25.覇者たるシェイド
「――ここからは、ホカリナ国領だ」
アロンの言葉が、騎士たちの間に薄い緊張を走らせる。
既に、ここは彼らの自国領ではない。ホカリナの国領へと入った時点で、そこは自分たちが得意とするホームではなくなるのだ。
場所が違えども適応し、その責任を全うできるように訓練を積んでいる騎士たちだが、未知の国で本当に全力を発揮できるか、と言えば当然のことながら否だ。
「ホカリナ王都への道程の安全は、諸君らの働きにかかっている――気を引き締めよ、我らはギルスト王家からの使節団である!」
アロンの言葉に、騎士たちが姿勢を正した。鎧同士がぶつかり合う金属音が勢いづいて鳴り響く。騎士たちの威勢や良し、と認めてアロンは小さく頷くと解散を命じ、馬車へと乗りなおす。
ここからのホカリナ王都への移動は、騎士たちが思うよりも危険なものになる可能性を秘めている。アロンはその事実を知っているからこそ、緊張感が高まりつつあるのを止められなかった。
「シェイド、聞いているかと思うが――ホカリナ王都での危険は、この馬車に集中するだろう」
「ええ、グラルド卿から聞き及んでおります。ホカリナの、『予言者』ですね」
乗りなおし、ホカリナ王都へと出発した馬車の中で、アロンとシェイドが神妙な顔つきで言葉を交わす。
アロンとフェナリの護衛を担当するシェイドだけには事情の幾らかが明かされていた。ホカリナの『予言者』がフェナリについて予言を残したこと、それを原因としてホカリナの刺客がアロンやフェナリを襲撃する可能性があることなどだ。
今回同行する騎士たち全員に事情を周知させるべきだ、というのがアロンの正直な意見ではあるが、どうしてもそれは出来ない。ホカリナとの友好的な関係を築くための使節として出向くというのに、ホカリナが敵である可能性を与えてしまえば、その先入観からホカリナとの交渉がうまくいかなくなる可能性も出てくるからだ。
「『予言者』の存在については、こちらでもある程度調べたが……正直言って結果は良いものとは言えない」
「メイフェアス伯爵家の方でも当家と懇意な関係を築いている商人たちに情報を募りましたが、それらしい情報は何も」
「ですが――それでは矛盾が生じませんか? 結界術師やホカリナ国王の反応からして、その『予言者』の言葉や予言が国を動かす程の力を持っているようですが、それなら周りに情報が漏れないはずもない。それこそ、国民にすらその存在が隠されてでもいないと……」
静かに顎に手を当て、思案顔のシェイドに、アロンが小さく頷きを返した。
アロンからの反応は予想外だったのか、シェイドが驚きに顔を上げる。
「実情は分かっていない……が、恐らくシェイドの言う通りだろう、と推測している。『予言者』の言葉は国を動かす程に強大でありながら、その存在は秘匿されている。自国の国民にも、だ」
「そんな状況が――」
「当然ながら、国としてあり得ない状況だ。そんな状況の国と――貿易を可能にして良いものか、という懸念もある」
政治が不透明である。それは、国の状態としてあまり良いものとは言えない。
国の中枢が持つ権力が強大化すれば、同時に国は脆弱になる。中枢が瓦解すれば、同時に国が瓦解することに直結しかねないからだ。
それだけでなく――『予言者』という不確定な要素によって政治が左右されている、と言う状況もある。現状、ホカリナの国政は悪いとみるほかない。
「もしもの場合――つまりは、ホカリナとの貿易を始めることがギルストにとっての不利益に繋がると判断された場合、我々はギルスト国王名代としてホカリナとの国交断絶を宣言しなければならない」
アロンの言葉は、恐ろしいほどに重かった。
アロンの言葉は、今でこそギルスト王家の第二王子の言葉だ。しかし、万一の場合には彼の言葉がギルスト国王名代としての言葉――ギルストの総意として扱われるのだ。
