28.洗脳の下ごしらえ
「一番簡単な幻ってのは『何もかも分からない』なんだよ」
「何だって、こちらは何もかも用意しなくていい。相手の全てを奪ってやれば、そいつは全てを手に入れて、混乱してくれる」
「さあ、どうだい。自分がどうなってるのか、わかる?」
――。――――。――――――。
椅子に座って、男は床に寝そべる少女を見ている。丁度今日の早朝に捕まえてきた少女だった。
今、何も分からない世界で何も分からない状況に苦しんでいるはずの少女。時に聞こえてくる呻き声も、全ては処理できない世界に苦しむ喘ぎ声だ。
「少し、怖くなってね。普通に戦えば、万一死んでしまうかもしれない。ってことで、正当防衛を使わせてもらおうと思うんだ」
男は、誰も聞いていないと理解しながら独り言を口で転がし続ける。
目の前の少女が苦しんでいる姿を見て、彼は何も思わない。何も、人の苦しんでいる姿を見て快感を得るような奇特な趣味は持ち合わせていないのだ。ただひたすらに、必要なことだからしているだけ。ただ、そのために自分の力が必要で、自分の力が最適だっただけだ。
「君の力は強大すぎる。その深みは我々をも呑み込みかねない」
「なら――私の出番と言うもんだ」
そうだろう? と声をかけるが、当然のようにフェナリからの返事はなかった。
◇
「――王子殿下。準備整いました」
「ああ、ホカリナ王城へ向かおうか」
「……王子殿下、ご気分が優れないのであれば――」
「シェイド、気遣ってくれるのはありがたいが……二国間の問題だ。王子の婚約者とはいえ、一人のことで止められる話ではない」
努めて冷酷な言い方をするのは自分に言い聞かせるためだ。そうでもしなければ、心中で蠢く罪悪感のせいでどうにかなってしまいそうだった。
フェナリは今もどこにいるか分かっていない。その状況も全く分かっておらず、ただ軟禁されている程度なのか、拷問されたり嬲られていたりするような切迫した状況なのかもわかっていない。だが、状況が分からないという事は最悪の可能性を常に孕んでいるという事だ。その可能性だけで、アロンの心は壊れそうだった。
そうして、一行はフェナリを欠いたままにホカリナ王城へと出発した。
王城への道のりは王都の中を行く。馬車の外を見ればギルストとは違う街並みや人々の生活を見ることが出来、それも一つ手に入れておくべき情報だ。それは理解していながら、今のアロンにはそんなことにまで意識を向ける余裕がなかった。
シェイドはアロンの正面に座り、周りから来るかもしれない襲撃に備えてはいるが、それでもふとした時に見えるアロンの憔悴した表情に視線が囚われていた。
「王子殿下、ホカリナ王城に到着しました」
「――ああ……」
初めて馬車の外に目を向けてみれば、ギルストの円錐形の王城とは違い、直方体形を基本とした構造の建造物が見えた。ホカリナ王国の中枢であり象徴である、ホカリナ王城だ。
ここに、ホカリナの枢要がある。例えばホカリナ国王、王妃、そしてその他王族。例えば宰相や外交官、その他文官たち。そして例えば、『予言者』――。
そう考えてみれば、フェナリの失踪先についての手掛かりも、ここにある可能性がある。
『予言者』と接触する機会が得られれば、少しでも情報が得られるかもしれない。『予言者』が下手人本人でなくとも、少なからず関わっていることはほぼ確実であろう。ならば、情報、手掛かりにすらならないかもしれない小さなそれでも、手に入れておかねばならない。
「参りましょう、王子殿下」
「ああ、行こう」
馬車が止まる。相手方の外交官らしき人物がアロンらを出迎えていた。
表情を取り繕い、言葉を取り繕う。そうして、アロンは自分を作った。そして、一歩を踏み出す。ここから、彼は国王名代だ。
「――では、こちらへ。ホカリナ国王がお待ちです」
案内された先、謁見の間とは少し違い、他国の王族との――つまりは位の大して違わない相手との会合のための部屋の扉の前に、アロンたちは立つ。その斜め後ろに護衛のシェイド、後ろには文官たちが並んでいる。
小さく息を吐いて、少し残った焦燥感を吐きだしてしまう。
扉が、案内役の外交官の手によって開かれた。
目の前に広がる空間、その先に王城舞踏会の際にも目にしたホカリナ国王の姿を見据え、堂々とアロンは歩いていく。楕円の形をした円卓のすぐ近くまで歩み寄っていって、アロンは足を止める。
「――ギルスト王国国王が名代、アロン・ギルスト・インフェルトである。本日、両国の益となるべくして会合の機会を設けられたこと、嬉しく思う」
それは、フェナリの安否が分かっておらず憔悴しきっているとは思えないほど、堂々とした立ち居振る舞いであった。国王名代としてきている以上、アロンと目の前のホカリナ国王との間に地位の差はない。だからこそのこの口調。何があっても、こちらが軽んじられてはいけない、とアロンは気を引き締めた。
「――。ホカリナ国王ディアム・ホカリナ・マグアである。遠路はるばるの訪問、感謝する」
一先ずの顔合わせは済んだ。ここからが、本番だ。
椅子を勧められ、アロンはホカリナ国王と真正面から相対する位置に腰を下ろす。同時に、文官たちもアロンの隣、そしてその隣、と順に座っていった。
「――では、会合を始めよう」
ホカリナ国王の合図で、文官たちの表情が緊張に強張った。
国王からはアロンが代表として任命され、今回ギルスト国王名代としてここにいる。しかし、実際に会合で大きな役割を担うのは文官たちだ。二国間の関係を大きく揺るがす会合ともあって、文官たちの緊張具合は酷いもののように見えた。それだけ、緊張に苛まれていたからこそ――
