約束と好奇心
高校の文芸誌に投稿した作品でした。
「学校の七不思議」をお題にして「図書室」を担当しました。
書き手それぞれの話をリンクさせようとしましたが、企画倒れになりました。
昔から、図書室には幽霊が出ると言われていた。曰く、本を選んでいる時に後ろから気配がしたけれど、振り返っても誰も居なかった。曰く、共に同じ本について熱く語り合ったはずなのに、どのクラスにも居なかった。曰く、難しい宿題に手を貸してくれたけれど卒業式に居なかった。
多くの目撃例が挙がっていながら、誰ひとりとして正体を見つけ出したものはいない。霧宮中学校に入学してきて、一番に教えられる学校の七不思議の一つだ。在校生から新入生へ。先輩から後輩へ。細々と語り継がれている。図書室の怪の話。
単に、「出る」というだけで、出会ったら死ぬとか、取って食らうだとか、引きずりこまれて帰れなくなってしまうといったことはない、らしい。ただ、人ではない何かが、図書室には居るのだという。
葉菜は噂の現場である図書室で考え込んでいた。七不思議の話があったから幽霊が出るようになったのか、幽霊が出たから噂になって七不思議になったのか。ニワトリが先か、卵が先かと同じようなパラドックスに悩まされていた。テスト期間でもない放課後の図書室は、まばらに人がいるだけで静寂を保っている。葉菜は入口から左側の、本棚で死角になる椅子二つに、友逹の早紀と向かい合って座っていた。
葉菜には目を向けず、長い黒髪をもったりと、もてあまし気味にかき上げながら、早紀は活字を追っている。それを葉菜は眺めながら、考えても答えにはたどり着けない問いにうなり声をあげて、焦れたように上履きをぱたぱたと鳴らした。音に気がついた早紀は手持無沙汰になっている葉菜に目をやり、苦笑いを浮かべた。開いていた本に丁寧にしおりを挟みながらひそめた声で言った。
「葉菜ちゃん、いつも言っているけれど、図書室では静かにね」
「分かってるよ、だけどさ、『僕とじいじとマジカルタワー』の六巻がどうしても気になるんだよー」
「ああ、確かにあれ面白いよね。あの本なら葉菜ちゃんの隣のクラスの男の子が借りていったよ」
「えー! それってどのくらい前?」
「ざっと三週間と二日」
「貸出期間をとっくに過ぎてるよー!!」
「しかも、適当に表紙で選んでいるからろくに読んでいなくて、三ページまでで止まったままみたいだよ」
「それってなめてるのかな!? もう冒涜レベルだよね!? 直接会って返却してもらうしかないね!!」
「そんなにいきり立たないで。まあ、そろそろ返却されてくる頃だから待っていなって」
鼻息荒く語気を強め、図書室での不文律を破り、辺りの視線を集めた葉菜をなだめながら、代わりじゃないけど、と早紀は一冊の本を差し出した。少し古い装丁に、金の文字が所々うすれてしまっている。
「私のお勧めの本を貸すからさ」
「やったー! ありがとう」
パッと顔を輝かせた葉菜は、笑顔で本を渡してくる早紀に丁寧に礼を言い、カバンの中に詰めた。下校を告げる鐘が鳴り、司書の先生の間延びした声とともに電気が消され、帰宅の途についた。
* * *
日が昇りきった昼食時、クラスメイトの話し声をバックに、葉菜はクラスの友人と話をしていた。
「――それにしても、葉菜は放課後のほとんどを図書室につぎ込んでいるよね。そんなに“図書室の怪”が気になるの?」
「美里のそのつぎ込んでいるって言い方はなんかヤダな。貢いでいるみたいでさー。もっとマイルドに、通っているとか」
クラスの友人、美里は毛程もなびかずに、変わりないでしょ、と返した。
「そうかな。気になるっていうか、一年の時に先輩から七不思議の話を聞いてさ、どうせなら会ってみたいなーと思って、ちょくちょく寄ってたんだけど、なかなか出合えないから」
「葉菜のことだからどうせ、ムキになっているんでしょ」
こともなげに、はっきりと指された図星に、黄色い卵焼きをつまもうとした箸が止まった。
「別にそんなんじゃなくて、ただ図書室に行くのが楽しいだけだよ」
「それだったらいいけどね。でも、午後の美術の時間でさっさと課題を終わらせないと、放課後に居残りするようになるよ。本当に」
「大丈夫、大丈夫、なんとかなるって」
冷えた視線を送る美里にかまわず、ひらひらと手をひらめかせて葉菜は笑った。物言いたげな視線を向けていたが、美里は葉菜と同時に、ごちそうさま、と手を合わせた。
