20.闇夜に黒が降りる
「いやぁ、姑息だよねぇ」
咄嗟に、フェナリは声のした方に向き直った。
フェナリの中の警鐘が、こいつは放っておいてはいけない、と叫んでいる。今ここで、斃さなければならない。そうしないと、今後何らかの形で害が及ぶ。それは、フェナリに、アロンにと言うだけではないだろう。国家規模の害が、こいつによって齎される……!!
そんな突拍子もない想像が、この黒の男の存在によって裏付けされていた。
「炎堕龍が斃れる、ってのは勿論想定の範囲内さ。んで、消耗したところを私が――」
「魂魄・花刀よ、来たりて邪を屠れ――紅花一閃・睡蓮ッ!!」
究極の状態。一手間違えれば、フェナリほどの人間でも死ぬ。それが、肌を通してヒリヒリと伝わってきていた。先程の炎堕龍討滅戦とは比べ物にならない、死の匂いだ。
だからこそ、フェナリは選択する。確実に、相手を破滅へ導く一手を。
フェナリの手中に顕現した花刀が神々しい光を伴って黒へと迫る。
黒が話しているという状況に一切の意を介さず、花刀を振るった。並の相手であれば、確実にその骨すら残らない絶死の破壊技だ。それを、黒は――
「おっと――なんだ、全然消耗してないね。こりゃ計算間違った」
簡単に指で止めてみせた。
咄嗟の判断故に構えを取れなかった、初速が十分ではなかった、狙いがはっきりしなかった――とはいえだ。指で止められるほど、柔な攻撃を放った記憶はない。
「なんだ、お前は――――ッ!!」
「なんだ、か……君こそ、何者なんだよ。今の君は、花樹なのか?」
「その名は――ッ……その名は、捨てた」
今、出てくるはずのない名だった。絶対に、この世界でその名を知っているのは自分と『雅羅』だけのはずだった。だというのに、何故こいつが知っているのか。
駄目だ、自分なんかではこの男の真意を知ることが出来ない。
「あぁっと、少しばかり話過ぎた。君が消耗していないんだったら、万全を期すためにもここは諦めさせてもらうよ」
「なッ……待て!!」
フェナリは黒に追い縋ろうとして一歩を踏み出す。その瞬間には、先程の男の姿は消えていた。
闇夜に降りた黒は、また闇夜に消えていった。今残っているのは、木の葉を揺らす風だけだ。先程まで立ち込めていた死の匂いが、いつの間にか霧散している。
――斃し、きれなかった
それは、少女が数度しか経験したことのないことだ。相対した敵は、その殆どを撃滅してきた。だというのに、先程の男は斃すどころか、一撃を入れることも叶わなかった。
実力不足が、顕著だ。明らかに、フェナリはあの男に劣っていた。少なくとも対等に戦えるほどの力量差にまで縮めなければ、斃す算段もたたない。
「――あれは、結界術師じゃなかった……という事は、更に裏の人間が……?」
先程の男が結界術師だったならばその結界を用いてフェナリを暗殺すればよいだけのことだ。堂々とその姿を現す必要は何もない。では、あれは何者だったのか。
結界術師ではない。しかし男の言い草からして炎堕龍を導き入れたのは、恐らくあの男だ。加えて、フェナリの前世を知っている。
「…………ッ!!」
こんな大事な時にも思考がうまく回らないことに対する苛立ち、男を斃せなかったことに対する悔しさ、それらの混じった声を漏らして、フェナリは大きく花刀を振る。なんの技でもなく、ただひたすらに力任せに振ったその刀は、近くの高木を一刀両断し、地面へと寝かしつけた。
木の生命を花刀の養分として、妖刀はその姿を消す。
大きく息を吐いて、フェナリは森の中で座り込んだ。ドレスが汚れることも気にせず、気に背中を預ける。今は、気持ちを落ち着ける時間が必要だった。
後悔と苛立ちに塗れたこの表情を、アロンに見せるわけにはいかない。
恐らく、結界術師は本当の黒幕ではない。結界術師の裏に、あの黒の男がいる。
よく考えてみれば、簡単な話だ。結界術師が元々張られていた結界に干渉してそれを消し去ったとして、運よく怪物が襲ってくるか、と言えばそうではない。騎士団の常駐している王城敷地内に怪物がいること自体殆どあり得ないのだから、結界術師だけの策謀ではなかったことは、元から分かりきっていて当然のことだったのだ。
しかし、王城勤めの結界術師が逃亡した、と言う事実がアロンやフェナリ、そして他の面々の判断力を低下させていた。結界術師に印象を持っていかれたせいで、結界術師が全て裏で糸を引いている、という先入観を持ってしまっていた。それが、最大の敗因だ。
「もっと……強く、ならなくては……っ」
今回のことで、フェナリは理解した。自分は、まだまだ弱い。
少し前から、気づいてはいたのだ。しかし、見ないふり、知らないふりをしてきた。『雅羅』との手合わせの時に、自分は本領を発揮した『雅羅』には勝てないのだと実感した。そして、グラルド卿との初対面時にこの世界で、最も強いのは自分などではないのだと知った。ずっと、知っていたのだ。
強くなければ、怪物を屠れない。岩落鳥や炎堕龍は単なる足場に過ぎない。グラルド卿や、『雅羅』を――そしてあの黒の男を、越えなければ、フェナリは自らの『望み』を見つけることすら出来ない……!!
