4.チョコが苦い
公爵が結婚する以前に遊び歩いていた頃、娼館で引っかけた女性との夜遊びの末に出来た庶子。
それが、レイア公爵令嬢だ。
公爵と奥方、そしてレイアの母親の間にどんな話し合いが持たれたのか。俺には分からない。
ただ、現在学院に通っていることからも分かるように、レイアは公爵家の一員として正式に認知されている貴族令嬢の1人だ。
しかし、王国内で1.2を争う大貴族である公爵家当主のスキャンダルは当時、社交界を揺るがす大事件だったようで。
「火のない所に煙は立たぬとは言うが、あれは煙どころか山火事のようだった」とは、俺の父親の言葉だ。
さらに公爵と結婚していたのが、対立派閥である侯爵家の令嬢だったことも騒動を大きくした要因だった。
王国内を二分する巨大派閥が、新国王陛下の即位に伴って和解する象徴としての婚姻。
その両家に新たに生まれた絆を裏切るような庶子の露見は、あわや国内の内乱勃発かという寸前までいったそうだ。
幸いにも武力ではなく話し合いによって解決した騒動だったが、その原因となったレイアに対する貴族社会の風当たりは、とても強く冷たいものとなってしまった。
このままではまともな社交も出来ず、どこにも嫁がせることが出来なくなってしまう。
娘の未来を危惧した公爵は、ほとぼりが冷めるまでレイアを隠してしまうことにした。
王都から遠く離れていて何処の派閥にも属していない、同年代の子どもがいて、金さえ積めば簡単に尻尾を振る。そんな貧乏貴族に一時、レイアを預けることにした。
つまり我が家ですコンチクショウ。
大喜びで話に飛びついた両親のアンポンタン。
とはいえ、おかげさまで火の車だった家計は平均的な貴族の平均程度には回復したし、俺は同い年の可愛い幼馴染と遊びまくる楽しい幼少期を過ごすことが出来た。
おかげさまで、レイアが公爵家に戻る時には俺と離れたくないとギャン泣きするくらいには仲良くなっていた。
もちろん俺も泣いた。
その時の様子を見た公爵は、俺とレイアを婚約させることに決めたらしい。
正妻との間に男子が産まれていて、公爵家を継ぐ必要もなくなっていたレイアは他所の家に嫁ぐことが定めとなっていたんだが、その婚約者選びが大層難航していたらしい。
まあつまり、レイアと公爵家の悪評は多少マシにはなったものの、完全になくなるとまではいかなかったようで。
『人の噂も七十五日』とはいうものの、公爵のやらかしはあまりに大きすぎたと。
公爵家はその影響力をグッと落としていたし、平民――それも娼婦――の血が混ざった子どもを受け入れてくれるような貴族はどこにもいなかった。
我が家?
さらなる資金援助に大喜びでしたよ、ええ。
息子の将来を何だと思ってるんだ。
俺?
そりゃあもう諸手を挙げての大賛成ですよ。
唯一の友だちで可愛い女の子が嫁になるって言われて喜ばない男はいない。
将来は結婚しようね、なんて子どもらしい約束が実現したもんだからレイアと手を取ってキャッキャと喜んだもんだ。
あの頃は良かった……。
それが一変したのは、俺とレイアが貴族学園に入学してからだ。
まあ、さっきまでのやり取りを見てもらえば分かるとは思うんだが。
王太子殿下がレイアに一目惚れしたのだ。
だよねー! レイア可愛いよねー!
守ってあげたくなっちゃうっていうか? ほんわかした雰囲気がいいよね!