その、国王名代としてホカリナとの国交断絶を宣言する、ということには重い意味がある。それが理解できない二人ではなかった。
「――――」
あまりにも規模が大きい。国家規模での話に、フェナリは気が遠くなりそうだった。
正直言って、未だに自分の立場や自分が関わる事象の規模については実感が湧かない。結界術師を捕縛するための作戦だって、傭兵業務に近いような認識だった。自分たちに危害を加えようとする怪物の討滅を目的とした、一つの業務だ。そう思えば、その規模にも目を瞑れた。
しかし、今回は違う。
フェナリは、怪物の討滅のためにここにいるのではない。
国王の指名により、国王名代の婚約者として、国家規模の会合に同席するのだ。それがどれだけの重責を伴うか、それを理解できないわけではないし、今更になって目を逸らす訳でもない。
今回のホカリナへの旅。これは、フェナリにとっての試練の旅だ。
転生し、貴族令嬢となった自らを、定義する。
グラルド卿との手合わせを通して手に入れた自らの在り方を以て、自分を強くする。
――そのための、試練の旅。
何が何でも、強くなる。
フェナリ、と言う人間を定義する以上に、『自分』という――花樹とフェナリの混在するこの存在を定義するためには、強さが絶対的に必要だ。
そのための足台として、『黒の男』を屠らねばならない。
だが――それ以前に……
「「――王子殿下」」
フェナリと、シェイドの呼びかけが重なった。
一瞬だけ二人で目を見合わせ、フェナリが退く。これは、少なくとも護衛の、騎士の役目だろう。
「王子殿下、こちらを監視している賊の気配があります。恐らく、五人程度の複数人かと」
一瞬にして、アロンの表情が緊張し始める。
状況を正確に把握し、打破せんとする瞳だ。
「――っ、来ます!」
目を閉じ、感覚を鋭くして周りの気配を察知しようとしていたシェイドが咄嗟に目を開き、その腰に掛けた騎士剣の柄に手を掛ける。
瞬間、馬車の外で鬨の声が上がる。声の大きさからしても数人程度の人数に違いはない。加えて、統制のとれている声ではないように感じた。
「シェイド――行ってこい」
「……ッ、承知いたしました。王子殿下の御威光のままに!」
護衛対象と殲滅対象。二つの間で逡巡していたシェイドの背を押したのはアロンの一言だ。アロンから進むべき道を告げられ、シェイドがその場で簡易的に跪くと、馬車の外へと飛び出す。
現れた賊が何者なのか、それは分からない。現状で分かっているのは、アロンら使節団に対しての敵意や悪意を持っているという事実のみ。しかし、それは『予言者』の言葉に従う者が下手人であるという事に直結はしない。
山間部での賊、と言うのであれば単なる山賊であるという可能性も捨てきれないのだ。
何にせよ、一先ずは先制攻撃を仕掛けてきた相手方の捕縛が最優先。
目的や動機、その他諸々は捕縛したのちに確認すればいいだけなのだから。
「騎士が、騎士たる定めなら――国を民草を、護らんと欲する超常を――」
「――――ッ」
馬車の外、シェイドが向かった先から聞こえてきたその言葉に、フェナリの視線が引き寄せられる。聞き覚えのある言葉だった。丁度先日、グラルド卿と手合わせした時に聞いたその言葉。恐らくは、騎士団に伝えられる何らかの秘術の詠唱だ。
事実、フェナリはその秘術の詳細について知っていない。知っているのはグラルド卿とシェイドは少なくとも扱える、ということ。また、その詠唱。そして、その秘術の名は――
「――『覇者が見る世界』!!」
そう、『覇者が見る世界』だ。
詠唱を紡ぎ、この言葉を口上で転がしてから――その瞬間を皮切りにして、グラルド卿の存在感は膨れ上がった。同時に、彼は目を閉じたままでフェナリと戦って見せたのだ。では、その秘術は目を閉じていても周りの様子が分かる、と言ったものなのか。――それは、恐らく否だ。
「そこッ、ハァッ――! 加えて、そこォッ」
