5.露見してしまった本性
第二王子の背後から、大きな羽が空間を揺らしながら台頭する。
それは、岩落鳥だった。
生活に関わるような基本的なことであっても記憶を探らなければ決して思い出さないというのに、目の前に怪物が出てくれば無意識に記憶を精査して情報を把握してしまうのは職業病の類だろうか。
岩落鳥は、岩のような頑強さを持った羽毛と体を持ち、空から地表へと勢いよく落ちるように攻撃を仕掛けてくる。比較的街中でも見かけやすい魔物の一種であった。しかし、そのような確認される事例の多い魔物の中では最もと言っていいほど強い。
目の前の第二王子を少し見てみる。そしてもう一度岩落鳥を見てみた。
(第二王子では、勝てない相手だな)
そんな残酷な判断が出来てしまう。
推測に過ぎないが、第二王子はまだ熟練度が低すぎる。これでは魔物に太刀打ちできないままに屠られるだろう。王子という要人の損失がどれだけ危急の問題を生み出すか、フェナリもある程度は理解しているつもりだった。
「なっ……岩落鳥……!? ここには魔物を寄せ付けないための結界が……」
侍従たちに婚約破棄の報せを告げる様を見せない方がいいだろう、という気遣いが裏目に出た。王子は内心歯噛みする。
ここには二人きり。フェナリについてはこれまでの関りによって落ち着いてはいるが色がなく、主張の弱い少女である、という人物分析が済んでいた。だからこそ、フェナリが激昂して自らに危害を加えようとするなどとは考えず、護衛も外に出している。
それらすべて、フェナリに恥をかかせまいとした王子の気遣いなのだが、その全てが裏目に出てしまったのである。
護衛なしで、互角以上の魔物を相手に戦わねばならない。
しかも、守るべき令嬢は魔術を使うことが出来ず、助力を期待することも出来ない。ある程度でも魔術を使えたのなら勝機は見えたのだが、と思うが全てはたらればの話である。
「フェナリ嬢、下がって――」
「王子殿下、下がっていてください」
「何を!! あの魔物は魔術の使えないフェナリ嬢には……護衛を呼びに行かねばッ」
王子の言葉を遮って自らの身を王子と岩落鳥の間に差し込んできたフェナリに、王子は胡乱な目を向ける。目の前の少女の背は小さく、あまりにも頼りがいがない。
一番勝機があるのは、この場を第二王子が抑えつつ、フェナリが護衛を呼びに行くという作戦。護衛が間に合えば王子が屠られることは無いだろう。しかし、それでも不確定要素がないわけではない。うまくいかなければ王子は命を落とすまでいかずとも、負傷することは避けられないかもしれない。そうなれば公務にも支障が生じる。
「フェナリ嬢は護衛を呼びに行ってくれ、私がこの場を――」
「――だから、下がっておればよいと言っているだろうに」
「――!?」
フェナリは身に纏っていたドレスを引きちぎり、形を整えるために中に仕込まれていた針金を引き抜いた。二回、真上に跳んでみる。体が幾らか身軽になったことを確かめて、目の前の怪物を見据えた。
――怪物を狩るために得た力に殺されたというのにな
目の前に怪物が出てくれば、何とも心が高ぶるのは何故だろうか。
それが、いわゆる職業病というものなのだろうか。
ならば、仕方がないか。
「――魂魄・花刀」
怪物が現れた。そして、それを屠らねば自らの身、加えては王子殿下の身に危険が及ぶ。それは避けねばならないことだ。
ならばこそ、妖術を使わねばならぬだろう。
身を焦がし、溶かし、朽ちさせる禁忌の術――妖術を。
――フェナリが口より言葉、紡がれぬ。
――さすれば、その手中には一本の刀、顕現せり。
透き通る鋼の刀身に、花を咲かせた蔦が巻き付いた刀。欧米の真っ直ぐと伸びる刀身とは違い、先端に向かって湾曲したその刀身は、美しさを湛えてそこにあった。
人を傷つける凶刃と、人を癒す花々。その共演は矛盾よりも対比の儚さと美しさを生み出す。
これが、魂魄刀が一本、『花刀』である。
花樹が物の怪を狩るときに好んで使った一本の刀。
力の増幅や絶対的な貫通性を持つ強力な武器であり、同時に完全なる諸刃の剣でもあった。
刀に纏わりついている蔦に咲いている花は、全てで八輪。刀の一振りで、その花は一つずつ朽ちてゆく。それが重なり、終には最後の花が朽ちた時、刀を振る者はその命を失うのだ。
その刀を持つだけで、圧倒的な力を手に入れられる素晴らしい刀――であると同時に、一振りするごとに術者の命を蝕む妖刀でもあるのだ。
花が八輪であるなら、すなわち刀を八振りするまでに敵を殲滅せねばならないということである。それは確かに至難の業に違いない。しかし、それが出来なければ少女はとうの昔にその命を果てさせていたのである。
「この世界では刀を振るも初いこと。試し斬りに付き合ってもらおうか、鳥風情」
改めて刀を構えてみる。
花樹が技術はその体に留まらず、魂に刻まれたもの。故にフェナリの器に移った今この時にも、以前同様に力を揮うことが出来る。
と言っても、『雅羅』に言われた通り、未だこの世界に適応しきれていない部分があるのか、妖術は使えても前世と同じだけの力が出し切れているか、と問われれば苦渋の想い抱えて首を横に振るしかないだろう。
――しかし、これで十分
鳥を屠るに相当な技術など必要ない。
捌いて食べねばならぬというなら話は別だが、その命だけを奪えばよいのだ。ならば、ただ切り刻むだけ。羽をもいで首を落とせば、それだけで命は地に落ちる。
