12.紫と花
「御当主様、フェナリお嬢様は王城へと出立されました」
「――そうか、報告ご苦労」
メイフェアス伯爵家の中枢、最奥たる伯爵の執務室にて執事長が報告に来ていた。
その報告を聞きながら、伯爵は鷹揚に頷く。
最近、明らかにフェナリと第二王子との繋がりが深まっていることを、伯爵自身よく理解していた。
そして、そのことを不可解には思いながらも、悪いことであるとは全く思っていない。王位継承権は第二位であるとしても正しくアロンは王族の一員。であれば、そのアロンと繋がりが深まることは王族とのつながりを深めることにも直結する。
ただ、伯爵令嬢という立場のみを見て決められた婚姻である、と。
それは上流下流を問わず、貴族の中で何度も囁かれ続けたことだ。事実、フェナリは本来使えるはずの魔術を扱うことが出来ず、そのせいで冷遇されていることは伯爵も知っている。いや、彼がもっともそのことを理解していると言っていい。だからこそ、周りから囁かれる醜聞に苛立ちこそ募り、悔しい気持ちこそ積もれど、それに反論を返すことは出来ないままだった。
しかし、最近になって状況が一転したように感じる。その深いところで何が起こっているのかを覚ることは出来ていないが、少なくとも状況が明確に変わっているであろうことは分かった。
状況の変化は、今後どのようにしてその道を進み、どんな帰結を齎すのか。
メイフェアス伯爵はそのことをただ、見据えるだけの役割を持つ。
接する機会こそ少なくとも、間違いなくフェナリは愛娘だ。同時に、冷酷な言い方をするならば、彼女は伯爵の持つ最も強力な駒でもある。
だからこそ、フェナリの動向は伯爵も把握しておかねばならない。
「今後も、偵察を続けろ」
「――畏まりました」
◇
――時は朝、場所は王城。
アロンの言う「協力者」との面会のため、フェナリはまたも短い間隔で王城へと呼び出しを受けていた。これほどまでに懇意な関係を続けている婚約者と言うのも、多くはあるまい。同時に、策略を巡らせていることを懇意な関係だ、と勘違いされている王子とその婚約者、というのもこれまでの歴史で数えるほどしかいないだろう。
異常な状況だった。これまでの歴史でも、そうないであろうこの状況に、フェナリは王城の中でも特別に造られた密会のための部屋で誰にも気づかれないよう、苦笑を漏らした。
この部屋には、カルデン子爵に連れられてきた。彼もある程度は事情を理解しているのかもしれない。フェナリを密会用の部屋に案内する役目を果たしているのが、その最たる証拠だ。
そして、他には誰が知っているのか。王子の言い方からして、茶会の時の話は誰にも話されていない。王子がフェナリとの約束を律儀に守っているからだ。しかし、結界術師の逃走に関しては、ある程度の人間が把握しているのだろうと思う。逆に言えば、把握していないことがおかしいような人間だっているのだ。
――王族と、騎士団の一部。
彼らが何も知らない、と言うわけではないのだろう。
特に、今回初めて顔を合わせる国家の最高戦力である『紫隊長』は結界術師に対する数少ない対抗策なのだ。その彼らが何も状況を知らされていない、と言う状況はあり得ない。同時に、王族がこの状況を把握していない状況も、あり得なかった。
「――私も、どこまで他人の推測通りに動いているのか……」
小さく呟いてみて、フェナリは自分の声がその音波ごと周りに吸い込まれていくのを感じた。
密会用の部屋、というのは単に人の出入りを制限できる部屋、というだけではないらしい。何らかの魔術が発動しているのだろう、と彼女は感覚的に理解した。それが実際にどのように発動しているのかを知っているか、そして自分が発動させることが出来るか、と言えばどちらにも否定を返さねばならないが。
「忘れそうになる――私は、駒であるという事実を」
それは、前世から変わっていない。変えようと、したことがないわけじゃない。
今世、フェナリという体を手に入れて、伯爵の令嬢という本来なら自分とは縁遠いはずの立場までもを得た。それは、自分が確かに高位に立っている、と言う事実。しかし、それでも自分は駒のままだ。
他人に何かをするよう、命令を受けて初めて動くことが出来る。そんな生き方を、彼女が一度だって容認したことはなくとも、それが彼女の生き方として決められていた。
――『望み』を見つけたいのであれば生き方を変えなければ
そう考えてから、フェナリは小さく息を吐いて、静かに目を瞑った。まだアロンも、彼の言う「協力者」も来ていない。案内役だったカルデン子爵も早々に退室した今、部屋にはフェナリ一人だった。
一人だからこそ、少しばかり陰鬱な考え方が彼女の脳を支配する。元々、楽観的な性格をしているわけでもないのだ。ずっと、陰鬱で消極的。そんな性格の彼女は、いつも自らの妖術と、その強さという仮面をかぶり続けている。それが、彼女を彼女足らしめている。
そんな、惨めな自分だ。その惨めさに、悔しくて息がまた漏れて――
「――何だ、最近の女は儚げなモンだなァ。しかも、こんなに強ェヤツでもかい」
「――――ッッ!?」
いつの間にか、背後に立たれていた。
いや、おかしい。この部屋に入るための扉は唯一、フェナリの視線の先にある。それ以外には外と出入りすることのできるような場所はない。この男が、フェナリの意識の外で部屋に入り、フェナリの背後に立つなど不可能――いや、そうじゃない。
一瞬だけ、フェナリは目を伏せた。小さく息を吐いて、静かに目を瞑った。その瞬間だけ、確かに彼女の視界は部屋の扉を映さなくなった。彼は、その一瞬の間隙にフェナリに気配を気取られることなく、彼女の背後に回り込んだ。
(これが、国家の最高戦力……!!)
