緋眼の末裔-5
2050年7/25
出発当日。
霞は重苦しい空気の中、荷物をまとめていた。
どこに行くのか当日までわからないから、準備も悩む。
空気を重くしている張本人である父の雷蔵は自室にこもり顔を出さない。
スーツケースに衣類を詰めていく作業に母の雫が口を出す。
「まさかその下着持っていくの?もっとかわいいのあるでしょ?」
不意をつかれた霞が、
「べ、べつにいいでしょ!!動きやすくて気に入ってるの!!」
と顔を赤らめて反論する。
しかし雫はスーツケースの荷物を見てさらに言う。
「それにそんなに荷物は必要ないんじゃないの?
現地に着いて二日で戦闘開始でしょ?
戦闘服もあっちで用意してくれるわけだし。
1日分の私服と帰りの服ぐらいでいいんじゃない?
八雲なんてリュック一個だけ背負って行ったわよ。」
そんな兄は帰りの服が必要なくなっていた。
現地には自分のスマートフォンやノートパソコンはもちろん、タブレットなどの通信可能機器の持ち込みは一切できない。
現地で必要な物はすべてアンドロメダ側が用意する。
突然、雫は、
「ルビーちゃんも出されるなんてひどい話ね…。」
寂しく言う。この言葉に、
「うん…。」
と霞は小さく呟く。
「ルビーちゃん本当にいい子よね。お母さんも大好きよ。
二人とも生き残る裏ワザはないのかしら?」
娘の帰還を信じて止まない母の絶望的な希望を聞きながら、霞はその絶望的な状況を想像してみる。
もし戦場でルビーと対峙してしまった場合。
(斬れない…。)
しかし、
(ルビーも撃たない…。)
と確信する。
「カスミは本当にルビーちゃんのこと大好きだもんねぇ。
ルビーちゃんといるときのカスミったら顔が別人に見えるぐらい優しい表情になるの。
だってルビーちゃんが遊びに来た時のカスミの笑顔ったらかわいかったもん。
いつもは伏し目がちでジーっと睨むような目が、あんなに大きくまんまると開いて、そしてグシュっと閉じて笑うの。幸せそうな顔してさ。
お母さん、ちょっとルビーちゃんに嫉妬しちゃったわ。」
母の言葉を聞いて、霞は心が軽くなったように感じた。
それは母の絶望的な希望。
これは絶対に自分は生き残ることを前提にした考え方。
間違いなく二人は殺し合えない。ならば違う戦い方が必要。
もちろん今の霞には二人とも生き残るなど想像もつかなければ、なにも案は浮かばない。
ましてやクローレへの復讐も果たさなければならない。
世界最強の女に勝つ可能性は低い。
だから刺し違えてもという気持ちでいたが、それでは絶望的な希望は叶わない。
「現地に着いたら、まずルビーを探す。そして二人で考える。」
霞の小声でありながら決意の見える姿に、
「うん。いいと思うよ。」
雫は笑顔で答え優しく頬を撫でた。
母娘だけの時間が流れる。
それは再会を約束した死出の旅。
霞はこみ上げる熱いものをグッとこらえる。
そんな娘の気持ちを察したかのように雫は明るく喋りだす。
「さて!!
そろそろお母さんが今日のために買ってきたお洒落な洋服にお着換えしましょう!
ほら、カスミってさぁ、いつも機能性を重視してるから、なんかダボついた印象なのよね。あ、もちろん体がガッチリしてるし、童顔なのにオッパイが大きいからワザと大きめのサイズを選んでいるのはお母さん知ってる!
でも、今日ぐらいはとびきりお洒落で大人の雰囲気を強調したエレガントなカスミをお母さんがコーディネートしたのよ!さ、着て着て!!」
母親から好き勝手言われムッとした表情を見せた霞だが、雫の勢いには勝てずしぶしぶ着替える。
不服そうな霞の表情などお構いなしに、
「うん!やっぱりカワイイ!凄い似合ってる!
泣き虫のコミュ障には見えないわ!!」
してやったりの顔でシレっと悪口を言う雫の姿に、霞は今すぐこの服を脱ぎ捨ててしまおうかとの思考になるが、
「お母さんには、これぐらいしかできないから…。」
この雫の言葉で一気に霞の憤りは冷め感謝に変わる。
「ありがとう、お母さん。」
この日のために一生懸命選んで用意してくれた母に素直な気持ちで礼が言えた。
「そろそろアンドロメダのお迎えが来る時間ね。」
雫が寂しそうに言う。
コクンと頷いた霞は、荷物を持って玄関に向かう。
父の部屋の前で一度立ち止まり、
「お父さん、行ってくるね。」
と声をかける。
雷蔵は姿は見せず部屋の扉の向こうから、
「ああ、しっかりな…。」
と震えた声で返事をした。
母が用意してくれた皮のブーツを履きフーっと一呼吸する。
「ちょっと待って。」
と雫が首の結びを整えてくれる。
「お母さんはね、カスミがどんな恋愛しててもかまわない。
もちろん孫の顔がみたいなんて面倒くさいこと言わないわ。
ただカスミが帰ってきてくれればいいの。
お母さんは待ってるわよ。ここでカスミの帰りを…。」
気丈に振舞う母の姿に霞は我慢ができず涙が溢れる。
「行ってきます…。」
声を絞り出して別れを告げる。
雫は優しく頷きながら、霞から手を離した。
玄関の扉を開け、少し戸惑い気味に一歩踏み出しそれを締める。
その直後、扉の向こうから絶叫のような母の泣き声が響き渡る。
きっと五年前もこうして兄を送り出したのだろう。
霞は、母の荒ぶる泣き声を聞いていると、その心にある悲しみや悔しさを感じて涙が止まらない。
この家業に、この一族に、緋眼に生まれたがための宿命。
もう一度、フーっと呼吸を整える。
霞はまっすぐ前を向き歩みを始めた。