「――あぁ、もう始まってたか。失礼失礼、遅れてしまって」
場違いなほどに気軽なその声は、文官たちを拍子抜けさせただろう。
その声は、ホカリナ国側の扉から入ってきた。扉が開き、男が姿を見せる。シックな燕尾服に身を包んだ男だった。その、整っていながらも印象の残りにくい顔、その顔を少し隠す純黒の長髪。それに、アロンは見覚えがあった。
王城舞踏会の際、フェナリと共にホカリナ王家の元へ挨拶に向かった。その時にいた、恐らく執事だと思われた男。その男が、今会談が行われようとしている部屋へと入ってきたのだ。
少なくとも、執事であるという可能性は消えた。
執事ともあろう立場の人間が、この場で遅刻をし、あまつさえこんなにも気軽な言葉づかいで入ってくるはずもない。ギルストとホカリナで文化の違いがあることは当然理解しているが、執事の在り方がホカリナではこうである、というわけでもないだろう。
では、この男は誰なのか。その答えは、最悪――または最高の形で示された。
「これは――『予言者』殿」
「――――ッ?!」
このときほど、アロンは表情筋に力を入れたことがなかったかも知れない。それこそ、カイウス子爵と『語らった』時も、これほどに表情筋を意識する必要はなかった。
目の前の男、執事らしい服装に身を包みながらも気軽でどこか拍子抜けするような口調で話す、この男。彼こそが『予言者』――恐らくは、全ての元凶となったであろう男だ。
「『予言者』――ですか」
事情を知らないであろう文官の一人が、小さく呟く。それに耳聡く反応したホカリナ国王ディアムがその文官に水を向けた。アロンは穏やかと言えない内心を整えながら、ディアムと文官の会話を片耳に聞いていた。
さして、特筆すべきでもないような話だ。アロンとしては結界術師から聞いていた話の繰り返しのようなもので、ホカリナの中枢部では『予言者』についての見解が一致しているように見えた。大山脈の雪崩のことも話されるが、一部の文官たちがそれに首を傾げているのも見える。相手国の国王を前にして、相手国の事情に口出しするのは難しかったのか、口を開く者はいなかったが、事実と異なる国王の言葉に戸惑っているらしい。
「――それで……『予言者』殿は、会談に参加されるのか?」
そう言って、『予言者』の登場から口を閉ざし続けていたアロンが初めて口を開く。当然、内心は未だ穏やかとは言い難い。しかし、ここで口を開かねばならない理由がある。
『予言者』について、情報を集める。それは、一つギルスト国王から与えられた任務の一つだ。
今回のアロンの目的は二つ。ホカリナとの貿易を進めるための会談を成功させること、そして『予言者』の情報を含めたホカリナの内情について探ること。
そのうちの、後者の目的を果たす絶好のチャンスが、今訪れているのだ。何せ、本人が目の前にいるのだから。
――可能な限り情報を引き出し、相手を判断する
アロンは強かに、そう心に言い聞かせながら、相手の言葉を待った。
「――ああ、いや。会談などというのは私には面倒なんだよ。話し合いとか、そういうのは人間の得意分野だろう? だから、私はそういうのには手を出さない」
「――。では、何故ここに?」
「ああ――失礼失礼。さっさと用事を済ませないといけないね。少しばかり重要な用事があるもんで」
「――というと」
『予言者』の表情からは、何も読み取れない。何かの表情を浮かべているようには見えず、だからと言って無表情ともいえない。それは強いて言うなら、嘲笑だった。
社交的、とは言えない笑みをさも当然、社交的であると言わんばかりに全面的に顔に張り付け、『予言者』はその『用事』というのを答えようとする。その口の筋肉が小さく震えるのを見て、アロンは小さく息をのんだ。何故もない。何故か、だ。
「――『予言』を、成就させに来た」
その男の嘲笑は、その瞬間、一気に深まった。
周り全体を、何か一括りにして蔑むようなその視線、睥睨に、アロンは何より嫌悪を覚える。それは、ギルスト側の文官たち、騎士たちも同様だったようだ。しかし、ホカリナ側は違う。『予言者』の言葉、『予言』という単語に大袈裟なほどまでに反応している。
「『予言者』殿――! 『予言』というのは、どの……?!」
『予言』と言うのはいくつかあるらしい。しかし、その内容の一つすらも把握していないアロンとしては、その『どれか』という問いの答えにさしての興味も湧かなかった。ただ必要なのは、その『予言』――目の前の男が成就させに来た『予言』の内容だけだ。
その内容如何によっては――、
「私が予言しよう。『フェナリ・メイフェアスがホカリナを滅ぼす』――『予言』の成就は、君たちの死を以て開始される」
「――――ッ」
思わず、アロンは席を立った。それも予想通りだったか、『予言者』の瞳は既にアロンに向けられている。睨まれながら、アロンからの憎しみ、嫌悪の瞳を受け入れるように目を伏せ、『予言者』は――自分が入ってきた扉を、後ろ手で開けた。
「何、を――?」
「ッ、王子殿下――ッ、お下がりください!!」
瞬間、シェイドがアロンの前へと飛び出していた。その手には剣が堅く握られ、その剣が、飛んできた剣戟を防いでいる。
剣戟を放った下手人は――、
「どういうこと、だ……――フェナリ嬢」
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※※次回投稿について※※
次回投稿は来年の1月1日、元日となります。
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