29.チョコが壊れる
馬車が止まって狭い室内から転がり出る。おむすびころりん。
危なかった……。
あのまま馬車に載ってたら恐怖と色気で脳みそがグジュグジュに溶かされるところだった。
「あっ、ご主人様」
おや、ユードリックくん。キミが御者してくれていたのか。
いやホント首絞めちゃってごめんね? 痕になってない? 意識が朦朧とするとかない? 少しでも具合が悪かったら言ってね代わるかr──
────ご主人様?
「はい!」
「誰が?」
「貴方が!」
「誰の?」
「ボクの!」
「なんだって?」
「ご主人様です!」
なるほどねぇ。ふーん。そっかそっかぁ。
いや、どうしてそうなったん?
ユードリックくん、酸欠で頭おかしくなっちゃったんじゃないの?
「いえとんでもありません。ご主人様に絞め落とされる直前にボクは気付いたんです。今までずっと頑張ってきたのはすべてご主人様に屈服する為だったんだって。どれだけ才能があってもどんなに努力しても圧倒的な力の前には全部無意味だということを悟った時、自分のアイデンティティーのすべてを破壊された時に脳内を駆け巡った快感は今までのどんな自慰行為よりも素晴らしいものでした。信じてくれた人を裏切ってしまった背徳感と嫌いで憎くてしかたなかった人に服従しなければいけない絶望感を思い出すだけで今でも興奮が収まりません。どうぞボクの尊厳と生命を踏みにじり滅茶苦茶にして狂わせてください。ユーリはリュート・タナベ様の忠実なる下僕です。いいえ奴隷です。生涯の忠誠と敬愛をお誓いします」
イヤァァァァァァ!!
ユードリックまで壊れたぁぁぁぁぁぁ!!
しっかりしてユードリックくん! 正気に戻って! キミだけはそっちに行っちゃダメだ! お願い目を覚まして!
「はい! ボクは真実の愛に目覚めたんです!」
違うそうじゃない!
クソ誰だ可愛いユードリックくんをこんなになるまで痛めつけておかしくしたのは!
俺だわ。
全部俺が悪かった。あの決闘で嘘でもいいから適当にやって負けておけば良かったんだ!
何が「相手が弱すぎる」だよ邪気眼に目覚めた主人公気取りかよバカ野郎!
「あの時のご主人様は最高に格好良かったです。ボクに覚悟はあるのかと煽りまんまと挑発に乗ったボクを完膚なきまでに叩きのめしてからの落胆したような声と表情。今思い出しても身体が火照り失禁してしまいそうです」
ねえ俺の黒歴史語るのやめてくれない? 目のハイライト消えて怖いし俺の羞恥心が爆発しそうなのよ。
というか失禁で思い出した。俺、今にも漏れそうなんだった。
悦に浸っているところごめんねユードリックくん。俺、そこら辺で小便してくるわ。
「はい! ボクはご主人様の肉便器です! どうぞ顔でも胸でも身体のどこでも好きなようにお使いください!」
いや俺そんな特殊性癖ないから! 普通に可愛い女の子とイチャイチャしたい健全な男の子だから!
もういいから、普通にそこら辺の茂みで用を足すだけだから。
……絶対についてこないでね?
「かしこまりました……」
うわぁ、めちゃくちゃ不服そう。
ユードリックくん本当にどうしちゃったんだよ。
素直で一途でがんばり屋な男の子だと思ってたのに、今ではすっかりドMのド変態だよ。怖いよ。
なるべくユードリックくんから距離を取って、よし。
あ~~~……。
よく出たな。いったい何時から我慢してたんだっけ。
さてさて、用も足したし馬車に戻るかな。
あんまり長いと逃げ出したと思われるからな。いや逃げ出したいけどね? 現状、逃げ出してもすぐ捕まって弟くんの二の舞になるのが目に見えてるから。
もう少し従順なふりをして油断させてから逃走を図ろう。
さあズボンを上げて、と。
「よう。えらい大変なことになってんな」
きゃぁぁぁぁぁぁぁ! のび太さんのエッチィィィィィィ!
「おいバカ! 大声出すな、気付かれるだろうが!」
それもそうだな。
で? どうしたんだいのび太さん。
「オレはのび太じゃねえ」
そうだね、プロテインだね。
お久しぶりじゃないか知り合い1号。
こんなところで奇遇だね。
「これが本当に偶然だと思ってるんだったら、お前は救いようのない大バカ野郎だな」
ひどい。ただでさえ変態3人+簀巻き1個に囲まれてメンタル死んでるのにトドメを刺すなんて。
この鬼畜! 外道! サディスティック・バイオレンス! そこに痺れる憧れるぅ!
「お前もユードリックにしてやろうか」
ご勘弁願いたいね。
それで? わざわざこんなところまで追いかけてきて何の用だい? もしかしてキミ、俺のストーカー?
「せっかくお前を救いに来てやったのにその言い草。見捨てていいんだな?」
たいへん申し訳ありませんでした。靴でもお舐めしたらよろしいでしょうかエヘヘヘ。何なりとお話しください知り合い1号様。
……ところで俺、お前の名前知らないんだけど。
「そりゃそうだ。オレには名前がないからな」
………………なんか、ごめんね?
「待て待て待て。違う、そんな重い話じゃないから」
いままで愛情を知らずに生きてきたんだな……! だからそんなに性根が腐った悲しい人格に育ってしまって……!
「マジでぶっ殺すぞお前」
ホームランダービーどころか殺戮ダービーが始まっちゃいそうだよ。7枠13番でいいかな?
「いいから黙ってオレの話を聞け。全部、一から説明してやるから」
話をしよう。あれは今から36万……いや、1万4千年前だったか。
「いや、せいぜい数百年前の話だ」
あっ本当に昔話が始まっちゃう感じなのね?
「それじゃあ始めるぞ。お前の先祖──【勇者】の話からだ」
待って。なんか俺の知らない新設定が出てきたんだけど?




