11.烏の知恵
アロンとフェナリの茶会襲撃事件から、四日――結界術師の居場所は依然として掴めぬまま。
そんな中、王城へと書状が届いた。第二王子に対する、フェナリからの茶会の招待状であった。それは同時に、茶会の招待状などではなかった。状況が状況だ。アロンもすぐにフェナリの意図を汲み取った。
前回の茶会からたったの五日。前代未聞な間隔で行われた再度の茶会。
フェナリがメイフェアス伯爵から貰い受けている邸宅の離れとその庭を用いての小規模なお茶会であった。
◇
「――フェナリ嬢、本日はお誘い感謝する」
「王子殿下も、ご足労かけて申し訳ありません。歓迎いたします」
フェナリとアロン、そしてごく少数の侍従と衛兵たちだけがこの場にはいた。
王子の庭程ではないが、十分に広い庭園の中で、東屋には二人の人間のみ。先に手を回されていた侍従たちは二人分の茶会の準備を済ませるとすぐさま離れへと戻っていった。話が決して聞こえないほどの距離に衛兵たちが控えているだけで、他には誰もいない。
密談にはもってこいの状況だった。
「王子殿下もお察しの通りかと思いますが、本日お呼びしたのは単なるお茶会のためではございません」
「無論、承知している。先日の結界術師の件、で間違いないだろうか」
「はい、私の方でも結界術師について少しだけ調べておりまして――考えがございます」
あれは、二日前の夜。
雅羅が「知識を授けよう」と言ってフェナリに語ったことだった。
どうしても烏から知恵を借りた、とは王子に話せるものでもないのでフェナリが調べ、考えたことであると虚言を広げなければならないことは心苦しかったが、今はそうするほかないのも事実だ。
『先ず、結界術師を探知することは恐らく不可能だ。結界を張られればこちらとしても探知の目が届かぬからな』
最初に雅羅から告げられたのはその事実だった。フェナリの知識の中にもそんなものがあった、というのは彼女も朧気ながら記憶していることだ。そして、それは自分たちの劣勢を明白にする事実だった。
結界術師を探知するのは、妖術を使うフェナリでも、人々の畏怖の対象であった大烏たる雅羅でも、不可能なことだ。そんな、文字通りの透明人間を相手取っている、その状況が窮地でなければ何であろうか。
『では……我々に出来ることは何もない、と?』
『いや、そうではない』
弱気になったフェナリの言葉を、雅羅が鋭く否定する。
雅羅には、あった。この状況を打破する方策が、少なからず。
『結界術師はどれだけ卓越した人間であっても、一つ以上の結界に干渉できぬ。そして、大地の裏側にある結界をもう一方から操ることも、出来ない。これがどういう意味を持つか、お主に分かるか』
『なるほど……結界術師が私や王子殿下を狙って元ある結界に干渉するとき、その結界術師は生身の状態で近くにいる、と。そういうことか』
『そういうことだ。少しは頭も働くようになったようだな』
雅羅の言葉に、少女は眼光を鋭くするが、烏はその視線を受け流してから、また語り始めた。
『現状、結界術師の明確な目的は分からずじまい。但し、少なくともお主とこの国の王子が狙われていることは明々白々であろう』
『我々が囮となり、結界術師を炙り出す。そういうことじゃな?』
少女の確認するような問いかけに、烏は鷹揚に頷いた。
その反応を受けて、少女の瞳が爛々と輝く。前回の襲撃事件、岩落鳥を送り込んできたところから見て、結界術師にとってあれは挨拶代わりであったのだろう。岩落鳥など、王城に常駐する護衛たちが相手取れば簡単に屠ることが出来るであろうから。つまり、結界術師の謀略はまだ終わっていない。それどころか、始まったばかりだ。
『お主と王子が何らかの理由で二人集まることを公言すれば、必ず結界術師の耳には入る。恐らくは、その時が結界術師と相まみえるときになるであろうな』
『問題は、私はいいとしても王子殿下を囮として危険に晒さねばならぬこと、か』
『その点は問題なかろう。結界術師が脅威と言えど、実際に結界に干渉している間は生身の人間。手間をかけて怪物に襲撃をさせておるところを見るに、当の本人にはそれほどの戦闘能力はないと見た。怪物を相手取れば神にも届かんとする女子が、隣におれば良い』
少女は雅羅の言葉に一瞬ぽかりとした表情をしてから、「そうじゃな」と一言頷いた。
雅羅は少女が強者として戦うことのできる状況を整える。王子は、その存在こそが戦いの状況を作り出してくれる。そうなれば、あとは少女が怪物を相手取り、その身を屠るのみだ。
◇
「――というのが、私の考えです。王子殿下を危険に晒すことになる方策ゆえ、最終手段として考えていただければ」
「なるほど――実に理に適った考えであるとは思う。私が危険に晒される、と言うことに関してもこの際目を瞑ろう。絶対安心の護衛には心当たりもあるのでな」
フェナリの話を静かに、出された紅茶を飲みながら聞いていた王子は、話を締めくくったフェナリに肯定の意を示して言葉を返す。本来、王子自ら囮を果たすなど、考えられないことだ。しかし、アロンはそんな外れ役すらもやってみせる、それだけの覚悟があった。
