50.魔王の消失・龍王の愉悦
---魔王視点---
「久しいのぅ、魔族の長よ」
割れた窓の外から室内で繰り広げられている情事を見物していた我の背後から、声をかけてきた不届き者がいる。
振り返らずとも分かる。我を【魔王】ではなく「魔族の長」と呼ぶ輩は1人────いや、1匹しか思い浮かばん。
「……嘲笑いにでも来たのか、【龍王】よ」
「いやいや、貴様などは用事のついでに声をかけてやっただけにすぎんよ」
数百年前から変わらぬ上から目線に腹立たしさを感じる。
しかし、もはや実体を持たぬ魂だけの存在となった我に出来る事は何もない。
そう。
今ベッドの上で聖女を組み敷き腰を打ち付けている筋肉モリモリマッチョマンの変態。
あの男に蹴り飛ばされた我は、ジェームズの身体から弾き出され、フワフワと空中を漂うしか能のない霊体となってしまっていた。
ちなみにジェームズの身体そのものは無事だ。
多少の怪我はあるかもしれんが、生命活動に支障が出ることはないだろう。
つまりあの男────リュートと言ったか────は、我【魔王】の魂のみに干渉する攻撃を繰り出してきたわけで。
そんな芸当が出来るヒト、いや神器など、我の知る限りでは1つしかない。
「アレが当代の『勇者』か」
「如何にも。《聖剣》の力をその身に宿す歴代最強のヒトの子よ」
忌々しいヒト族の神とやらが創り出した三種の神器。
その力を取り込み強さを得るなど、ヒト族の荒唐無稽さには呆れを通り越して笑いが漏れる。
そもそも『聖女』が《錫杖》の力を宿していた時点で気付くべきであった。
ヒト族は、数百年の時をただ安穏と過ごしていた訳ではなかった。
次の【厄災】に備える為、粛々と準備を進めていたのだな。
それに気付かず、目の前にぶら下げられた極上の餌に飛びついた我はなんと愚かだったか。
「………………解せんな。なぜ【龍王】ともあろう者が、『勇者』とはいえヒトの下で使用人まがいのお遊びに興じているのか」
その気になれば単独で世界を滅ぼすことが出来る。
【龍王】とは、世界で最強の生命体であったはずだ。
いくら『勇者』とはいえ、それに付き従うなど【龍王】らしからぬ。
「……貴様に言う必要はない」
それもそうか。
ため息をつき、我を打倒したヒトの英雄が極上のメスを堪能する様を見る。
本来であれば我が『聖女』をいただくはずであったというのに。
まったくもって、うらやまけしからん。
「しかし、いくらドラゴン退治の得意な騎士団とはいえど【龍王】相手には形無しであったな」
相手が悪かった。そう言わざるを得ないだろう。
ジェームズの父親から拝借した騎士団を無駄にしたことを少しばかり悔いていると、【龍王】が鼻で笑った。
「あのような脆弱なヒト族たちが、我が同胞を殺すことが出来るわけなかろう?」
「………………なんだと?」
それはおかしい。
たしかに王国騎士団はドラゴン退治の実績を持っていたし、王族に対する献上品も毎年のようにあったはずだ。
「我が同胞を蹂躙できるヒトなど、あの『勇者』とその曾祖父くらいなものだ」
どういうことだ?
ドラゴン退治が可能なのは『勇者』の血族。それは分かる。
しかし実際に騎士団がドラゴン退治できるほどの実力がないとするならば、あの山ほどの献上品の記録はいったいどこから────
「────まさか」
「『勇者』の手柄を横領するなど、不届きにも程がある。そうは思わんか?」
騎士団の立ち上げた名誉が詐称であった。そんな馬鹿なことがあってたまるか。
……いや、実際にドラゴン族の首領が断言しているのだ。疑う余地はあるまい。
しかし、そうなると余計に分からぬことがある。
「ではなぜ『勇者』に手を貸す? 同胞の仇だぞ? 憎くはないのか?」
【龍王】は、何より同胞を害されることを嫌っていたはず。
仮にあのエロ猿『勇者』がドラゴンを殺して回っているとするならば、【龍王】が付き従う理由がますます分からぬ。
「アレらはすべて、吾輩の後釜を狙う愚か者たちであるからな」
つまり『勇者』に倒されたドラゴンたちはすべて次代の【龍王】の座を狙って襲撃してくる奴らであったと?
なるほど、身の程知らずにも喧嘩を売りに来たのであれば返り討ちにされても文句は言えまい。
「ヒト族に屈した吾輩はドラゴン族の恥晒し、らしい」
「そのヒトの正体を知らずに、随分と好き勝手を言う輩が多いのだな」
【魔王】をたった一撃で沈める生物を、果たしてただのヒトと言っていいものだろうか。
「吾輩に付き従い、大人しく平穏に過ごしている同胞はすべて大山脈にいる。わざわざこの南方まで遠征しに来る愚か者どもはどちらにしろ、世界の安寧の為に処分せねばならんからな」
つまり我は与えられた戦力と、敵との戦力差そのものを正確に把握できないまま【龍王】と『勇者』なんていう天敵に挑まなければならなかったのだな。
いや、勝てるわけなくない? これなんて無理ゲー?
