19.炎堕龍討滅戦
「蒼花一閃・朝顔――!! ……む、堅いな」
炎を掻き消し、その素の姿を見せた炎堕龍を相手に、フェナリは絡みつくような朝顔の一閃を見舞う。しかし、その巨躯は堅い外皮に守られているらしく、容易に刃が通らない。
――あと、六撃
一度塔の広い足場に戻ってきて、フェナリは体勢を立て直した。力量の差もあって、本来なら圧倒的な優勢にあって然りの炎堕龍は、確かに防戦一方という状況を強いられている劣勢だ。しかし、その外皮を貫通できるだけの威力の攻撃を放つことが出来なければ、恐らくフェナリの体力が削りきられて終わる。
確かに、蒼花一閃・朝顔は広範囲に剣戟を分散させる性質上、一点集中の威力は他に劣る。されど、妖刀で強化されたその剣戟は岩をも砕き切るはずだ。つまり、炎堕龍の外皮は岩を優に超える。岩を纏った岩落鳥を超越した堅さということ。
しかし、それだけの堅さをもってしても、フェナリには届かない。それは、炎堕龍にとっては非情ともいえる、厳然たる事実だ。
「堅さには一点必突の一技を――! 黄花一閃・向日葵ッ」
その一閃は、狙い立たず炎堕龍の首元へと吸い込まれ――
◇
――嗚呼、美しいな
アロンは、本当に舞うようにして炎堕龍に斬り迫っていくフェナリに対して、そんな感想を抱いた。フェナリが怪物を相手取って戦っているさまは、本当に美しい、と。
いくつもの花が咲き乱れるように――それでいて、調和のとれた庭園を形作っていくかのように、フェナリは足を運び、剣を振るい、怪物を追い詰めていく。ここが死地であるという事実を忘れそうになってしまうような、そんな感覚さえも、見ている者に覚えさせる舞だ。
そんなフェナリを見て、ふと思うことがある。
――自分は、何が出来るのか。
まだ、自分は弱いのだと、アロンは嫌でも理解させられる。
グラルド卿を初めて裏家業から引き抜いたとき、確かにその強さを見抜いた。恐ろしい才能だと思って、その才能を国のために活かしてもらえれば、と思ったから引き抜いたのだ。しかし、フェナリはグラルド卿ほどの衝撃はないのに――その底知れなさは比にならない。
まだ、本領を発揮していない――まだ、到達点にはいない。そんな底の知れなさ。それが、フェナリにはあった。その点では、グラルド卿をも超える。
それが、恐ろしくもあった。恐れ多く、同時に美しく触れがたいものだった。
(保留とした、婚約……本当にもう一度申し込めるのだろうか)
弱気になってはいけない。そうは思いながらも、どうしたって後ろ向きな考えが浮かんできてしまう。フェナリの強さを前に、自分の劣等感が膨れ上がる。
炎堕龍討滅戦、などと言葉を飾り、フェナリに踊りを申し込んで。しかし結局、アロンはフェナリと共に踊っているのだろうか。ただ、フェナリの踊りを見ている観客に過ぎないのではないか。
ほら、もうすぐだ。フェナリが炎堕龍の身に纏われていた炎を消し去り、鋭い一閃でその首元を貫いて――もう、戦いは終わってしまう。
自分は何もできないまま。王子の矜持を、守ることなどできないまま、このまま戦いが終わって――そうしたら、自分はまた、苦難の日々に戻ることになるのだろうか。
炎堕龍の巨躯が大きく揺らいで、力を失ったようにして落ちてくる。戦いが終わってしまった――
「王子殿下――いや、アロンッ!! 炎堕龍が素首、落せ!!!」
――はっとした。同時に、身体が動いていた。
大きく剣を構えて、曲線的に足運び。剣を振りかぶって――剣を振り下ろした先には、炎堕龍の首元があって。本当なら、自分の実力なんかで斬れる堅さじゃない、と知りながら、そんなことを無視して、円を描くように剣を振った。
炎堕龍の頭が、首元で切り離され、胴と離れて塔の上で落ちる。
ズシン、と砂埃と共に重い音が響いて、同時に音楽団の演奏のフィナーレの音が重なった。全て、フェナリの計算通りなのだと、頭のどこかで感嘆があった。
「――――」
足元に転がる龍の巨頭を、見下ろす。自分が、これを? と純粋な疑問が沸き上がってきた。
そして、ふと我に戻り、舞踏会上でこちらを見ている貴族たちに向きなおり、フェナリと共に深く辞儀。盛大な拍手をその身で浴し、一つの達成感と共に、アロンとフェナリの剣舞は、幕を下ろした。
観客である貴族たちも、炎堕龍の討滅戦をどうやって演出したのかを疑問に思いつつも、高揚した思考がその疑念を覆い隠しているらしく、純粋に感嘆と称賛の拍手を送っていた。
初めこそ剣舞に対して懐疑的な反応を見せていた貴族たちがいたが、終わった今となってはそんなことは些事だ。全て、些細で考える必要もないことだ。手放しで賞賛すべきものが、今目の前で行われていたのだから。
アロンとフェナリの周りの灯篭が、その熱量を失う。同時に、王城舞踏会の閉幕が示されたのであろう会場の喧騒が遠ざかっていった。ふと、アロンはフェナリと二人きりの状況になる。
「フェナリ嬢、改めて礼を――――」
「アロン王子殿下――――」