「結界術師は、恐らく私と王子殿下、その二人を纏めて狙っています。王城勤めの結界術師ともなれば、その襲撃の機会も多いはずだというのに、あの茶会を狙ったのはその理由からかと」
「うむ、私の考えとしても同じだ。であればこそ、おびき出すには我々が囮となるのが最善だろうな」
最終手段として、フェナリは提案をした。しかし、王子はその最終手段を惜しげもなく使おうとしている。そうしてでも、結界術師を早く見つけなければならないのだ。これは、国益のためでもある。国民が結界術師の逃亡を知り、パニックになる前に事態を収拾せねばならない。可能ならば、自分たちのみで、秘密裏に。
「そうだ、今回の結界術師捕縛のために、一人協力者を紹介したい」
「協力者、ですか……?」
「うむ、茶会当日のことは伏せながら、結界術師逃亡に関しての事情は話してある。そして、私とも旧知の仲でな。本来、彼を頼るのは本意ではないが――この際仕方がない」
アロンはそう言いながら、先日も久しぶりに再会した悪友を思い出す。
アロンより五つほど年上だったはずだが、少し年の離れた悪友のような関係の、茶髪の男を。
彼であれば、結界術師を捕縛するのに一役買ってくれる。それをアロンは確信していた。
「詳しいことはその日に話すが――国家の、最高戦力だ」
王子のその言葉に、フェナリは静かに息をのんだ。
自分以外の強者を、フェナリは初めて見ることになるのだと、その時悟った。
◇
「――成程、王子の人脈あってこそだな。国家の最高戦力とは」
「うむ……それだけの人間がいるのであれば、私がおらずとも怪物は屠れるのであろうな」
「そう拗ねるでない。怪物を屠ることがお主の生き甲斐であるのかもしれぬが、安全には十全を期すべきに違いないからな」
王子との茶会があった日の夜、フェナリは雅羅と言葉を交わしていた。
アロンから告げられた、「協力者」の存在。そして、その存在が国家の最高戦力であるとの事実。つまりは、その協力者が誰なのか。フェナリの記憶をある程度引き継ぎ終わった今の少女はある程度予測することが出来ていた。
「しかしまぁ、結界術師を相手にするのであれば、まず当然の人選ではあろう」
「それくらいは理解しておる。恐らく、王子殿下の協力者というのは『紫隊長』の内の誰か。そして、その『紫隊長』というのは結界術師に対応できるほぼ唯一と言っていい存在じゃからな……」
『紫隊長』という立場の人間の存在は、フェナリも当然知っていた。特に秘匿されていたりするような存在ではないのだから、当然と言えば当然の話だ。そして、その存在が結界術師対策にはほぼ必須であるのも、知っている。
しかし、それはそれとして、少女としてはその『紫隊長』がいることによって自分が戦う状況が無くなる可能性がある、というのが不服だった。怪物と戦うことを使命として生きていて、その末に死んだというのに、少女の体は無意識的に怪物と戦うことを願っている。
怪物と戦うことこそ、彼女の生き甲斐であるかの如く、少女は怪物と相対したい、とすら思っているのだ。
「なにも、案ずることはない。『紫隊長』はあくまで結界術師対策。であれば、怪物を相手取るのはお主になるやもしれぬからな」
「む……? 確かにそうか」
明らかに拗ねている様子だった少女に、雅羅は適当に言葉をかけて機嫌を直させる。少女もこういうところは単純なもので、雅羅の言葉にすっと納得した様子を見せた。
こういう単純なところが、少女の純粋さをはっきりと見せていて、同時にこんなに単純な少女だからこそ、人間の愚かな謀り事にも屈してしまったのだと思う。だからこそ、これからは自分が少女の頭脳となってやらねばなるまい。雅羅は、小さくその決意を固めた。
「……お主もそろそろ床に就くと良い。初に相まみえる『紫隊長』とやら……そやつに舐められるようでは、いつまで経とうと本領を発揮した儂には届かぬぞ?」
「分かっておるわ! 『紫隊長』が国家の最高戦力である、と言えど、寂華の国において最高戦力であったのは私なのだからな」
少女はそう言いながら、不敵な笑みを浮かべる。
王子から指定された、協力者との初対面は早くも明日だ。現状が急を要することもあって、体裁は気にしていられない、と先んじて王子からの謝罪は受けていた。これからは特に、急の呼び出しや訪問が相次ぐ可能性がある、と。
その急な事態にも、少女は対応せねばならない。そのためにも、今は体力温存だ。
少女は、床に就いた。
明日、協力者との初対面があって、そこで改めて囮作戦の詳細を詰める。
相手は透明人間かの如く隠遁し、こちらの探知できないところから攻撃を仕掛けてくる結界術師。その謀略はほぼ透明で、その存在も進行度合いも何もかもが探知しずらい。だからこそ、初撃は受けに回ってしまった。
しかし、ここからは違う。透明人間相手に、反撃だ。
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