23.公爵家の長い夜 其の一
---公爵side---
娘が友だちを連れて帰ってきた。
字面だけ見ればたいへん喜ばしい出来事だ。
『王太子と取り巻きに付き纏われて友だちができない!』
そう嘆きながら弟の頭をワシャワシャしていた娘──レイアが同級生の女子生徒を家に招くとは、なんて素晴らしい日なんだ。
公爵は感動にむせび泣いた。
しかしそれも、目の前のコレを見るまでの一瞬だった。
「お久しぶりです公爵様。助けてください」
荒縄でグルグル巻きにされて地面に転がされた娘の婚約者リュートの姿を見て、公爵は現実逃避することを決めた。
「……アンズといったかね? ようこそ我が家へ。狭い所だがゆっくりくつろいでくれ」
「ありがとうございます公爵閣下。そこの二股野郎には豚小屋を用意してあげてください」
「あい分かった。アイアンメイデンも併せてすぐに手配しよう」
「待って! 超待って! せめて人間扱いして! あとその処刑器具はやめて! 死んじゃうから!」
娘を泣かせた男を葬り去るべく、公爵は修羅と化した。
---公爵夫人side---
夫人は激怒した。必ず、かの不義不貞の男を除かなければならぬと決意した。夫人には恋愛が分からぬ。夫人は、政略結婚の身である。家の為、好きでもない男に嫁いで暮して来た。けれども不貞に対しては、人一倍に敏感であった。
「タナベのクソガキの首を撥ねなさい! 生かして帰すんじゃありませんよ!」
「待ってお母様。私は大丈夫だから早まらないで」
愛娘とその友人に紅茶を振る舞いながらこれまでの経緯をすべて聞いた夫人は怒髪天を衝いた。
健気な娘を差し置いて他所の女とよろしくするとは何事か。娘を信じず他所の男に寝取られたと勘違いするとはなんと愚かな。夫人は激怒した。
「あの、ごめんなさい。アタシがリュートに近付いたから……」
「貴女は悪くありません。悪いのは何時だって不貞を働いた男の方なのですから」
そんな奴の陰茎などチョン切ってしまいなさい。
そう言い切った夫人の言葉に、護衛の騎士と公爵は皆一様に股間を両手で隠した。
メイドはそれを200色ある白色の目で見た。
「お母様は、不貞を働いたお父様をどうやって許したのですか?」
後学の為に訊いてくる可愛い娘の質問に、夫人は笑って懐から鞭を取り出した。
「跪きなさい(パシィンッ)」
「ぶひー!」
自分の前に四つん這いになった旦那の背中に両脚を載せた夫人は優雅に微笑んだ。
「絶対服従するように調教すればいいんですよ」
もう二度と裏切らないようにね。
娘と友人の尊敬の色で輝く瞳と視線を、夫人はドヤ顔で受け止めた。
---ユーリside---
「ほら、餌だぞ」
「あんまりな扱いすぎて泣いちゃう」
地面にばら撒いたトウモロコシの粒を、芋虫のように這いつくばりながら必死に食べる憎い恋敵を見て、ユーリは自分の溜飲が少しだけ下がるのを感じた。
後ろ手に縛られて公爵邸の地下牢に転がされている惨めな男が、自分のお嬢さまとアンズを誑かしたとは到底思えない。
「こんな奴のどこが良いんだ……」
頭が悪い。知恵がない。口が悪い。常識が欠如している。他人から向けられる気持ちに気付かない。
顔も、悪くはないが良くもない平凡な容姿。
少々腕は立つようだが、どうせ本職である自分や騎士たちには敵わないだろう。
見れば見るほど、取るに足らない凡夫。
公爵令嬢や聖女に構われる資格すらない男。
それがリュートに対するユーリの評価だった。
ただ、身体はそれなりに鍛えられている。
分厚い胸板。丸太のように太い腕。
どうやら着痩せするようで、制服の上からでは分からなかった。
ボロきれだけの惨めな姿になってようやく分かったその肉体美に、ユーリの喉がゴクリと鳴った。
「──だ、ダメだぞ! このトウモロコシは俺のものだからな!?」
「………………」
ただ、あまりに中身が残念すぎる。
ユーリは深いため息を吐いた。
路地裏で飢えていた幼い自分に手を差し伸べてくれたレイアお嬢さま。
衣食住を、生きていく術を、無償の愛を与えてくれた恩人。
お嬢さまに忠誠を誓ってから幾数年。