花樹はこれまでに何度も『鳥』を地に落してきた。
鳥はどの世界でも怪物としてその主要たる部分に台頭するものなのだろう。前世から何度もその首を『花刀』の養分としてきた彼女だ。仕留めそこなったものがあるとすれば『雅羅』程度だろうか。
「――さて、行こうか」
「ガァ――ッ」
フェナリの鬼気が膨れ上がれば、呼応するようにして岩落鳥が威嚇するように鳴き声を上げる。しかし、空気を揺らすその声が響けど、護衛が入ってくるわけではない。
戦意を高めるフェナリの後ろで――これは何らかの謀略が絡んだ事件であるのだと、王子は理解した。
自らの身を狙った、若しくは自分とフェナリの二人ともを狙った暗殺事件。
自分が何者かに狙われるような立場にいることは理解している。常にそのような状況に置かれることを想像し、その時に備えてきたはずだ。しかし、それでは全く足りていなかったのだと痛感させられる。
今の自分は、目の前の小さな背中を護ることも出来ず、それどころか守られようとしている。
フェナリの強さは分からない。魔術が使えないとは聞いていた。しかし、であれば先程何もないところから生み出された刀は何なのか。
婚約者として、ある程度の情報は知っているつもりだった。
正直に言えば、王子の婚約者ともあってどのような人物なのか、事前に密偵を用いて調べたこともある。その時に魔術が使えないことが既に分かってはいたが、爵位が最終的な決め手となった。
結局、自分は目の前の少女のことを、何も知ろうとしていなかったのだろう。
政略結婚だから、お互いの愛などないのだから、と何かと理由をつけて、婚約破棄へとこぎつけた。しかし、それも相手のことを知ろうとしないままに行われたことでしかない。
その事実に、ただ絶え間なき怒りが込み上げる。
されど、その怒りの矛先はどこにも在らず、目の前の状況をただ睨み目で見据えるしかできない。
「私は、自らの名として冠する『花』を好いている。ならばこそ、花を無為に朽ちさせることなどしない――さぁ、かかってくるがよい」
挑発の言葉は、岩落鳥の耳に届いただろうか。そして、その言葉は鳥に理解できたのだろうか。もしかしたら、出来たのかもしれない。
フェナリの言葉を聞いて、鳥が一層に鳴き声を鋭く響かせ、空へと舞ったのだから。
「空か。確かに、そこは人間の領分ではない、魔物が独壇場。されど、いつまでもそこにはおれまい、体力は生物である限り無尽蔵にはならぬからな。――羽を休めれば、首を狩られると、そう思え」
視線が届いていないというのに、その鋭さと剣気に中てられ、王子は小さく肩を震わせた。自分に向けられたものではない、とはっきり分かるというのに感じる圧倒的な絶死感。最早、目の前にいるフェナリという一人の伯爵令嬢が、何者なのかすらわからなくなる。
伯爵令嬢、という一言では表しきれない、人間という種族さえも超越しかねないその圧倒性。目の前の少女は、何なのだろうか。
「ガァ――ッ」
岩落鳥が急降下しながらフェナリへと攻撃を仕掛ける。
岩のように頑強なその羽毛が掠れば、それだけで人間の柔な肌は裂けてしまうだろう。
フェナリは時機は未だ来ず、とその地面を抉る攻撃を身を揺らすだけで躱した。体重移動と小さな足捌き。それだけで、フェナリは幾度と来る岩落鳥の猛攻をかいくぐっていた。
最早、ダンスでもしているのか、と王子は錯視を覚える。
目の前で、下級の宮廷魔法使いが相手するべき魔物を相手に赤子の手を捻るようにして一人の少女が相手している。その手には凶刃を持ち、されど華やかに、花のように舞うばかり。
その手中の刀が振られることは無い。
目の前で繰り広げられているのは確かに際で行われる死の譲り合い。であるというのに、その様子をただ美しいと思うのは何故だろうか。
「ガァ、ァ――ッッ」
何度激しく飛び掛かっても、全て軽やかに避けられる。
そのことに業を煮やしたか、岩落鳥は怒り狂ったように首を回し、鳴き声を散らした。同時に、今までになく大きく飛び上がる。
羽をばたつかせ、最早その姿が霞むほどの上空まで――。
そんな位置から、勢いを殺すことなく急降下すれば、普通に考えてその鳥の命も地面とともに抉られることになろう。しかし、岩落鳥には岩のような肌がある。だからこその捨て身にならぬ捨て身の一手。
その一手が為されれば、王子の庭全てが攻撃範囲に入ってしまう。どこに逃げても、最早逃げ切ることは出来ないのだろう。だからこそ、時機は来たり。
「王子殿下、もう少し後ろへ――、そう、あと一歩、いやもう一歩」
フェナリが背後を一瞥しながらそんなことを言う。
最早、王子にその言葉を拒否するという選択肢はなかった。目の前の少女の、得体のしれない強さを前に、自分がその言葉を拒絶できる人間であるなどという自信が湧かないのだ。
一歩、二歩、とフェナリの言葉通りに後ずさっていく。
ふと、膝裏に椅子が当たってバランスを崩し、すとんと椅子に座らせられた。
「では、そこでご観覧ください。鳥を屠る様子を、御覧に入れましょう」
そう言って、フェナリは王子から視線を外す。
今度こそ、確かに遙か上空の岩落鳥を見据えて、にやりと口角を上げて――、
「さぁ、落ちて来ればよかろう、鳥風情。その時が屠られるときになるじゃろうな」
――言い放った。
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