茜色に染まった廊下を、上履きの間の抜けた音を響かせながら歩く。美里の忠告があったにも関わらず、美術の授業の課題作成が終わらせきれなくて、遅くまで居残ってしまった。今日はもう図書室に寄らず、そのまま家に帰ってしまおうと思い、本ではち切れんばかりに膨れ上がったカバンを背負いなおした。読んでみたくて予約を申し込んだ本は、誰か知らない人が借りたままなので、まだ届かない。早紀から勧められた本があったのを思い出し、家路につくため図書室に背を向けた。
* * *
朝日があふれる教室で、レースのカーテンが大きくはためいた。
「おはよう葉菜、鐘が鳴る二分前だよ」
「あと気持もうちょっとだけ、寝られたかな」
挨拶もほっぽっておいて、始業前の騒がしい教室によろよろと入ってきた葉菜に美里はため息を吐いた。市外から通ってきて早くに登校している美里とは違い、徒歩通学の葉菜は遅刻ギリギリに登校してくる。重力に逆らって、はねている髪が家を出る直前まで寝ていたことを示している。
「また、遅くまで本を読んでいたんでしょ。夜更かしばっかりしていると背伸びなくなるよ。本当に」
「美里よりは高いからいいもん。だって読んでいるうちに止まらなくってさー」
「まあ、葉菜がいいならそれでいいけれど、いつか後悔するようになるよ」
大きなあくびをしながら言った葉菜の言葉に、美里は細い目をますます細めさせて、呆れたようにため息をついた。が
口を押さえた指の先を見てぎょっとしたように言った。
「葉菜、指に血が付いているよ」
右手の人差し指から血が流れているのを指摘すると、深夜まで早紀から借りた本を読んでいるうちに、本のページで指を切ったらしかった。あわてる様子もなく葉菜は絆創膏の有無を美里に聞き、左手だけでくるりと器用に貼ってみせた。
「近頃の紙は切れ味が鋭いですなー」
「痛点が一番多い指を切っているのに、指摘されるまで気付かないなんて……葉菜はもうちょっと、自分のことにも周りのことにも気をつけたほうがいいと思うよ。本当に」
血の付いたティッシュをゴミ箱に投げ捨ててから、先よりも大きなため息をついて見せ、美里は話を変えた。
「そういえば、昨日は“図書室の怪”が出たらしいよ。葉菜は見た?」
「えー!? 昨日は私、美術の居残りで遅くなったせいで、図書室に行っていないや」
「だから言ったのに。自業自得だね。もし図書室に居たなら、怪に会えたかもね。葉菜はいつも大体図書室にいるのに、どうして怪に会ったことがないの?」
「それが分かれば苦労しないよ……私は一回会ってみたいだけなんだけどなー」
椅子に座ったまま、葉菜は後ろに大きく伸びをした。それに目をやったまま、美里は考え込み顎に手をやった。
「私が葉菜の話を聞いている限りだと、葉菜が図書室に行かなかった日と、怪が出る日が合っているように思えるんだけどな」
「わざわざ私が図書室に行かないのを見計らったように、現れているってことだね」
「そうじゃない? まあ、がんばってみて。もし出会えたら、どんなだったか私にも教えてよ」
期待していないけどね。と美里は試すような笑顔を浮かべた。
今日こそは、と意気込み、放課後の廊下を競歩の勢いで歩いていると、人にぶつかった。
「あ、ほんとにごめん」
三歩歩いた時には、人とぶつかったことしか覚えていなかった。
司書の先生がのんびりと船をこいでいるカウンターの前を通って、貸し切り状態の図書室の扉を開けた。いつもの席に早紀がいるのを確認して駆け寄って行った。はしたないと止める早紀の言葉を聞き流して、葉菜は机の上に腰かけた。
「私これでもけっこう図書室に通っているほうだと思うんだよね」
いつになく真剣な表情を作っている葉菜に、ちらと視線をやり、開いていた本にしおりを挟み本の表紙を音を出さずに閉じた。
「確かに、私が見ている限りは、葉菜ちゃんが断トツでよく来ていると思うよ」
「それなのにだよ。どうして私は “図書室の怪”にあわないんだと思う?」
口をとがらせて聞いてきた葉菜の問いに、早紀はちょっと考えたように微笑んだ。そしてゆっくりと口を開いた。
「葉菜ちゃんが図書室に来る時に、その“図書室の怪”にいつも会っているからじゃないかな」
「うん? いつも会っている?」
「そう、いつも会っているから気付かないのかもしれないよ」
「いつも会っている人って言ったら、司書の先生とか?」
首を傾げながら聞いた葉菜の言葉に、二人しかいない図書室に沈黙が響いた。