勉強でお忙しい中、いつも嬉しそうに満面の笑みで読んでいた手紙。
自分の婚約者がどんなに格好いいか、どれだけ優しいか。耳にタコができるくらい聞かされた思い出話。
その相手がこんな馬鹿野郎だったなんて。
ユーリは大きく舌打ちをした。
レイアお嬢さまの密命で近付いた聖女アンズ。
裏表のない正直な性格と、たまに見せる屈託のない笑顔。
いくら調べても出てこない裏と闇を暴こうと必死になっていた焦燥。
自分の暗躍をアッサリ言い当てられた時の絶望。
『それでもアナタを許します』
その言葉で、どれだけ救われたか。
お嬢さまに「仕事が出来ない無能」と捨てられる不安を、アンズに感じていた後ろめたさを。
自分を救って、お嬢さまと同じく無償の愛を与えてくれた人。
そんな清廉潔白な女性が想いを寄せる男性。
実直で一生懸命、誰より頼りになる強さと優しさを併せ持つ。
嫉妬すら覚える人物像。
そんな人ならアンズを幸せにしてくれると信じていたのに。
レイアお嬢さまと二股かけていた最低のゲス野郎だったなんて。
ユーリは石畳を踏み砕いた。
「ラスト一粒が木っ端微塵になっちゃった……」
お腹が空いたよぅ。
さめざめと泣いて地面を濡らす下手人の髪を掴みあげて顔を向けさせると、ユーリは殺意を込めて睨みつける。
「なんでお前なんかが、お嬢さまとアンズを……!」
この世界でも最高の女性である2人を手中に入れながら、それでも飽きもせず自分まで口説いてきたクソ野郎。
いますぐこの首と胴体を切り離してやりたい。
許可さえ出ればすぐに出来るのに。
肝心のお嬢さまとアンズが渋っている。
なんで。
なんでだ。
「そこまで愛されているのに、なんで裏切るような真似が出来るんだ!」
それは愛を知らず生まれてきた者の咆哮。
持たざる敗者が、すべてを持って生まれてきた勝者に向ける慟哭。
憤怒に潤むユーリの瞳。その奥に燃える嫉妬の炎に焼かれ、それでも下手人は涼しい顔で嘯いた。
「欲しいんだったら奪えばいいだろ」
「………………なんだと?」
「お前が何に悩んでるのか、何が欲しいのか、俺にどうしてほしいのか。そんな難しいことは分からないけどよぉ」
相も変わらずヘラヘラと軽薄そうに笑う──いや、違う。
三日月に歪む目の奥に、自分のそれより強く燃え盛る劫火を視る。
「欲しいもんがあるんだったら。死ぬほど努力して、阿呆ほど挑んで、馬鹿ほど負けて。それでも欲しいって、喉から手が出るほどコイツが欲しいって、何度だって手を伸ばすんだ」
それは間違いなく、生まれながらに勝ち組だった者の言葉ではない。
幾度も敗れ。何度も倒れ。それでも立ち上がり、前に進んできた者の矜持。
「勝ち取って、奪い取って、そこで終わりじゃない。そうして手に入れたモン全部、今度は守り抜かなきゃならない。かつてのテメーみたいに奪おう、手に入れようって必死こいて襲ってくる奴らから、死に物狂いで守り抜くんだ。自分の大切なモンをな」
そうして数多のモノを守り抜いてきた。
努力と実績に裏打ちされた圧倒的勝者の持つ灼熱に、ユーリは自分の醜い心が溶かされていくのを感じた。
「ユードリック。お前にその覚悟があるのか?」
覚悟があるのなら、示してみろ。
自分というちっぽけな存在が殻を破る時が来た。
ユーリはそう感じた。
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ちなみに、リュートにそんな覚悟はない。
覚悟がないから逃げ出した。
いくら可愛くて好きだからって国の超重要人物を2人とも責任持って娶るなんて出来るわけないだろいい加減にしろ。
こちとら万年貧乏貴族やぞ。
自分に出来ないことを、それっぽくドヤ顔で嘯いた。
ユードリックに火をつけた。
コイツに全部押し付けてしまえば、どさくさに紛れて逃げ出せる。
目先の利益に飛びついて、その失策がもたらす最悪の結末を予期できない。
浅はかで短慮。
それ故に馬鹿は馬鹿と呼ばれるのだ。
焚きつけた張本人が貧乏くじを引くなんて、分かり切っていることだろうに。
「リュート・タナベ! 公爵家の名において決闘を申し込む!」
なんで?