驚きのあまり、フェナリは咄嗟に身震いを起こす。
自分と同格、いやそれ以上の強者に、彼女は初めて出会った。強者の雰囲気は確かにこれまでだって感じたことはある。しかし、これまでの覇気、強迫感は恐らく人間相手では初めてだ。
「いやァ、こりゃ失礼。驚かせちまったか……『紫隊長』グラルドだ。よろしくな、嬢ちゃん」
「っ……こちらこそ、不躾な対応、お詫びいたします。伯爵令嬢フェナリ・メイフェアスです」
豪快かつ壮烈に笑う筋骨隆々な茶髪の男。
『紫隊長』の名を惜しげなく名乗り、カッと見開いた瞳で、フェナリを突き刺す男。
目の前にいる、この男こそ、アロンの言う「協力者」であり、国家の最高戦力なのだ。
「はぁ……グラルド卿、迎えに行くとの伝達を送ったはずだが?」
「なんだ? そんな伝達届いた記憶がねェな。二個以上の伝達を両方見られるほど、俺ァ器用じゃねェ」
卿、と呼ばれるにはあまりに貴族とはかけ離れた口調と仕草。
それが、彼の初対面の印象を形作った。同時に、この男は信頼できる、という確信めいた感覚があった。それは、この男がその不躾で無骨な応対を隠すことなく見せているからか、はたまた王子と比べれば本来の自分と近い立場に思えるからだろうか。
「フェナリ嬢、改めて紹介しよう。国家の最高戦力である『紫隊長』が一人、グラルド卿だ」
「よろしくな、嬢ちゃん」
「よろしくお願いいたします、グラルド卿」
アロンがグラルド卿を手で指し示しながら、二度目となる紹介をする。
それに呼応するようにグラルド卿が小さく前に出て、フェナリも小さくお辞儀を返した。
「フェナリ嬢も、驚いただろう。これは秘匿されていることだが……この男の出自は裏家業でな。しかし、『紫隊長』としての実力は申し分なく、信頼できる男だ」
「ええ、王子殿下のご紹介ですから……」
「『紫隊長』としての実力、ねェ……俺にとっちゃァ、この嬢ちゃんも恐ろしく底が見えねェ気がするがなァ」
「――まさか、魔術も扱えない私に、何の実力が……」
グラルド卿に核心をつくようなことを言われて、少しだけフェナリは戸惑うが、すぐに表情を取り繕った。何か、彼にしか見えないものを見透かされているようだった。見ただけ、またデータを調べただけでは、フェナリは間違いなく弱い人間だ。しかし、最高戦力とまで言われるような卓越した人間には、覚られてしまうのかもしれない。
実際、そこまで躍起になって隠そうとするようなことではない。今回のことであれば、目の前の二人には実力をある程度知られることは仕方がないことだとは思っている。その前提の下で、囮作戦を実行するのだ。
だがまぁ、転生してきて、前世で使っていたのがこの妖術で――などと事細かに説明するつもりはない。その心算もないし、同時にそんなことをする意味も見いだせなかった。信じてももらえまい。
「……一先ず、グラルド卿も座ると良い。お互い、時間に余裕を持てぬ立場なのだから――話し合いを、始めよう」
「ふむ、そうかい。まァ、いつかは分かることだろ」
ドカッと音を鳴らしながら、グラルド卿がフェナリの真正面から少し左にずれたところに腰かける。その隣、フェナリの真正面に来るところにアロンが座った。
「これから話すことは無論、口外厳禁だ。そのことを理解してもらいたい」
アロンの言葉に、グラルド卿とフェナリは同時に頷く。
その反応を確かめてから、王子は改めて状況を整理し始めた。
王城勤めの結界術師が逃亡したことが発覚したところから始まり、アロン自らグラルド卿に協力を要請したこと、そしてフェナリの提案で囮作戦が決行されること。状況を一先ず整理する。そして、王子は最後に一言。
「――なお、これらのことは全て、国王陛下も把握しておられる。そして、父上は黙認されるそうだ」
「それは……」
「私やフェナリ嬢が囮として結界術師をおびき出すことも含めて、父上は黙認の構えだ。最悪、命の危険が迫れば対処されるだろうが……可能な限りは干渉されない、と。この一件は実質的に私に一任されている」
それは、アロンが王子として国王からも手腕を認められている、ということ。
同時に、父親として息子が命を狙われ、これから囮として実行犯捕縛のために動くことを容認している、ということ。
それらは、アロンに向けられた酷く大きな信頼から成り立っている、無情な事実だ。
「今回の一件、失敗することは出来ない。二人とも、是非とも私に、力を貸してほしい……!!」
そう言って、アロンが頭を下げる。
それに対して、フェナリは王子が頭を下げていることに短く戸惑い、グラルド卿はガハハ、と短く笑ってから、二人とも力強く頷いた。
「任せとけよ。王子の子守なんざ、今更断らねェさ」
「私も、微力ながら尽力いたします」
二人の返答に、王子は口角を上げて、笑みを浮かべてから。
小さく、それでいて確かに頷いた。
「ありがとう――では二人とも、よろしく頼む!」
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