ハイルブロンの怪物-6
モスクワのソ連科学アカデミーに送られたクレアは再び地獄の日々を送っていた。
何度も体を傷つけられ、データを取られていく。
その繰り返しの中、クレアは激痛に耐えていた。
悲鳴をあげることもなくただされるがまま実験の材料にされるクレアが、唯一発する言葉が、
「殺して…。」
であった。
そんな絶望の日々を3か月送ったある日。
監禁房にひとりの男が忍び込んできた。
「誰かは知らないけど犯そうなんて考えないことね。
あなた死んじゃうわよ?」
クレアはその男に忠告する。
窓ひとつない暗闇の監禁房に低い声がクレアに問いかける。
「選べ。このまま死すことも許されない地獄で苦しむか。
死を受け入れてそれに従ずるか?」
言葉の真意がわからないクレアは、
「結局あなたは私を殺しに来たの?
それとも助けてくれるの?」
と、返答する。
「その両方だ。ここにいても、外に出てもお前の死の呪縛は解かれぬ。
ドイツでお前を待っている人間がいる。
同じ地獄なら自分のために苦しんだ方が少しは救われる。」
暗闇の中で男の手が自分に伸びてくるのがわかった。
「そういうことね。あなたの言葉の訛りが気になっていたの。
もしかしてドイツのスパイかしら?
ようするに私のこの身体を使って悪さをしたい人がいるってことね。」
クレアの推測にも無言で手を差し出し続ける男。
「その手を握ったら私をここから出してくれるのね?
そして、新しい飼い主の元で悪い事…たぶん人殺しをさせられる。
確かにどちらも地獄ね。
ただ、ここで体中を切り刻まれ内臓まで弄ばれながら一生を送るよりは、まだ望みがありそうだわ。」
クレアは男の手を握り返した。
男がその手を引いて解除された分厚い鉄扉に向かう。
しかしそれを拒否するかのようにクレアは動かない。
「教えてほしいの、シュミットさん。」
クレアの言葉に男は少し体を震わせた。
「あなた実験で私の右腕を切り落とした研究者でしょ。
その独特な訛りに聞き覚えがあったの。
たしかシュミットって呼ばれてたわよね?
まあ、本当の名前じゃないんでしょうけど。」
クレアが静かに言う。
「私の体はどうなってしまったの?
あなたは知っているんでしょう?」
男はクレアの言葉に返答をしない。
「答えてくれなきゃ一緒に行かない。」
その一言にクレアの強い意志が見えた。
「きみの体は常識ではかんがえられない放射能の数値が計測された。
普通の人間なら生きてはいけない被爆量だ。
だがきみの体はそれを制御している。
【子宮】が小さく強力な原子炉の役割をなしているのだ。
そして血液や細胞が放射能によって、遺伝子レベルでの再生能力をきみに与えた。
これで満足か?」
男が一気に話し、着地地点をクレアに託す。
「私の体がどんなに切り刻まれても元に戻るのは被爆のせいってことなのね?」
「そうだ。キミは世界で初めて誕生した核の体。
そう、【変異体】なのだ。」
男はそういうと、薄いワンピース一枚のクレアに自分の上着を羽織らした。
「核の体…。変異体…。」
クレアが呟く。
「さあ行こう。ジェフリー・エプスタインがきみを待っている。」
男は再びクレアの手を引き扉を開けた。
男の誘導で扉を出たクロエはその光景に驚いた。
薄暗い通路に横たわる人間が数体。
自分を迎えに来た男が見事な退路確保をしていたと感じる。
言い換えるなら自分を連れ去るためにこの研究所に入り込み、この機会を伺っていたのだろう。
クレアはこの男はもちろんジェフリー・エプスタインという人間にも興味がわいた。
そこまでして自分を欲しがる人間たちに…。
そして自分の体に大きな組織が興味をもっていることを確信する。
「離れるな。ここからが難問だ。」
男の言葉にクレアはもう一度気持ちを引き締める。
そう、自分が逃亡者である事を自覚しなくてはならないのだ。
ソ連というとてつもなく大きな【組織】から逃げているのだと。
研究所の出口で男の仲間らしき集団が銃を乱射している。
「さあ、行くぞ。」
男に手を引かれ速足でジープに乗り込み、男の仲間の援護で研究所を抜けた。
「おい、カール。それが例の変異体か?」
運転席の男がハンドルを右に左へと大きく動かしながら言う。
「クレア様と呼べ。エプスタイン氏から最高のゲストととして迎えるように言われているだろう。」
男が強い口調で運転手に促す。
クレアは銃声が鳴りやまぬこの状況の中で、ある確信に至った。
自分はこれから【エプスタイン】という男に飼われ養われ利用されると…。
だが気分は晴れやかだった。
あの研究所から解放されたのだ。
「あなたの名前…カールっていうのね。」
ふっと体から力が抜けたクレアは無意識にカールに寄りかかり眠りに落ちた。




