10.『雅羅』という烏
アロンがフェナリに誓いを立ててから数分。
丁度タイミングを見計らったかのように伯爵を伴ったカルデンが部屋へと戻ってきた。どこか訝しげな表情をしたまま応接間を後にした伯爵だったが、得るものが大きかったのか、今では不満を感じさせない笑みを浮かべるばかりだ。
「戻られたか、伯爵。詫びの品は受け取っていただけただろうか?」
「ええ……詫びの品、確かに頂戴いたしました。最早、勿体ない程の――」
「それならよかった。こちらの話は終わったので、我々は王城へと帰らねばならぬのだが……最後に一つ、王城勤めの結界術師が姿をくらましたようでな。まさか、とは思うが結界術師は守りに特化していると同時にその力は暗殺にも転用できる……万一のことが起こらぬよう、伯爵家でも危機管理を頼みたい」
王子の告げた言葉に、フェナリは数日前の事件を思い出す。確かに、王子の庭には結界が貼られているはずなのに、岩落鳥は何の障害もなく入り込んでくることが出来ていた。それは、恐らく結界術師による陰謀の一つであったのだろう。
「それはそれは、恐ろしものですな。警戒しておかねば」
「うむ――ちなみに、だが……」
そう言って、アロンは懐から一つのものを取り出してくる。その物体を視界に収めて、伯爵は顔をひりつかせた。フェナリも、ふと記憶を探って、それが何なのかを覚って一瞬ばかり戦慄する。
「結界術師の逃走。十分に国民の不安を煽る事件だ。これは、他言無用で頼む」
絶対服従の印。つまり、今話されたことは全て緘口令の元で語られたものなのだと、掲げられたそれが示していた。このために、護衛も侍従も部屋に入ってきていない今の状況で話したのだろう。準備が良すぎる。ここまで、今日のことは全て、王子の計画通りに進んでいるのだと、伯爵は理解した。
「では、我々はこれで。急な訪問、重ね重ね申し訳なかった。これからも、王国がために」
「いえ……いつでも、お越しください。王国が、ために」
まだ、王子は若い。フェナリの一つ年上なだけで、未だ成人もしていない。
それだというのに、伯爵は王子の底を見ることが出来なかった。底知れなさは、この国のどの貴族よりも、上であるようにすら感じる。
何もかもを操らんとするほどの、気迫と実際にやってのけるだけの頭脳。自分の娘は、これはこれは恐ろしい相手と婚約を交わしたものだ、と伯爵は内心苦笑を漏らした。
◇
「――どうだ、娘よ。フェナリとしての人生は」
「雅羅……そなた、今までどこに……」
夜、最後の家庭教師が去り、夕飯も取った後は、少女にとっての完全な自由時間だった。いつもなら、このタイミングでフェナリとしての記憶を意識的に取り戻そうとしているのだが、今日は少し違う。
花樹が死んだ日について語った夜からどこかを飛び回り、今日まで姿を見せていなかった『雅羅』が戻ってきたのだ。
どこに行く、との一言も何もなしに数日姿を見せていなかった『雅羅』に、少女は訝しげな視線を向ける。しかし、烏はそんなことを気にしないかのように視線を受け流し、首を小さく傾げた。その瞳は小さい宝玉程度の大きさでありながら、何か雄大なものを感じさせて、妖しく光っている。
『雅羅』は、実際よくわかる通り、普通の烏などではない。
「今日まで、か……儂は何ら変わらぬ浮世を中空から眺めていたにすぎぬが……そなたの方は、何かあったようだな」
「……中空をただ飛び回っているだけで、何を気づくことが出来るというのだ」
「儂がただの烏などではない、ということなどそなたが一番よく知っておろう。この世界において、であればお主以外は知らぬことだ」
『雅羅』の含みのある言葉に、少女は嘆息しながら首を小さく左右に振る。
結局、この烏はこの数日を何をして過ごしていたのか。何故、自分の目の前から消えていたのか。その簡単な問いに対する答えすら、返ってきていない。明らかに、質問に対して何らかの答えを返そうとしていないのだ。
少女は正直言って謀略や頭脳戦といった分野に長けていない。それどころか、他の人間より劣っているだろうことは彼女自身理解している。だからこそ、『雅羅』がその知能を以て会話を牛耳ろうとするのであれば、少女は自らの小さな目的を達することすら難しくなる。
「ふむ――納得していない様子だな。しかし、そのまま伝えるというのでは面白くなかろう。久しく、そなたの趣味に付き合おうではないか――手合わせだ」
「――――ッ!?」
「無論、妖術は使わせぬ。それは、本当に儂を殺す算段を立ててからだ。適当に木刀でも用意しよう」
そう言いながら、烏は窓から飛び去る。フェナリも、烏を追いかける形で部屋から姿を消した。
周りには誰もいないことを確認し、闇夜の中をただひたすらに駆ける。そして、街から少し離れたところ、丘の上の広い平野に着いて、烏から一本の木刀を渡される。
「安心せよ、この場には結界を張った。思う存分、暴れればよい」
「そうか……最近は王子を相手にするような頭の戦いばかりで疲れていたところだ。状況としては申し分なし――屠る気で参るッ!!」