「――――フェナリ嬢! どうした、何か……ッ」
「王子殿下……すみません、黒幕らしき男を、取り逃がしました……」
フェナリを捜しに駆けてきたのであろうアロンに、フェナリは咄嗟に立ち上がるとそう言って悔しそうに顔を伏せる。黒幕、と言う単語に、アロンも緊張した表情になった。
「黒幕……!? それは……しかし、結界術師は捕縛されたぞ」
「結界術師は、見つかったんですか」
「うむ。詳しい話は一度王城へ戻ってからにしよう。グラルド卿も既にそちらだ」
アロンに言われて、フェナリは表情を取り繕いながら王城へと戻るため、歩き始めた。後ろ髪を引かれるような心持ちで、静かに歩いていく。
◇
「――王子、嬢ちゃん、来たか」
「あぁ、グラルド卿。結界術師の捕縛、ご苦労だった」
「何てことはねェ。突ッ立ってる男一人見つけるだけだ」
そう言って、グラルド卿は視線を後ろに向けた。
フェナリがアロンに連れてこられたのは、王城の地下。秘密裏に捕らえられた人間の拘置所であった。冷たい岩肌から不思議な圧力を感じる。
そして、その拘置所の端で縛られ黙しているのが今回捕らえられた結界術師であった。
細身、それどころか痩せこけているようにも見える体躯。目元はくぼみ、肌は乾燥し、生気の感じられない風貌だった。これが、今回の実行犯である結界術師なのか、と疑問すら湧く。
しかし、その疑問を払拭するかのようにグラルド卿が口を開いた。
「結界術師の天敵足りうるのが俺ら『紫隊長』だからな。王城勤めか否かに関わらず、国家が把握してる結界術師の顔と名前は全員知ッてる。間違いねェ、コイツだ」
親指で指し示され、結界術師が初めて顔を上げた。
その瞳はどこに向いているのかも分からない。そもそも、その瞳に視線に、意思があるように見えなかった。捕まったことに対する後悔や不安、グラルド卿やその他面々に対する怒りや憎しみ。それら、合ってもおかしくない感情のすべてが抜け落ちているような瞳だ。
ずっと、考えていた。結界術師は何故今回のような事件を起こしたのか。王城勤めの結界術師ならば生活に何ら問題はない。それどころか優遇もされている。ならば、何故わざわざ裏切ったのか。
それは、フェナリだけでなくアロンやグラルド卿にとっても最大の疑問であった。裏切る理由が見当たらないのだ。そして、その疑問は結界術師の瞳を見て更に加速した。自分たちに対する恨みも、殺意もない。では、何なのか。理由もなく襲撃を行ったわけでもあるまい。
「――結界術師カーン・キルティ。答えろ、何故お前は叛逆行為を犯した。質問に答える目的によってのみ、お前の発言を許可する」
「――――」
アロンの質問に、カーンは答えなかった。黙ったままで、質問に対しての返答を何らか返すつもりもない、と態度で示す。その反応にアロンは眉間に皺を寄せ、グラルド卿が小さく舌打ちをする。
質問に対しての返答が返ってこなければ、何も進まない。尋問が成立しない。
「おい、王子。拷問の許可取ッてこい」
「待て、グラルド卿。どんな犯罪者に対しても王族の権限を以て傷をつけることは出来ない」
「んじゃァ、俺が俺自身の権限でやりゃァ良いんだよな?」
「早まるな。『紫隊長』の権限を剥奪されるぞ」
無理筋を言っているのは確かに自覚していたらしく、グラルド卿はアロンの言葉に先程より大きな舌打ちを返して一歩後ずさった。壁に寄りかかり、大きなため息を吐く。
どうにかして、結界術師から今回のことの動機を聞きださなければならない。ただ単に実行犯である結界術師を処刑し、排除すればいいというわけでもないのだ。フェナリから報告されている「黒の男」の件もある。恐らく、結界術師は実行犯に過ぎない。
「――結界術師カーン・キルティ。答えよ、お前は一人で事を為したのか。それとも、組織か」
「――――一人だ」
引っ掛かった。
フェナリの報告から考えても、実行犯は最低で二人だ。しかし、カーンはフェナリと黒の男が会敵したことを知らない。だから、黒の男の存在を隠すために嘘をついた。アロンがその嘘に気づくことはないと踏んで。
カーンが初めて見せた隙だった。
「そうか。では、お前はどうやって怪物を連れてきた。お前は結界術師としては確かに超一級。されど、怪物を操るようなことには長けていなかったはずだ」
アロンの思考は、カーンが初めての隙を見せた瞬間から高速で回転していた。
これまでのフェナリとの会話、ほか大勢との会話、カーンが見せた隙。それらから一つの推論が立つ。
「カーン・キルティ、答えよ。〝フェナリ・メイフェアス〟――この名に覚えは……」
「――――ッッ!!」
「やはり、か」
アロンの推論は、この瞬間にほぼ確信へと変わった。そして、同時にアロンは心から溜息をつきたくなる。
その衝動を抑えて、アロンはカーンに向き直ってから口を開いた。
「カーン・キルティ、お前はホカリナの刺客だ」
アロンの断言に、フェナリとグラルド卿が声にならない驚きを噛み殺す。
カーンは、縛られた両手を少し揺らした。
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