存在感を膨れ上がらせ、その手に握り締めた騎士剣を振るって敵を順次制圧していくシェイドは、目を瞑ってはいない。そもそも、騎士団に伝承されているのであろう秘術が『目を閉じていても周りが見える』程度のものであれば、拍子抜けだ。その程度、メリットの成り損ないでしかない。
では、秘術の効果は何なのか。シェイドが戦っている様を馬車についている窓から観察しつつ、フェナリは思考を巡らせる。
――シェイドの動きは、少々早くなっているように見える
――木々の後ろに隠れて奇襲を企む賊を、看破している
――背中から突き来る剣を、振り返らずに避けた
観察していれば、それらしい動きはいくつかある。しかし、それが一つの秘術の効果としてまとめられるか、と言えばそうでもない。統一性のない――万物の全一であるかのような、そんな秘術でもない限り、全てを包括する効果はあり得ない。
「フェナリ嬢――シェイドの戦いが気になるのか?」
「ああ……いえ、彼の戦い方が、先日お手合わせくださったグラルド卿と似ていらっしゃったので」
「ふむ、騎士団の『騎士術』か。確かに、特徴的だ」
『騎士術』――アロンの口から出てきたその単語を、フェナリは静かに反芻する。
フェナリとしての知識を探ってみても、それに関する知識はなかった。つまり、貴族令嬢であってもそう簡単には知らないような事実であるらしい。もしくは、騎士団とは縁がなかっただけかもしれないが。
「その……『騎士術』というのは?」
「うむ、『魔術』とは対になる、騎士団に伝承されてきた存在だ。この術に関して、騎士団は内向的な姿勢だからな……私もあまり知らない、が――この術こそが、騎士団を結界術師に対抗できる存在足らしめているらしい」
「――――」
アロンの話を聞いても、正直言ってフェナリの疑念が解消されたというわけではない。それどころか、更に状況が分からなくなったと言ってもいい。以前から何度も聞いてきた、「騎士団は結界術師に対抗できる」と言う事実が今になって裏付けされてきたわけだが、では実際に何故なのか、と言う点に関しては具体性に欠けているのが現状だ。
結界術師には騎士団全体が対抗できるが、王城勤めの結界術師に対応できるのは『紫隊長』に限られる、という事から推測するに、騎士団の中でも『騎士術』には熟練度のようなものがあるのだろう。そして、グラルド卿は騎士団の中で最上位の練度を誇る。ならば、目を閉じていても戦えたのはその熟練度故なのか――
「――王子殿下、賊の制圧が完了しました」
「うむ、シェイド、ご苦労だった」
フェナリが考えを巡らせている間にも、状況は進んでいる。
数人程度の賊をシェイドが制圧するのにはあまり時間がかからなかったらしく、シェイドが賊の制圧と拘束が終了した旨をアロンに報告しに来たところだった。
「少し――話を聞こうか」
アロンは、そう言って初めて腰を上げた。
これまで、賊の襲撃が発覚してからずっと、アロンはその腰を上げることが無かった。賊の存在が発覚した直後以外で、瞳に緊張が映ることすらなかった。それは恐らく、外で賊の制圧に動いているシェイドや、彼を評価していたグラルド卿への信頼があったからこそだろう。
アロンのことを、フェナリは何一つと言っていいほど知らない。
彼を、失いたくはない――そうは思うのに、では彼の何を知っているのか、と言えば何も知らないのだ。
それは、彼の周りの人間関係について、彼の持つ技術、力量について、彼の抱く簡単な感情から複雑な感情、好悪の判断基準やその他の価値観――それ以外にだって、知らないことはいくらでもある。
「――シェイド、賊の元へ案内してくれ」
そう言って、馬車から出ていくアロンの背中を見て、フェナリは言い知れぬ不安と焦燥に駆られていた。
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