瞬間、『雅羅』の体が変幻する。
普通の烏、とは最早形容できなくなってしまった。その姿は、まさに怪物だ。
黒く大きな翼――人を三人四人と簡単に覆いつくせるようなそれを広げ、人の頭ほどはある瞳で月夜を映し。大烏は、高く吠えた。
これこそが、『雅羅』の本来の姿だ。寂華の国では最もと言っていいほど恐れられた、大烏の化け物。霧深き岩の山肌に棲むとされ、自らの聖域に土足で入り込むような輩を駆逐していた。普段のただの烏の姿など、浮世に溶け込むための仮の姿、というわけだ。
「あの頃の雪辱、今果たして見せよう」
「儂はどうしても、この世界に適応できておらぬ。今、お主が負けるということは――つまりそういうことよ」
お互いに、戦いの始まりは知っている。ただ、今だけは言葉を確かに交わして――少女は動いた。
大烏と比べればどうしても小さくか弱い存在に見受けられる少女が、勇敢にも大烏の元へと駆けていく。そして、大烏もまた、少女を蹴散らさん勢いで翼を開いた。
少女が手に握った木刀を、一つ二つ、と握り確かめる。自分の掌に確かに馴染ませてから、木刀をもう一度、握って、構えなおした。
「まずは――黄花一閃・向日葵ッ」
少女の小柄な肉体から繰り出される、極限の突き。ただひたすらに目の前の斃すべき相手を見据え、大烏だけを視界に収め、確かに屠る勢いで放たれた、一技。しかし、大烏は何てことは無いようにして翼の一振りで木刀の向く先をブレさせる。
ただ一筋に向かう突き技であるからこそ、少しのブレが命取りとなる。力は空中で霧散し、大烏に当たった時にも少しの風を起こすだけに留まる。
「戦いは、ただ一つの技を以て為すものではない……何度も言っていることだ。お主は、全く持って周りが見えておらぬ」
「あァ、分かっているとも――だがな、『雅羅』……そちらこそ油断は禁物じゃぞ?」
少女の口角がいやに上がる。そこで、『雅羅』は少女を自らの懐に入れてしまっていることに気づいた。言わば、自分に最も近い場所、そこに踏み込ませてしまっている……!!
油断大敵、とはこのことか、と『雅羅』は焦って一歩後ずさる。平野の草が人間の足よりも大きく鋭い大烏の爪に土ごと抉られた。
「距離を取ろうが変わらぬこと……蒼花一閃・朝顔!」
「ぬ……本来の力があればこれしきの事……!!」
大烏は咄嗟に翼で全身を覆う。しかし、その上から少女の木刀がぶつかった。
離れていた距離を、繋がっていた蔦を手繰るようにして狭め、一気に烏を屠る。絡みつくようなその剣戟は、大烏の羽根を散らした。しかし、まだ完勝ではない。烏の羽根が数枚落ちたところで、その命を確実に削りきることなど到底できない。
だから、まだ――!!
「力量を、見誤ったことがそなたの敗因じゃ――紅花一閃・睡蓮ッ!」
「ぬぅ……!! 成長、したようだな!!」
一閃の突きで懐に潜り、絡みつき、最後にはその滅亡を導くが如く――
少女の木刀が、確かに大烏の急所たる心臓部へと、当てられていた。
少女の、勝ちだった。
「なんじゃ、雅羅。そなたはもう少し強いのではなかったか?」
「世界に適応できておらぬのも、一つ考え物じゃなぁ……お主以外には、そう易々と負けぬとは思うが……力を取り戻すのも、一つ危急の目標とせねば」
「ふん、自己分析、と言うやつか。言い訳にも聞こえるが?」
「言い訳をするつもりなどありはしない。お主が強いことは儂も認めておる。ただ、まぁ、力を確かに取り戻した儂には、まだ遠く及ばぬ気がするな」
「なっ、負けたくせにまだ言うか!!」
先程確かに少女に負けたはずだが、大烏は体をもとの大きさに縮めながら、負け惜しみを垂れる。しかし、少女も一言文句を叫ぶだけで、それ以上は言わない。確かに、今の少女の実力では本領を発揮した『雅羅』に勝てるとは思えなかったから。
まだ、まだまだ足りない。力量も戦闘のセンスも、何もかもが足りていない。適当な怪物を屠るのであれば、十分すぎる力量なのだろうが、目の前でどこなのかも分からない肩を解している烏には、未だ勝てないのだ。
「――そうだ、手合わせも終わったところで、話さねばならぬな」
「む? 本題か?」
ふと、静かに草原に仰向けに寝転がり星を見上げていた少女に、烏は声をかける。
烏は居佇まいを正すと、真っ直ぐな瞳を少女に向けた。その鋭く真剣な視線に、少女も反射的に起き上がり、姿勢を正す。
「王城勤めの結界術師が雲隠れした件、聞いておろうな?」
丁度今日、その話を王子に聞いたばかりだった。
絶対服従の印を以て緘口令を敷かれたばかりだ。しかし、目の前の烏も知っているのであれば、と少女は烏の問いに対して確かに頷いた。
「お主は、どちらを取る? ――平穏か、怪物か」
多くの人間が、前者と即答するであろう、その質問に少女は――
「私なら、怪物を取る」
確かに、即答した。
烏の瞳が、それでこそだ、と言わんばかりに爛々と輝く。
「ならば、儂の話を聞け――知恵を、授けてやろう」
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