桃色の髪の毛を腰辺りまで伸ばしちゃってもう可愛い! ちなみに同じ髪色の父親を見ると痛々しくて見てられない。
クリクリの目で見つめられると心臓がキューッとなっちゃう! 心臓発作を疑うね。
入学式から王太子殿下の目に適ったレイアは、その寵愛を一身に受けることになった。
貴族の中でもとびっきりのイケメンと美少女の熱愛はあっという間に学院の外に飛び出て社交界にまで知れ渡ったらしい。
レイアが庶子であるという蔑みは、たちまち掻き消えた。
王太子殿下と公爵令嬢は、身分的にも釣り合いが取れている。
そう。辺境の男爵令息よりもよっぽどね。
俺がレイアの婚約者だという事実は、無視されるようになった。
というか俺とレイアの婚約を知ってる人も少ないと思う。
せいぜい、俺が学院でつるんでいる数少ない友人と王太子殿下の周りくらいじゃないか?
大多数はたぶん、王太子殿下とレイアが婚約していると思ってる。
最近は俺もそうなんじゃないかと思ってきたくらいだ。
他人の婚約者に手を出すのって禁忌だしね。
王太子殿下がまさかそんなトンデモない事をしていると思う人はいないだろう。
嫁の貰い手が見つからなかった娘が王太子の心を射止めた。
王太子妃――つまりは未来の王妃だ。
そうなってしまえば、公爵家の落ちた威信はあっという間に元通り、どころかそれまで以上になること間違いなしだ。
田舎の貧乏貴族と王族。
どっちを取るかは分かりきってるだろ?
そんな訳で、まずは我が家への資金援助が打ち切られました。
公爵に払ってもらっていた俺の学費も自腹になりました。
『どどど、どうしようリュート! お金がない!』
慌てふためく父親、泡吹いて倒れる母親。
はい。じゃあ使用人全員に暇を出して屋敷も売っちゃいましょうねー。
『住む場所がなくなっちゃったよリュート!?』
そこら辺の一軒家にでも住んどきな。
母ちゃん、アンタ元々は平民だろ。家事できるでしょ。
『頑張って貴族の奥さんの地位を射止めたのに!?』
射止めたって言っても、そこら辺の商人より貧乏な男爵じゃあねぇ?
運が悪かったと思って諦めな。
はい父ちゃん、これ貴族学院で知り合った商会の伝手。その人に領内の流通を全部任せて代わりにマージン取れば収入増えるから。
『え、じゃあ節約しなくていいんじゃ?』
じゃあ俺の学費どうすんだよ。
無理に貴族ぶろうとして知りもしない画家に自画像描いてもらったり、ぼったくり宝石商に高額なドレスとか装飾品売りつけられたりしてっから金がなくなるんだよ。
慎ましく質素に生きなさい。どうせ社交界にすらお呼ばれしない木っ端貴族なんだから。
そもそも何で我が家が男爵になったかって、曾祖父が南方諸国との戦争で華々しい戦果を挙げた褒美で爵位をもらったってだけだし。
王都よりも狭い、雀の涙ほどの領地じゃまともな税収も見込めないし、これといった特産品もないんだし。
そのくせ「貴族らしくしなきゃ」って使命感は人一倍で、変な方向に突っ走るんだから。
腹の探り合いとか交渉術とか苦手なんだから、無駄なプライド持つのは諦めなよ。
どうせレイアとの婚約だって「公爵家の血が入れば、これで一人前の貴族になれる!」とか思ってた節もあるでしょ?
『『ギクーーーッ!!』』
はいはい、解散。
爵位は俺の代で返還する予定だし、今のうちに平民の生活に慣れ親しんどいてね。
といった具合で、我が貧乏男爵家は公爵家に見捨てられたのでした。
でもなぜか、まだ正式な婚約破棄の連絡は来ていないんだよね。
俺は一応、レイア公爵令嬢の婚約者ってことになっている。
それも時間の問題だろうけどね。
婚約破棄には相応しい事由が必要らしいし、その証拠集めに時間がかかってるんだろ。
そういう訳で、そう遠くない未来に別れる俺はレイアにとっては過去の男になる。
だから別にレイアが王太子殿下とイチャコラしていても、思うところは何もない。
ただ、俺の初恋相手が幸せになれるように願うばかりだ。