姿勢を正し、フェナリに向き直ったアロンは礼を告げようとして、誰あろう、フェナリの言葉で遮られた。いつもなら、ここでフェナリが恐れ多くも王子殿下の言葉を遮ってしまった!! と慌てて会話の主導権を譲るものだが、今回ばかりはフェナリも引かない。その真剣な眼差しに気圧され、アロンも一度口を閉ざした。
「以前、誓われていたこと――その返事が出来ておりませんでした」
「以前の、誓い……」
それは、婚約を保留、という形にしたという報告とともにアロンの口から告げられたもの。
いつか、自分が改めて婚約を申し込むその時まで、猶予を欲しい。そして、その時を、待っていて欲しい、と。その誓いを、アロンが忘れるわけもなかった。
「その……恐れ多くも、婚約、を申し入れていただく時を――その時を、私はいつまでも、待っております」
やはりはどこかしどろもどろになりながらも、フェナリはそう言ってはにかむ。いや、それは笑い慣れていない、曖昧で歪んだはにかみ。しかし、それだけで終わらない、微笑み。
その言葉と、はにかみに、アロンは胸を突き刺されたような心持だった。ここぞとばかりに王子の矜持を取り出してどうにか膝から崩れ落ちるような醜態を見せないよう踏ん張る。
それほどに衝撃的で――同時に、本当にただひたすら嬉しい言葉だった。
「フェナリ嬢……私は、まだ力不足だ。しかし、必ず君の横を歩けるだけの誇りを、手に入れる。改めて――――その時まで、待っていていただけますか」
貴族たちからは死角になるところで、アロンはフェナリの前に跪く。そして、手を差し出した。
フェナリは、目の前で王子が跪いている状況に少しだけ戸惑って、それでも――
「はい、喜んで――」
確かに、その手を取った。
――その、フェナリの手を確かに感じて、アロンは膝から崩れ落ちんとする心持だった。
今日を、王城舞踏会での出来事を、最後の剣舞の様相を、思い返してみれば。アロンにとって長くも短い時間だったと思える。そして同時に、何か憑き物が落ちたような気分もあった。
最後、炎堕龍の首を落としたのは、間違いなくアロンだ。そこまでに戦っていたのがフェナリであり、アロンがその首を落とせるような状況を作り出したのもフェナリだとしても、その首を落とした功労者は、厳然たる事実として、アロンなのだ。
――そんな力が、どこから
そんな疑問を、改めてアロンは頭の中に浮かべてみる。
しかし、その答えは彼自身既に出しているようなものだった。それは、直前のフェナリの一言だ。思い返してみれば単純すぎる話で、アロンはフェナリにその名前を呼ばれた、というただそれだけのことで本来以上の力を出せたのだ。
その一瞬だけは、王子の矜持だとか王族としてあるべき姿、だとか……そう言ったアロンを縛る『無駄なもの』は消え去った。その瞬間だけは、アロンはアロンだった。
「――ありがとう、フェナリ嬢」
恐らく、目の前のフェナリも、この言葉を聞くことは出来ないだろう。フェナリがどんなに耳聡くとも、空気の音は聞こえる筈もなく。しかし、いつかは確かに正面から告げるべき言葉なのだと覚悟して。
アロンは、一つ、救われたのかもしれない。
◇
いや、しかし……短いようで長い時間だった。
感じていた怪物の気配通りに現れた炎堕龍。そして、その討滅戦。そのフィナーレはアロンに譲り、最後にはアロンに告白まがいの言葉を掛けて――いつの間に、こんなにアロンとの関係を失いたくないと思っていたのだろうか。最初は、絶対にそんなことは思っていなかった。なんの執着も、無いはずだった。なのに、今では失くしたくない、と思っている。そして、婚約を申し入れられる時を、待っている、と確かに言ったのだ。
本当に、人生と言うのは分からないものだ。
しかし――よくよく思い出してみれば……
「でっ、では! 私は結界術師の捜索を……グラルド卿に加勢をっ!!」
冷静になって考えると一気に頭が冷える。
そして、一気に羞恥が襲ってきた。自分は何をしていたのか、王子になんて言葉を、そもそも王子を呼び捨てにしていたり――もう、思い出すだけでキリがないほどに、またも黒歴史を塗り替えてしまった。
恥ずかしさに耐えられなくなり、フェナリは逃げ出すような形で塔を降りていく。結界術師の捜索が最終目標である以上、問題のある行動ではない。なんなら、この行動こそ正しく、あるべき姿なのであって……
「そういえば……グラルド卿は今どこに」
何も考えず出てきて、アロンでは到底追いつけないような速度で森の中を駆けてきた。かなり奥の方まで来てしまった気がする。まあ、迷ったとしても高木に上って周りを見渡せばいいだけなので問題はない。
しかし、当てもなく結界術師を捜す、というのは無理筋だろう。まずはグラルド卿と合流して――
「――――いやぁ、姑息な手だよねぇ」
闇夜に、黒が下りた。
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