「……葉菜ちゃんは猫みたいに好奇心旺盛だけど、たまに犬みたいに鈍いよね」
たっぷりと間をとって言った早紀の言葉を聞いても、なお指を折って数えている葉菜にしびれを切らせて口を開いた。
「葉菜ちゃんの目の前にいるじゃないの。ずっと前からさ」
ぶらぶらと遊ばせていた葉菜の足が止まった。
止まりかけのオルゴールのようにぎこちなく早紀の方を向いて、早紀の目をのぞきこんだまま、切れ切れに言葉を紡いだ。
「もしかして、……早紀が図書室の怪なの」
「いつ気づくかと思っていたら、葉菜ちゃんったら全然気づかないんだもの」
葉菜に目線を合わせず、くすくすと笑う早紀を見て、葉菜はもう一度、今まで埋めていた違和感を数え直した。
そう言われてみれば、早紀が図書室に入ってくるのを見たことがない。いつも葉菜が来るのより先に図書室に来て本を読んでいて、葉菜が来たのを確認すると、本から顔を上げて微笑するのだ。どこのクラスに属しているのかも、図書室に行けば会えるからいいや、と問題視していなかったが、よくよく考えてみれば、妙な点ばかりだというのに気がついた。
答えを告げられて、次々と当てはまっていくピースに戸惑いつつも、葉菜は言われた言葉を簡単には信じ切れず、早紀を凝視し続け、早紀はひそめた声で笑い続ける。おかしな空気を割いたのは、最終下校を告げる鐘の音だった。音を立てながら戸締りをし始めた司書の先生が声をかける。
葉菜ちゃ―ん、そろそろ閉めるから、帰る支度なさーい。司書の先生の間延びした声を聞いて、葉菜はやっと早紀の言うことを信じた。先生に早紀は認識されていない。隣に座っている早紀を無視して、明らかに葉菜だけに呼びかけをしている。のろのろと手近の窓を閉めながら、早紀の言葉の意味を飲み込んでいった。
二人を照らす夕日は葉菜の影だけを黒く映していた。
「どうして私には早紀が怪だって事を教えてくれたの?」
「葉菜ちゃんが今までで三本指に入る位面白かったからね」
左手で指を三本示しながら、なんてことはないように笑っている早紀を見て、葉菜もようやく笑顔を見せた。図書室の怪の話には続きがあって、「一度“図書室の怪”に会ったものは、二度は会えない」その法則が有効ならば、今まで会っていた早紀を怪と認めてしまったらもう会えなくなってしまう、のだろうか。ミーハーとまでは言わないけれど、好奇心が先走って騒いでいた自覚はある。それを見かねて、わざわざ本人がばらしてくれたのだと思う。でも、もう図書室で早紀と一緒に話すことができなくなってしまうのかと思うと、自分の言ってきたことをふり返ってみた。……つまり、葉菜は“図書室の怪”本人である早紀を目の前にして、会ってみたいと騒いでいた訳で、それを知っていながらもいつ気づくかと待っていてくれていた早紀をずーっと待たせていたのか。ああ、もう本当に。
「穴があったら入りたい!!」
しばらく固まったまま顔をしかめたかと思うと、みるみるうちに真っ赤になり、顔を手のひらで覆って叫び出した葉菜を早紀は心配して覗きこんだ。目を潤ませながら、「早紀とはもう会えないの?」と聞いてきた葉菜に、鳩が豆鉄砲を食ったように目を丸くして言った。
「まさか、そんなことを気にしていたの? 根も葉もない噂だよ?」
首を傾げてあっけらかんと告げた早紀の表情は、眉を八の字にして、逆に曇って行った。
「葉菜ちゃんと私はトモダチだよね? トモダチだと思っていたからこそ、私からばらしたんだけど……違ったかな」
目元に影を作り、うつむいたままの早紀は、これまで一緒に図書室でたくさんの話をしていた友逹に違いはなかった。目を見開いた葉菜は大輪の向日葵のように笑いかけた。
「ごめん。私がどうかしてたよ。早紀が“図書室の怪”って言われていても、早紀に変わりはないよね」
勢いよく顔を上げた早紀は一言だけありがとう、と言い消えそうな笑みを浮かべた。しゃべりながら校門前まで来て、早紀と並ぶ葉菜の長い影だけが夕日に伸びていた。別れ際、葉菜が口を開く。
「早紀から借りていた本だけどさ、まだ読み終わっていないんだ。もうちょっと借りたままでいい?」
「いいよ、もちろん。……また明日、来てくれる?」
「もちろん!! また明日ね」
明るく手を振って去って行った葉菜を早紀はその場で見送り、茜色の夕日の中に静かに消えていった。
読んでいただきありがとうございました。
この話の葉菜は中学生ですが、成長後の葉菜は他の話にも登場します。