けたという恩義でも振り翳してしまおう。

 婚約破棄をされた、という事実がこれほどまでに自分にとって救いになるとは、とフェナリは思う。


「ど、どうかしたのか……? フェナリ嬢」


「いえ! 何でもありません。では、婚約破棄の旨、承知いたしました。今日のところはこれまでで失礼いたしますっ!!」


 逃げ帰る様にフェナリが頭を下げ、王子の前から小走りで去っていく。

 そして彼女が庭園を出ようとして、ふと王子が声を上げた。


「少し待ってくれ、フェナリ嬢!!」


 王子に呼び止められ、まさか無礼を犯した罪で今すぐここで処刑、などというのだろうかと悪い想像が膨らむ。いやまさか、目の前の王子は見た目も性格も清らかで寛大な方のはず。謀略のためでも力を持ったが故でもなく、ただ口調荒く王子と話した罪などで命を奪われるのは御免だ。


「改めて――、礼を言う。貴殿がいなければ私は何を為すこともなくこの生を失っていた。そして、こちらの不誠実を重ね重ね詫びよう。本当に、すまなかった」


 そう言って確かに王子が首を垂れる。

 その様子に、フェナリは思考が止まるかのような衝撃を受けた。今まで、自分は頭を下げられたことがあっただろうか。自分が頭を下げたことも、無理やり下げさせられたことも幾度となくあるが、逆はなかった。しかも、初めてが王子などとは……。


「王子殿下……! 頭を上げてください。こちらこそ無礼な物言いを……あ、出来れば、今日のことは内密にお願いしたいのですが……いっそ、何もかも今日のことは無かったことに……!!」


「――? 分かった、貴殿がそう言うなら、そうしよう。本当に、私は貴殿のことを何も知らないのだな……」


 少しばかり悔しそうな表情をして、王子は視線をフェナリから外す。目の前の少女は今先程自分を助けてくれた、命の恩人に違いない。その恩義に対して、事実の隠蔽によってしか応えられないとは、何とも悔しいことだ。

 

「――では、今度こそ……」


 フェナリとしては、可能な限り早くこの場を去りたい気分だった。目の前に王子を見据えて言葉を交わすなど、心労のもとに違いない。

 何より、先程のように失言を犯すやもしれぬと思うと言葉尻もすぼむというものだ。


「ああ、引き止めてしまい申し訳なかった。お互い、()()()()()()()()()()


「はい、ありがとうございます。――では、失礼いたします」


 フェナリは言葉を間違えぬよう選びながら、小さくカーテシー。そのまま扉を開けて庭園から去った。

 王子は小走りで去っていくフェナリを見送ることしかできない。その美しい背中に追い縋る資格は、今の自分にはないのだ。



「どうしたものかな……」


 今日の出来事を振り返り、これは明らかに自分の命を狙った事件であるとほぼ断言できる。だが、フェナリと交わした約束により父上に進言することは叶わない。


「仕方ない。私一人で調べておくか」


 第二王子として、伝手はある程度有しているつもりだ。事を調べるのに、王子という立場ほど便利なものはない。

 本来なら第二王子の暗殺未遂という一つの事件として国を挙げての捜査も必要なのかもしれないが……国益云々よりも、フェナリとの約束が上回るのだ。


 死地に際して、今に死んでもおかしくない状況に置かれて、それなのに――否、だからこそ、少女の背中があまりに美しく見えた。

 芍薬だ牡丹だ、と美しさを表する言葉は花であることが多い。では、彼女は何に当てはまるか? 彼女は、どの花にも当てはまる。


 婚約破棄を申し入れ、その直後の一つの出来事を以て恋に堕ちたなどと宣うのは不遜だろうか。

 ――不遜に違いない。


 しかし、諦めるかと問われれば決してそんなことはないのだろう。



  ◇



 王子はフェナリを見届け、そのままの足で自らの執務室へと戻った。

 部屋には執事であるカルデン子爵が既に待機しており、どこか沈痛な面持ちで王子を見ていた。


「王子殿下、フェナリ伯爵令嬢との……婚約破棄は」


 カルデン子爵には既に事情を伝えてある。第二王子の婚約破棄という一つの大きな出来事に際し、第二王子本人の執事がその状況を把握していないなどということはない。しかし、同時にカルデン子爵には重荷を背負わせてしまったものだ。


 フェナリ伯爵令嬢は伯爵令嬢というその立場に胡坐をかくことなく、大人しく、慎ましく第二王子の婚約者という立場であり続けた。初めは魔術が使えぬのに爵位だけで取り立てられた婚約者である、と第二王子やその執事であるカルデン子爵もフェナリのことを認めていなかったが、少しばかり関わってみれば彼女もまた、爵位によって勝手に決められた婚約に嵌め込まれた被害者であることが分かった。

 そのことが分かってしまえば、第二王子やカルデン子爵としても邪険に扱うなんてことは出来なくなるというものだ。特に、年齢が近い第二王子とは違い、カルデン子爵はフェナリ伯爵令嬢よりも年が離れている。十つ上に離れているらしく、フェナリのことは妹のように、時には娘かのように思っている節があった。


 カルデン子爵としては、フェナリとの婚約破棄もあまり良い出来事ではなかったのだろう。フェナリの周りに立ち上る醜聞の影が無ければ、このままフェナリが第二王子と婚約者の間柄でいられたのだから。

 しかも、婚約破棄を告げる日のフェナリの案内役に、カルデン子爵を使わすというのも、酷な話だ。



「――ああ、あれは保留だ」


 だからこそ、カルデン子爵にとって第二王子の言葉は何とも不思議であったに違いない。

 既に決められ、本人にも告げられたであろうと思っていた婚約破棄の旨。しかし、第二王子はそれを告げたか否かではなく、保留だと言う。

 その言葉が出てきたに至る経緯を知りたいと思うと同時に、カルデン子爵はもしフェナリが第二王子の婚約者であり続けるならばそれでよいと思った。


「『保留』……ですか」


「そうだ。もう少し、時間を空けて考えねばならない。それから――、あとで結界術師をここに」


「……分かりました、手配いたします」


 目の前の王子の瞳は、何かを隠している瞳だった。

 実際、フェナリとの約束を全うするため、王子は今日の出来事を隠匿していた。しかし、長年の付き合いとなるカルデン子爵には見破られる。と言っても、彼はそのことについて追及しようとはしなかった。瞳を見ればわかる。これは、何かを隠し、それを明かすまいとする瞳だ。確固たる意志を持つ王子は、こうして意思を固めているのであれば絶対に口を割ろうとしないだろう。

 そして、子爵でしかない自分に王子の口を割らせるような権利も資格もない。


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