26.ホカリナ王都
「――それで、そなたらの目的は?」
「……山賊が馬車を狙うのに、理由なんかあるかよ」
けっ、と吐き捨てながら、賊の長らしきスキンヘッドの男が答える。
結論からいうと、襲撃の下手人である賊たちは何も、『予言者』の手先としてアロンらを襲撃してきたわけではないらしい。
彼らはこの山で山賊をやっているだけの集団であり、単なる盗賊行為の一環として襲撃を起こしただけ、とのこと。あまりに簡単すぎる帰結だが、賊の瞳に嘘の色はなかった。シェイドとの大きすぎる実力差を見て、あまりに分が悪い、と悟ったのだろう。今更に虚偽を述べようというつもりは無さそうに見えた。
「ふむ――単なる山賊である、と言うのであれば我々は用はない。シェイド、幾らか騎士団から人員を。こやつらを、国境沿いのホカリナ兵に届けねばなるまい」
「承知いたしました。――第二小隊、こちらへ! 賊の護送を頼む」
「ああ――最後に一つ。最近ここらで、雪崩がなかったか?」
突然のアロンの質問は、山賊たちにとってはあまりに突拍子のないものに映ったのだろう。しかし、対して情報を持っていないであろう山賊の、アロンにとっては唯一となる価値は、その質問に対する回答だった。
山賊たちはそれぞれ少しだけ目を合わせてから口を開く。
「ここらで雪崩があったってんなら、俺らはここに居ねぇだろうな。――まぁ、俺らがここに住み着く十年前より過去ってんなら知らねぇが」
「そうか――よし、もういい。護送を頼んだ」
その言葉を最後に、憎々し気な山賊たちの表情はアロンたちから遠ざかっていった。
山賊たちは本当に単なる山賊で、特に大きな情報を持ち合わせているわけでも、何か不思議な技を使って戦うわけでもなかった。これでは、彼らにシェイドをぶつけたのは過剰戦力と言わざるを得ない。
しかしまぁ、得られるものが完全になかったわけではないか、とアロンは思う。
「これで、『予言者』の信憑性は正反対の方向に裏付けされたな」
「ええ――事前に聞いた話では、『予言者』はこの山脈での雪崩を予知したのだとか。『予言』の信憑性に加担するくらいならばある程度の規模であったはずですが……」
「ここに十年は居座っているらしい彼らが知らない、と言うのはあり得ないであろうな」
ここで、得られたものは『予言者』の存在が、その基盤自体から崩れ去ったという事実。
アロンにとって、その事実が利益となるのか損害となるのか。それはアロン自身も分かっていない。ただ一つ、確かなことがあるとすれば、アロンの中でホカリナと言う国に対する猜疑心が高まったということだけだ。
「果たして――この国に何がある……?」
山の中からでは、ホカリナの王都は見えない。しかし、アロンの瞳にはその王都が映っているようだった。『予言者』がいるであろう、王都。そこでは、何が起こっているのか。
明らかなる異常事態が起こっているのであろうことは、アロンには容易に推測できる。しかし、その詳細の何たるか。それはまだ分からない。それを知るための使節でもあるのだ。
「『予言者』か――はたまた」
◇
「――通れ、次!」
「ギルスト王国からの使節だ。証明もこちらに」
「ふむ、まさしくホカリナ国王が印。――ようこそ、ホカリナへ」
王都に到着するころには昼を過ぎていた。先程、馬車の中で簡易な昼食をとったばかりだ。山賊の襲撃にはあったが、さほどの遅延もなく予定通りの到着。ここからは一度用意された宿で一晩を過ごし、次の日の朝に王城へと向かう。
すべて予定通りに上手くいっている。山賊の襲撃こそあったが、『予言者』の手先ではなかった。
――このまま、何もないのか?