「さて、もう思い残すことはないか?」
【龍王】が、ヒトの姿から変化する。
雄々しく気高く美しい。
数百年前からあらゆる生態系の頂点に君臨する。
世界最強のドラゴンが、我の魂を喰らおうと大口を開ける。
「………………未練しか残っておらんわ」
『勇者』に討伐され、消滅する寸前で唱えた転生の魔法。
数百年の時を経て蘇り、今度こそ悲願の世界征服をと思った瞬間の敗北。
転生の魔法を使うだけの魔力はなく、このまま【龍王】に喰われてしまえばもう二度と復活することは叶わないであろう。
産まれた時から諦め悪く最後まで足掻き続けてきた我には、この現状を打開する手がもう残っていないことなど分かっている。
だから我は、最後の最後で諦めることに決めた。
「一思いに頼む」
「うむ。任せるがいい」
「さらばだ。我が宿敵よ」
その一言を最後に、我の意識は永遠の暗闇の中へと沈んでいった。
---龍王視点---
「うむ。不味いな」
魔族の魂を喰らったのは何時ぶりだったか。
自信の魔力を底上げする為に効率が良いという理由で魔族狩りをしていた頃から数えて千年ぶりくらいか。
【龍王】となる以前の武者修行の一環だったのだが、それが原因で【魔王】と対立することとなった。
「両親を食った仇敵め!」と怨嗟の眼差しで睨まれたことが懐かしい。
魔族の小童ごときに何が出来ると放っておいたのだが、結果的に我に喰われるとは、なんともツキがない魔族であったな。
まあ、そんな吾輩も数百年前には【禁忌】によって喰われた愚者だったのだが。
いま思い出しても腹立たしい。
最強の生物だと驕っていた訳ではない。ただ自負と実績・実力があった。
世界中に畏怖を轟かせる吾輩に対して食欲のみで襲いかかってくる化け物がいるとは思いもしなかったのだ。
【禁忌】に喰われた吾輩は、勇者に倒された【魔王】と同じように転生の魔法を使った。
この転生の魔法は、魔導を極めた者のみが使える秘術であり、当時でも吾輩と【魔王】しか使うことが出来ない代物であった。
ましてや魔法が淘汰された現代では、誰も使える者など存在しないであろうな。
そうして転生した吾輩は、数百年前の屈辱を晴らすべく【禁忌】と『勇者』の子孫に襲いかかったのだ。
無論、油断は一切しなかった。
転生前と同じかそれ以上に力と魔力を蓄え、満を持して挑んだ。
しかし何たる屈辱か、吾輩は再び敗北を喫した。
リュート坊っちゃまの曾祖父である初代男爵に辛酸を嘗めさせられた。
またここで死ぬのかと覚悟を決めた時、言われたのだ。
「お前、そんだけ強いなら俺の子どもたちを守ってくれよ」
自分を殺そうとしてきた相手に護衛を頼むなど、正気の沙汰ではない。
断ろうかと思ったが、再び死んでまた数百年を無為にするよりはマシかと提案を飲んだ。
自分を打ち負かした相手を「ご主人様」と呼び、その奥方たちの世話をした。
《聖剣》を名乗る不届き者がご主人様にすり寄ってきた時は我がブレスで焼き払ってやろうかともした。
ご主人様が第4の奥方にすると決めたので止めたが。
1~3の奥方たちがご主人様を連れて大山脈を超える時も手助けをした。
ご主人様と《聖剣》の間に産まれた子どもの面倒も見た。
取るに足らないドラゴン1体を倒すのがやっとの未熟者だった。
そのさらに子どもの世話もした。
剣もまともに振れない、どこにでもいるただの凡夫だった。
代を重ねるごとに弱くなる勇者と【禁忌】の子孫に一抹の不安を覚えた。
こんなしょうもない者たちをこれからも守るなんて耐えられなかった。
だったらいっそ、吾輩が喰ってやろうかとも考えた。
次の代も力が弱ければ、本当にそうしてやろうと決意した。
そして、リュートお坊っちゃまが産まれた。
衝撃だった。
吾輩を倒した曾祖父をはるかに凌駕する才覚に恐怖と感動したのを覚えている。
すべてを超越する存在の誕生と成長に、自分が真に仕えるべき主君はこの人であると直感した。
リュートお坊っちゃまとその奥方たち。
さらにその子孫末裔に至るまで、守り付き従おう。
吾輩はいま、千年を超える龍生の中で最も充実した日々を過ごしている。
忠誠を誓った主君が愛を育み、新たな生命が芽吹くのを待っている。
その先に刻まれるであろう偉業を、栄光を、祝福を夢見ている。
だから【魔王】よ、我が好敵手よ。
安心して逝くと良い。
未来はきっと、明るいのだから。
たぶんあと10話以内で終わります。
R-18版を外部サイトのハーメルン様で書きました。
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