アロンの中に生まれるその疑問は、果たして、彼が心配性なだけか。それとも、虫の知らせのようなものなのか。
分からない、不確定だ。だからこそ、その小さな懊悩を、アロンは周りに伝えられなかった。
◇
「――ギルストとは、風景そのものから違うな」
「そう、ですね……見たこともない食べ物が売っていますし――あれは、甘いのでしょうか」
「そう言えば、フェナリ嬢は甘いものが好みであったな。宿に向かうには時間もある。隣国の視察と考えれば、少し程度は街中を見て回る程度できると思うが」
「本当ですか?! ――っあ、いえ、大切なお時間を使わせるわけにもいきませんから……」
フェナリの、あまりに咄嗟に出た、という反応に対して、アロンは一瞬だけ呆けたように固まったが、すぐにその口元を緩めた。
フェナリは怪物狩りに長けており、その戦うさまは非情なほどに美しい。しかし、こういった一面を見てみるとその実、彼女もまだ幼い一面のある可愛らしい少女なのだと思わされる。ずっと、平身低頭な態度か、何かを達観した美しい戦乙女としての彼女か、そのどちらかばかりを見てきたアロンにとっては、今のフェナリは新鮮だった。
「そこまで言ったなら、甘んじておけばいい。――幸い、時間も口実もあるのだから」
「ぅ――ならば、お言葉に甘えさせてもらいます」
少し逡巡して、やはり最後は折れたフェナリが、小さく頭を下げた。
フェナリの同意も確かめて、アロンは別の馬車にいる文官たちに指示を出しに行く。そして戻ってきたアロンは、フェナリと共に馬車を降りた。その背後には数人の文官もいる。「一応、視察と言う口実だからな」という事らしい。
数人の文官以外の文官たち、騎士団の第一小隊以外は一足先に宿に向かうらしい。それ以外の者たちでホカリナの街中の視察を行うわけだ。
「あまり目立つな、と宰相殿が仰せだったからな。フェナリ嬢もこれを」
少しお道化たようにそう言って、アロンはフェナリに大きめの布と深めの帽子を渡した。どちらも、貴族や王族が身に着けるものとは違う、少し質の悪い布だった。
アロンがするのを真似るようにして、フェナリも渡された帽子を深くかぶり、広い布を身に纏う。簡易的な変装なのだろう。王都とはいえ、街中に王族貴族、それも隣国の貴人がいては問題に巻き込まれかねない。そのためのものだ。
「では、行こうか。特産品を調べるのも、使節としては必要だからな」
アロンに言われて、フェナリも少し控えめに頷くとその背中についていった。アロンが向かうのは、最初にフェナリが馬車の中から指し示した露店だった。見たことのない食べ物が売っている、という店である。
実際、アロンが露店に近づいて見てみても、その食べ物はギルストでは見られたことのない形と色をしている。鮮やかな黄色の皮と細長く曲反りした形。同行した文官たちにも見覚えはなかったらしく、首を傾げているものがいた。
「――店主、これは、なんという食べ物なのか、聞いてもいいか?」
「ん? ああ、これか? 『バナ・ウナ』だな。なんだお前さんら、旅人か?」
「ああ。いろんな国を旅しているんだ。『バナ・ウナ』と言ったか――この国では、有名なものなのか?」
「そうだなぁ……この国でもこの辺りじゃ採れないんだが、もう少し南の、気温の高いところではよく採れるらしい」
ふむ、と与えられた情報を咀嚼するアロンの後ろで、文官たちが店主には見えないように隠しながらメモを取っていた。
見た目の特徴的な『バナ・ウナ』――アロンの知識によれば、ホカリナ近くの古い言葉で『甘い・曲線』と言う意味だ。素直な表現で、そのままこの食べ物を表しているのだろう。しかし、『バナ=甘い』とつくのであれば、ほぼ間違いなく甘味の類だ。
「『バナ・ウナ』――一つ、もらえるか」
「おっ、まいどあり。――70カリナだ」
アロンが銅貨数枚と引き換えに『バナ・ウナ』を受け取る。
「こうやって食べるんだ」と店主に見せてもらいながら皮をむくと、中には黄色ではなく白の実が詰まっているらしいことが分かった。匂いは強くなく、ほんのりと甘い香りがするだけだ。興味深そうに観察するアロンの傍ら、フェナリも甘い匂いにつられるように『バナ・ウナ』を見つめていた。
「――殿下、先に毒見だけ」
「ああ、大丈夫だろうがな」
「一応です」
アロンの後ろから、シェイドが小さい声で話しかけてくる。『殿下』と呼ぶのは躊躇ったらしいが、それ以外に適切な呼び方は見つからなかったらしい。グラルド卿であれば、ここで躊躇いなく呼び捨てをしただろうが、シェイドには状況が状況とはいえ、そこまで割り切る度胸はないらしかった。
「では、僭越ながらお先に」
懐から取り出した短刀で器用に実の一部を切り取り、シェイドが口に含む。舌触りに刺激がないかを確認しつつ、少し咀嚼して嚥下してみて、毒がないことを確かめてから「大丈夫です」と毒見役を終えた。
シェイドから大丈夫、との返事を受け、アロンがシェイド同様に短刀を取り出して一部を切り取った。そのまま、ずっと横で興味津々に待機しているフェナリに手渡す。
「――ありがとうございます」
フェナリは、アロンから手渡された『バナ・ウナ』を手に取り、観察したりはせずにそのまま口に入れた。触り心地が粘っこく、あまり直接触っていたくなかったというのもある。
口に入れてみれば、香りの通り甘味が口の中に広がった。しかし、日頃糖分補給のために食べている菓子類とはまた違うような甘みに感ぜられる。菓子にはある澄んだ鋭い甘みは『バナ・ウナ』にはない。しかし、その代わりに『バナ・ウナ』にはまろやかさがあった。
「ふむ、甘い。美味しいな。癖もなく、好まれやすい――貿易対象だな」
フェナリの横で、アロンも『バナ・ウナ』を食べてみたらしい。フェナリとは違う観点だが、同じく『バナ・ウナ』に対しては高評価らしかった。
文官たちも物珍しそうな表情で『バナ・ウナ』を一口ずつ食べてみては神妙な顔で考え込んでいたりする。シェイドは特に気に入ったらしく、自分で露店まで行ってもう一本買い足していた。
「何とも……『バナ・ウナ』をこんな神妙に食べる奴らは初めて見た」
そんな、呆れたような店主の呟きは、恐らく誰にも聞こえていなかったのだろう。
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